渥美京子●あつみ・きょうこ ルポライター。3.11以降、メルマガなどで福島の声を発信。若い女性、母親、有機農家などへの取材を重ね、ノンフィクション『笑う門には福島来たる』(燦葉出版社)をこの夏発刊。共著に『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ刊)。PARC(アジア太平洋資料センター)が今秋、開催する連続講座「原発を生む社会とたたかう」で、11月14日の「放射能汚染の中で生きる おびやかされる食と農」の講師を担当。[個人サイト/フェイスブック/ツイッター]
赤ちゃんのいない町、観光客の姿のない町
8月の福島で考えたこと
このコーナーの1回目に「青年ケンの身の上におこったこと@南相馬」と題する記事を書いたのは4月末のことだった。あの頃は、原発がメルトダウンしていることも、放射能汚染がまさかここまで深刻だということも明らかにされておらず、それゆえに「(福島県外に)避難すべきかどうか」とたくさんの人が悩んでいた。
それから4ケ月以上たち、ようやく汚染の実態を表す様々な公的なデータが明らかにされ始めた。東京電力福島第一原発から放出されたセシウム137は、広島原爆の168.5倍にあたるということことや(経済産業省原子力安全・保安院)、チェルノブイリ原発事故で「強制移住」の対象となった55.5万ベクレルを上回る汚染地域が膨大にあることも発表された(文部科学省)。
驚くべき数値に愕然とするばかりであるが、深刻な汚染のデータを見て、子どもや妊娠中の女性、若い人を中心に、県外への避難を決意する人が増えることを期待した。すでに浴びてしまった被ばくは無かったものにはできなくても、これから先の内部被ばくをできるだけ避けて、将来、起こるかもしれない「悲劇」を少しでも減らしてほしいという思いで見つめていた。
ところが、事態はまったく逆の方向、すなわち「避難の勧め」ではなく、「みんなで力を合わせて除染して、福島で暮らし続けよう」という方向に動き出していると私は感じている。
福島の人びとは今、どのような思いで暮らしているのか。気持ちに寄り添い続けるために何が必要なのか。まずは、8月に福島を訪れたときの話から始めたいと思う。
前日までの猛暑が一段落した8月19日、福島市の気温は27度と低く、空気はひんやりしていた。駅前のビジネスホテルに荷物を預けた後、私は東口のベンチに腰をおろし、行き交う人びとを見つめた。子どもを探したが、乳幼児は一人もいない。10歳以下くらいの子どもの姿を指折り数えたところ、30分たっても見かけたのはたった4人。その数時間前に東京駅で目にした、夏休みならではの賑わいや観光客の姿がどこにもない。
午後2時37分、カタカタカタという音とともに、足元が左右に揺れ始め、駅ビルからたくさんの人が外に出て来た。福島沖を震源とする震度5の地震が発生。東京では感じたことのない揺れ方に緊張が高まり、携帯電話が緊急地震速報を告げる。
揺れがおさまった後で取材先に向かうためタクシーに乗ると、NHKラジオの音声が耳に飛び込む。
「女川は現在、点検中です。福島第一原発については、今のところ原発周辺の放射線量に変化はないということです」とアナウンサーが伝える。タクシーの運転手が「今のところ大丈夫っていうけど、その言葉に何度、だまされたことか」と私に語りかける。その言葉に頷きながら、〈福島の人たちは常に、こうした余震に怯え、そのたびに原発を意識し、にもかかかわらず、原発のことを他人事のように語る政府や東京電力の姿勢に憤りを感じながら暮らしている〉ということを深く感じた。
飯舘村役場にて。3.12マイクロシーベルトの表示にあわててマスクを着けた
責任は東京電力にあるはずなのに
なぜ私たちが「除染」を強制されるのでしょう
この日、除染について何人かに話を聞いた。30代の女性(福島市在住)は開口一番、「今、一番やりたくないのは、除染です」と語った。
「3・11以降、私たちは放射線の値が一番高いとき、何も知らされないまま外で仕事をしていました。すでに、かなりの量を被ばくしています。ただでさえ被ばくしているのに、除染のための草刈りなんかしたくない。放射性物質がたくさん付着している草に触るのも怖い。福島を汚染した責任は東京電力にあるのに、なぜ私たちが除染をしなくてはいけないのでしょうか」
福島市内は3月15日に24マイクロシーベルト超を記録し、それ以降も放射能値が高い日が続いた。現在も、1マイクロシーベルトを下回ることはない。その女性が言うには、玄関先のタイルやコンクリートをデッキブラシでゴシゴシ洗うなど、できる範囲で除染には努めてきたという。しかし、洗った直後は放射能の数値が下がっても、翌朝になるとまた高い数値に戻ってしまうそうだ。首都圏で行われているような除染とはわけが違い、降り注ぐ放射性物質の量は比べものにならないほど多く、一カ所を除染しても、風や雨とともに別のところにたまっていた放射性物質が降り注いでくる。
そして問題は、これまでは住民が自主的にやってきた除染が、強制に近い形で進められようとしていることにある。
「地域ぐるみの取り組みなので、断りにくいんです。『やらない』というと、近所の人から白い目で見られる気がします」と先の女性は話す。
そもそも、東京電力が責任を持ってやるべきことを、「福島を再生するため」というかけ声のもと、住民にさせること自体がおかしい。さらなる内部被ばくの危険も高い。
京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章氏は「除染は不可能です」と語っている。校庭の表土をはぎ取ることはできても、広大な森林、野原、田畑の土をすべてはぐのは不可能で、仮に土をはぎとることができたとしても、それを運ぶ場所もない。私は福島において住民がこのような形で除染を強いられることに強い疑問を感じている。それよりも先に、子どもや妊娠中の女性、さらにはこれから結婚や出産を考える女性や男性に対して優先的に避難勧奨の指定を行い、希望する人は避難先の住宅確保や補償を充実させて、避難の選択ができるようにするのが先決だろう。ちなみに、メディアでは放射線によって卵子が傷つくことばかりがクローズアップされがちだが、男性の精子も同様に危険があることを付け加えておきたい。
相馬の仮設住宅では盆踊り大会が開かれていた
企業ぐるみで「避難」「疎開」を押しとどめる?
取材を進めるうちに、さらに驚く話を聞いた。「福島に残ろう」というキャンペーンが企業を巻き込んだ形で広がっているという。地元紙の『福島民報』は8月23日付紙面で、東工大准教授の松本義久氏が書いた「安全、危険見極めよう」と題する次のような文章を掲載している(松本氏は3・11以降「100ミリシーベルト以下の被ばくでは、人体への影響が確認されたことはありません」と繰り返し述べてきた人物である)。
「(1年間の積算線量は警戒区域や計画的避難区域の一部を除けば)最高で20ミリシーベルト程度である。この線量では発がんリスクはあったとしても極めて小さい」
「20ミリシーベルト程度なら、生活上の留意や健康診断などによって、放射線の発がんリスクをゼロに近づけるか、あるいはマイナスにできる。十分に逆転可能なリスクである」
「避難や疎開などによる心身面の影響も無視できない。放射線の危険を正しく伝え、過剰に恐れることによる影響を防ぐことも、私たち放射線専門家の責務と考えている」
どう読んでも、20ミリシーベルト程度なら生活を工夫すれば発がんリスクはなく、逆に避難や疎開をする方が心身によくない、と言っているとしか思えないのだが、驚いたことに、この新聞記事をコピーして社内に回覧している経営者がいるという。郡山市の女性はこう語る。
「私は県外への避難を考えていました。今の福島では、家族を持つという未来を描けないからです。そう思っていたところに、社内回覧でこの記事が回ってきました。社長が『とてもいい内容だから読むように』と言ったそうです。これだけ原発の問題が明るみに出ているときに、このような記事を渡されショックでした」
この話を聞いて、私は怒りが込み上げた。それぞれの企業もまた、原発と放射能の犠牲者であるとわかっているが、だからといって企業存続のために、若い人たちのいのちや未来を危機にさらしていいわけがない。こうした記事を書いた人間も、またそれを社員に回覧して働くことを強いる者も、「いのち」の重さを考えると「犯罪」に近いことをしていると私は思う。
私たちが暮らす、この国の法律は「1年1ミリシーベルトを超えてはいけない」と定めている。法治国家として、国はそれを守るべき責務がある。20ミリシーベルトはあくまで緊急時の対応値に過ぎないにもかかわらず、福島の人びとは今も我慢させられているということを忘れてはいけない。
人はそう簡単に住み慣れた土地を離れることはできない。避難によって家族がバラバラになったり、地域とのつながりが断ち切られることが引き起こす悲劇はチェルノブイリの歴史が教えている。避難したくても、仕事や住居がなければ踏ん切りがつかない。家のローン、老親の介護、子どもの進学…など、土地を離れられない様々な事情をみんな抱えている。もし、私が福島に住んでいても、避難するかどうか悩むだろうと思う。「危ないから避難すべきだ」と正論を言われても、福島の人たちの心に届きにくいこともわかっている。でも、言わなくてはいけない。子どもや妊娠中の女性、若い人たちはできるだけ放射能から遠ざかってほしい。いったん福島を離れ、遠く離れたところから福島再生を考え、この国の未来を考えてもいいではないか。
そして、福島以外に住む人びとに伝えたいことがある。同じ時代を生きる者として、福島の痛みをどうか自分の痛みとして考えてほしい。10年後、20年後に起きるかもしれない悲劇を少しでも減らすために、今ならまだ間に合うことがたくさんある。
福島から東京に戻った後、話を聞かせてくれた福島の女性からメールが届いた。
「なぜ、私たちはこんなにも苦しまなくてはいけないのでしょう。事故後の国の対応は、福島を見殺しにしていると感じます。私はなんだか海の底にいるような気がします」
避難させる体制も作らずに、除染させるという「国策」は、福島を見殺しにするということに等しい。だからこそ、私は繰り返し、言おうと思う。これから、いのちを育む人たちは、どうか避難してほしい。私はあなたの未来を守りたい。
福島の大地に咲くひまわり。