地方自治体の首長(知事、市長など)は、国と対等な関係に立ちながら、地域の行政を統轄するとともに、行政事務に関する国からの要請を事実上退けることができる、大きな権限を持っています。地域住民の生命を守るまさに政治のリーダー。このポジションに、長らく女性が就くことはありませんでした。現在においても、全国に女性の首長は知事が47人中2人、市長・特別区長は812人中16人と2%にも満たない割合です。しかしながら、地域の住民から熱烈に支持され、実績を残している女性首長は少なくありません。女性首長の先輩たちに、女性が首長になることの意義や自らの選挙戦について、また、女性へのメッセージなどを語っていただきました。
◆3・11以降、目覚めた女性票を
ターゲットにした選挙戦略
2014年7月に行われた滋賀県知事選挙は、2期で引退を決めた私の後継指名を受けた元民主党衆議院議員の三日月大造さんが、自民・公明が推薦をした小鑓隆史さんを1万3千票差で破り、嘉田県政の「卒原発」は継承されることになりました。票差からもわかるように、きびしい選挙戦となりました。自民党陣営は早々に候補者の擁立を決め準備を進めていましたが、私自身3期目を続けるかどうかという決断に至るまで、支援者たちとの話し合いに時間を要したため、こちらは完全に時間不足です。
しかし私は、3・11以降に原発や社会や政治の問題に目覚めた女性たちが、どう動きどこに投票するかが、この選挙の鍵だと思っていたので、ターゲットを女性票にしぼって作戦を練りました。彼女たちは「脱原発・卒原発」を望んでいましたから、三日月さんにもはっきりと「嘉田県政が示した卒原発を継承する」と宣言してもらいました。ちらしは女性を意識して、カラフルで優しいトーン。コピーや説明文も、暮らし言葉でわかりやすくすることに努めました。選挙は「戦い」ではない「参加」のプロセスだということを広め、参加型の集会で支持を積み重ねていきました。
小さな子どもをもつ若いおかあさんたちが、いつの間にか毎日選挙事務所に来るようになり、「何かお手伝いすることはないですか」とチラシを持っていく。聞けば彼女たちは、私の昔からの支援者でもなく、これまで知事選挙の投票にも行ったことがないと言う。まさに3・11以降に目覚めたそういう人たちがどんどん増えていって、何万枚というちらしが配られていきました。自民党からは大物幹部が続々と滋賀入りをして派手な選挙応援を繰り広げましたが、私たちは市民との対話を重ね、じわじわと支持を広げていき、得票率も50%を超え「卒原発」の候補者を、再び知事に選ぶことができたのです。
◆「鉛筆1本の勇気を持って!」と
女性たちに訴えた
今から8年前の2006年、琵琶湖研究の学者だった私が滋賀県知事選挙に初めて立った時、滋賀県の女性はおとなしくて、自らの考えを述べたり、異論があっても声をあげない人が多いなと思いました。県内には環境問題に取り組むリーダー的存在の女性が多くいましたが、ほとんどが外から来た人です。かくいう私も埼玉県の出身です。私のように飛びまわっている女性は、まず地元の人間ではない、と見られます。データ的にも、滋賀県は女性管理職の割合は全国最下位のレベルです。(*)
でもそういう保守的な地盤の中で、もんもんとしていた女性たちがいました。最初の選挙の時には、「うちは今まで旦那の言うとおり自民党に入れてきたけど、やはり女の人に頑張って欲しいから、あなたに入れるわね」と、こっそり声をかけてくる中高年の女性が多くいました。私はこの時、新幹線栗東新駅建設、県内6つのダム建設など高コストの公共事業の凍結と中止を含む「もったいない」マニフェストを掲げて闘いましたが、その時に「鉛筆1本の勇気を持って!」とも訴えました。これは女性たちに向けて言った言葉です。というのは、彼女たちは、選挙の時でも抑圧されているのです。地元の組織や団体、家族や旦那さんに遠慮しているのです。ですから、「誰の名前を書くか、それは誰にも言わなくていい。自分がいいと思う人の名前を書いてください。鉛筆1本にあなたの意思を表現してください」そう訴えました。「自分の意思で投票をするのに勇気がいる」とは、いつの時代のお話かしら? と思うかもしれませんが、今からわずか8年前のことなのです。
(編集部注*)滋賀県女性管理職の割合は、8%で全国最下位(1位高知県21・8%)、働く女性に占める女性管理職の割合は、0・3%で最下位(1位東京都1・1%)起業家のうち女性の割合は9・3%と全国40位(1位高知県18・2%)〈2014年10月現在〉
◆「政治の素人」だからこそ
バランスがとれた
私が知事に就任した8年間でやったことは、新幹線新駅の凍結をはじめ、必要性や緊急性の低い公共事業を中止して、1千億を超える税金の節約をしたことです。子育て、若者雇用、女性の仕事場づくり、琵琶湖の生態系保存や在来魚の再生、放射性リスク管理など、「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権が途中で挫折し、国ができなかったことの代わりに、滋賀県ではマニフェストのほとんどを実現しました。
しかし3・11以降に直面した原発の問題は、ダム建設をめぐる攻防よりはるかに困難なものでした。関西のいのちの水源である琵琶湖をどんなことをしても守りたいという強い気持ちを持ってしても、一知事が原発ゼロを言うことの難しさ、また大飯発電所の再稼働を巡って、関西広域連合の中での意思決定の現場では、本当に難しい決断を迫られました。そのあたりは私の著書『いのちにこだわる政治をしよう!』に詳しく書いてあります。
はじめて立候補した時は、「女性学者に知事ができるのか?」と言われたものですが、だからこそバランスのとれた政策が実現できたとも思っています。学者だからこそ基礎データと理論に基づいた判断や決断ができたと思っています。例えば、放射性物質の拡散シミュレーションを県独自で行いましたが、コンパスで円を描いただけの避難区域の指定ではなく、風向きや地形など自然条件に基づいた指針を示せるよう、県職員に細かい指示を出しました。指示を受けた職員は大変だったと思いますが、優秀な職員が多いので感謝しています。
◆女性と男性は生まれながらに
違う部分もある
私自身が女性だったからよき知事になれた、とは言いません。男女は平等で、ボーヴォワールの『第二の性』にある、「女は生まれるのではない、つくられるのだ」と信じて生きてきたタイプで、女子禁制だった大学の探検部に無理矢理入って、アフリカ大陸を探検する旅もしてきました。
でも面白い実体験があります。長男が生まれたときに、車とお人形を置くと車をとる、次男も車とお人形を置いたら車をとる、孫が生まれてその子が女の子で、車とお人形を置いたら、彼女はお人形をとる。
それからこんなこともありました。彼女が1歳半ぐらいの頃、私がスプーンでごはんを食べさせると、次はおばあちゃんの番だと私に食べさせてくれたのです。男の子二人を育てている時は、こういう経験はしませんでした。
ほかにも面白かったのは、みんなで旅館に泊まりにいった時、大きな鯛料理がお頭付きで出てきたのですが、彼女はその魚の身をとって、鯛の口に持っていって食べさせるんです。かわいくてみんなで笑いましたけど、ああ、男の子と女の子は、違うなと思いました。
人生64年やってきて、男女の違いというのは、つくられるだけではなくて生まれながらの部分もやはりあるのでしょう。その部分が、特に原発に関する問題意識の男女差に出ているようにも思います。
◆自分の直感をまず信じること。
そして勉強して発信しよう
よく「女は理屈がわかっていない。感情だけで動く」と言われますが、この世の中、合理性とか因果関係でわかることってほんの一部です。科学の世界でわかっていることも、世の中にあることの一部ではないでしょうか。わからないことがたくさんある時に、やっぱり直感的におかしいと思うことは、おかしいと声を上げて欲しい。自分の感性に正直になっていいと思います。
その時に、なぜおかしいのかが説明ができるともっといいでしょう。説明できるためには勉強が必要です。制度、技術、あるいは社会的な仕組みを、女性たちにもっと勉強して欲しい。感性・直感を大事にして、なぜその直感が大事なのかを周りの人に説明できるように勉強し、それを発信して欲しい。一人では心細かったら、仲間をつくってもいいでしょう。今は、人が移動することも比較的簡単にできるし、インターネット経由ではもっと簡単につながれる。以前に比べたら、声を上げる場面がたくさんあります。だから女性たちにはどんどん声を上げて欲しいのです。
よく「ふわっとした民意」とか、「世の中の流れに任せる」などと言われますが、実は、世の中の流れは、自分たちがつくり出すことができるものです。2006年の選挙はその典型でした。「もったいない」の風は吹いてきたんじゃない。こちらが吹かせたんです。ただし、それは戦略的にやらなければなりません。
これからの地方議会に必要なのは、女性、若者、サラリーマンの人たちを何割議員として入れられるかですね、つまり、社会の多様性をどこまで議会がちゃんと代表できるかです。今、地方議会の現状は、社会の多様性を反映しておらず、それが大きな問題ですからね。
私は以前より、政治の場所には、女性と若者がもっと参加するべきだと考えてきました。そうでないと多様性も確保できないし、生活者感覚に根ざした健全な政治ができません。そこで2012年3月に女性・若者を中心に「未来政治塾」を開講し、政治家へ新規参入したい人の育成講座も行ってきました。興味のある方は、一度ホームページをのぞいてみてください。
2014年12月の衆議院選挙では、まさにこの「未来政治塾」で学び、事務局長を務めていた小川やすえさんが、急遽立候補を決意し「卒原発」や「子育て支援」「女性の輝きを育む政策」を訴え選挙戦を戦いました。小川さんは守山市議として約3年間活動してきたものの、選挙区全体ではほとんど知名度がありませんでした。それでも、自民党の現職の7万票に対して、小川さんは4万6000票の支持を得ました。残念ながら負けはしましたが、まったく無名でわずか4週間の選挙運動期間だったことを考えると、次に繋がる希望の一歩になったと思います。
未来の多様な社会は、多様な政治からしか生まれません。まして今の日本の最大課題である少子化や財政再建には、小川さんのような生活者目線を持ち、市民活動も経験し、真摯に地道な政策づくりの勉強をされた女性が、どんどん政治の世界に入っていくことが必要です。これからもそのための応援は、惜しみません。
嘉田由紀子(かだ・ゆきこ)
びわこ成蹊スポーツ大学学長、前滋賀県知事。1950年埼玉県本庄市生まれ。京都大学大学院・ウィスコンシン大学大学院修了。農学博士。1981年滋賀県庁に入庁し、琵琶湖研究所研究員、琵琶湖博物館総括学芸員を経て、2000年京都精華大学人文学部教授。2006年滋賀県知事就任。2010年県政史上最高得票で再選。著書に『水をめぐる人と自然』(有斐閣選書)、『知事は何ができるのか―「日本病」の治療は地域から』(風媒社)、『いのちにこだわる政治をしよう!』(風媒社)など多数。「脱原発をめざす首長会議」顧問。「チームしが」代表
国際環境NGOグリーンピース・ジャパンは、
「女性たちのネットワークをつなげ広げることが、
原発など環境問題の解決への大きなパワーとなる」とし、
「グリーン・ウイメンズ・ネットワーク」をスタートさせました。