雨宮処凛さんのコラムやマガ9学校のゲストとしてもお馴染みのイェダりんことイ・イェダさんの連載コラムが、フランスから届きました! 果たして「亡命者」の日々は、楽しいのか? 大変なのか? そのリアルな生活を綴ってもらいます。コラムは、ハングルも同時併記していく予定です。
*ちなみにリベルテ(liberté)とは、フランス語で「自由」。フランス共和国の標語である「自由、平等、友愛」(Liberté, Égalité, Fraternité)の一つであり、その起源はフランス革命にあります。
(その4)
ドイツで
兵役拒否のイベントに招かれて
今年の5月、兵役拒否者・脱走者を支援するドイツの団体「Connection e.V.」から招待を受け、韓国の「戦争のない世界」の活動家の方たちとドイツでのスピーチツアーに同行することになった。
「戦争のない世界」は韓国の平和団体で、大きくは非暴力運動、武器取引の監視、そして兵役拒否運動を支援する団体である。私が韓国で、兵役拒否の方法として「韓国に残って監獄に行く」か、さもなければ「韓国を離れ、難民認定によって、兵役拒否権不認定は国際人権侵害であることを証明する」かと悩んでいた当時、数人を除き家族や友人ですら軍隊を拒否する私の気持ちを理解してくれる者はいなかった。孤独な思いから「戦争のない世界」に連絡をとってみようかとも悩んだが、結局は韓国を離れる方法を選択したため、自分が難民申請をすることを公開して出国に問題が生じることを恐れて、接触をもたなかった。そんなわけで、「戦争のない世界」の活動家の方々と正式に会うのは初めてのことだった。
ドイツでフランクフルトの駅に着くと、ヤン・ヨオクさんが出迎えてくれた。ヨオクさんは、「戦争のない世界」で兵役拒否運動をおもに受け持っている方である。2003年のイラク戦争当時に大学生活を送り、反戦運動に数多くかかわってきた。韓国のイラク派兵に反対する人、兵役を拒否する人たちを知り、影響を受けて反戦運動を始めた人である。
初対面の私たちは、おたがいに自己紹介と兵役拒否に関する話をしながらフランクフルトの「Connection e.V.」本部に向かった。本部といっても、「Connection e.V.」の活動家たちが暮らしている多層階住宅を使用していた。
私はルディさんが居住する一階に泊ることになったが、ヨオクさんがルディさんにはカリンさんという奥さんがいると説明してくれた。カリンという懐かしい名前に、雨宮処凛さんを思い出し「奥さんはもしかして日本の方ですか?」と尋ねたが、すぐに当のカリンさんと直接挨拶をかわすことになって、「カリンという名前はドイツにもあるのだな」と知った。
その後、日程について若干ブリーフィングして準備を確認したあと、みんなで夕食をつくり、楽しく会話を交わして初日を終えた。
「Connection e.V.」の活動家たちの家。『抵抗する平和』を読みながら、猫のヤシと休憩。
私が合流した翌日は、5月15日。「世界兵役拒否者の日」だった(「世界兵役拒否者の日」は、1982年の「欧州兵役拒否者の日」から始まったもので、公式に定められたのは1986年からである)。この「世界兵役拒否者の日」がある5月には、国際人権NGOの「アムネスティ・インターナショナル」が、良心的兵役拒否に関する報告書を出す予定だったうえ、5月12日には、韓国の光州地裁が良心的兵役拒否者3人に無罪判決を出して、韓国では兵役拒否問題が再び話題になっていた(2004年と2007年にも地裁で無罪判決が下されたものの、最高裁ですべて有罪判決になった例がある)。
おかげで、兵役拒否者やそれにかかわる活動家たちにマスコミからオファーがあり、ニュースとドキュメンタリー番組などで報道される予定だという。私もイベント会場への移動中に、韓国の地上波チャンネルSBSの記者から電話インタビューを受けた。単独インタビューではなかったので、ただひとつ言いたいことを伝えてほしいと頼んだ。
「私は宗教も持たず、セクシュアル・マイノリティでもありません。兵役問題によってのみ、よその国に難民として受け入れてもらう状態にあるのです。それほど韓国の兵役問題は深刻だということをわかってほしいのです」
インタビューで述べたとおり、兵役拒否権がなく、兵役問題だけで他国で難民認定を受けられたということは、兵役拒否権は人権であり、その人権が侵害されていることを全世界が認めているということを意味する。
兵役は、徴兵される男性のみならず、その家族、友人らにまで悲しみと負担を負わせるものだ。誰よりも、韓国の人たちに私の叫びが届いて欲しい。兵役拒否のせいで孤立する人、私と同じ苦痛を味わう人がなくなってほしい。ドイツの田舎の片隅で、韓国からの電話を受けながらそう祈った。
ドイツで、帰れない韓国のマスコミと電話でインタビュー中。
最初のイベント会場は、ペンションだった。画家とガラス工芸家のカップルがいたり、、様々な芸術品が周辺に転がっていたり(?)、「芸術家の村」という印象を受けたが、ほかにもいろいろなイベントが催されている場所のようだった。ペンションとしても機能しており、宿泊客も受け入れていた。
ペンション正門。アンドレさんと私の写真がかかっていた。アメリカからドイツに亡命したアンドレさんは、イラク戦争当時、戦争に反対してアメリカを脱走した人だ。
聞き慣れたエマニュエルという名前の亡命者が来て、イベントとフリートークのときに、フランス語⇔ドイツ語の通訳をしてくれるという。その名前に親近感があり、また通訳をしてくれることもあって、お互いのことを話し、とても楽しい時間を過ごした。エマニュエルさんはアンゴラを脱出し、ドイツで11年間待って、やっと亡命が認められたという。
アンゴラでも軍事主義が根深く、軍隊に行かなければ高等教育を受ける資格すら与えられないという。最近韓国の兵務省は、毎年2万3000人ほどの人員が余っているといって、高校中退未満の学力の人たちに対して召集決定を取り消したが、それと大差ないようである。人員不足だといっては毎年600~800名の兵役拒否者を罰しながら、対象男性のなかで学力差別をしているのだ。
韓国の男性たちは軍隊に行くのがいやでも、兵役を拒否すれば監獄に行かなければならないため、矛盾した言動をとるしかない。「国を守るため、僕らは自発的に軍隊に行く!」「軍服務は神聖な義務だ」と。こうして単純に自らをなだめ、私たちはそれを決して問うことはない。韓国の軍服務は、いつから義務だったのか、韓国軍はどんな戦争に参与したのか、いつから神聖視され、社会人になるための関門のひとつとなったのか、まともな監査機構もなく運営される理由はなんなのか。それに対する疑問は封じ込めながら、「軍隊がなければ国防が脅かされる」という一言で正当化される。
私の家族や友人らも例外ではない。大多数が軍隊のかわりに監獄に行く行為をむしろ弱虫扱いしたが、それについて私は、「少しだけ考えてみてよ。あなたたちも認めるように軍隊に問題があるのに口を閉ざして2年間行ってくることと、軍隊について問題提起をして兵役拒否の代価として2年間収監され(裁判に6カ月、収監が1年6カ月)、その後も生涯ついてまわる差別に耐えることと、どっちがつらいと思う?」と反発したものだった。
親しみ深い名前のふたり。左から私、エマニュエルさん、カリンおばさん。
エマニュエルさんのほかにもエリトリアを脱走した人、トルコで兵役を拒否した人たちの話を共有して、芸術家の村(?)らしく、みんなで作品作りをした。捨てられたアクセサリー、人形、フィギュアなどを利用して、箱のなかに自由に表現するのだが、ほとんどは戦争と軍隊に関する作品になった。
みんな、それぞれの経験が作品に表れているようだった。赤い絵の具にまみれた赤ちゃん人形、棘に刺された女たち、戦争と書かれた注射器に頭を刺された人形など…。ヨオクさんは700の数字が監獄の中にいることを連想させる作品を作った。一年に約600~700人の兵役拒否者が韓国で監獄に行くからだ。
夜には反戦運動にかかわった各自の経験談を共有する時間を持ったが、なかでも兵役拒否を理由に収監された韓国人が全世界(の兵役拒否者)の90%以上を占めるという説明には、全員が驚いていた。
各自の経験を共有する時間。左からルディさん、ヨオクさん、私、エマニュエルさん。ヨオクさんは英語が相当上手だが、彼女の話を母国語通訳で生き生きと伝えるため、ヨオクさんのスピーチを私とエマニュエルさんをへて、韓国語―フランス語―ドイツ語で通訳した。
ヨオクさんの作品。右側の花で飾られた扉は、いつか収監者らが監獄から解放されることを望み作ったもの。
ひとりの聞き手として、ヨオクさんのスピーチのなかで印象深かったのは、女性であるがために反戦活動、兵役拒否活動をしながら受ける差別の話だった。ひとつの事例として、同じ「戦争のない世界」の活動家であるチェ・ジョンミンさんは、あるテレビ番組から兵役拒否に関する討論会に招かれたのに、あとでチェ・ジョンミンさんが女性であることを知って相手が慌てたというのだった。中性的な名前のせいで番組側が勝手に男性だと思い込んだのだ。それにとどまらず彼女の討論会参加を拒み、けっきょくほかの同僚男性がかわったというのだ。また、集会や集まりで口論や小競り合いになると、女性活動家はまるでいない存在のように無視されるのだという。「戦争のない世界」にときどき抗議電話がかかってきてもヨオクさんが受けると必ず言われるのが「男にかわれ」だという。
徴兵は、男性が対象だからだろうか。軍隊の問題について討論する場合、徴兵対象でないすべての者(女性、身障者、低学歴者を含む)は、徴兵対象の男性らに「軍隊に行かない者は抜けろ」と言われる。軍人としての経験があっても、韓国はもちろん、世界の戦争の歴史を勉強したわけでもないのに、専門に活動する人を女性だという理由だけで差別するのだという。
私の場合も同様だ。フランスが私を難民として受け入れたことを公開することで伝えたいことは、「韓国の軍隊は問題が多い。あなた自身、あなたの子どもたち、友人たち、家族たちを傷つけないためにこの問題を改善しなければならない」ということだが、軍隊か監獄かの選択肢しかない人たちは為す術がないため、むしろ矛先を私に向けて「軍隊にも行っていない奴に、軍隊について言及する資格はない!」と一蹴してしまうのだ。
こんな話を交わしながら、「人びととともに考えなければ平和は不可能に近いとはわかっているが、平和を望み人びととともに考えようとしてぶつかったとき、こんな反応に出会うと気が萎える」という私に、「老婆心で言うのだけれど、焦らず、ゆっくり進むといい。自分をコントロールして楽しい人生を生きていくことも重要だし。日常のなかの幸せを大切にね」と、暖かい言葉をかけてくれた。
そうしてお互いのエネルギーを分け合い、数日にわたる初めての日程を終えた。
兵役拒否に関する今回のイベントに参加した人たちと記念撮影。みんなに暖かく、大きなエネルギーをもらった。
「兵役拒否権は人権である」、本当にその通りだと思います。しかし、そのことが周囲から受け入れられず、孤独な思いをしていたというイ・イェダさん。「国家を守るためには軍につくのは義務だ」という発言に、「戦争に行きたくないなんて利己的だ」という、例の発言が思わず重なりました。疑問や問題提起を口にできない社会の空気がつくられることこそ、私たちがいちばん危惧しなければいけないものなのかもしれません。