被災地とつながる

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渥美京子●あつみ・きょうこ ルポライター。3.11以降、メルマガなどで福島の声を発信。若い女性、母親、有機農家などへの取材を重ね、ノンフィクション『笑う門には福島来たる』(燦葉出版社)をこの夏発刊。共著に『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ刊)。PARC(アジア太平洋資料センター)が今秋、開催する連続講座「原発を生む社会とたたかう」で、11月14日の「放射能汚染の中で生きる おびやかされる食と農」の講師を担当。[個人サイトフェイスブックツイッター

オレたちの話を聞いてください
すべてが汚染されているわけじゃないんです

 9月24日の朝、朝刊を開いて驚いた。福島県二本松市旧岩代町小浜地区で、収穫前の玄米の予備調査をしたところ、1キログラム当たり500ベクレルの放射性セシウムが検出されたという。二本松には知り合いがたくさんいる。玄米から基準値を超える値が検出されたのは初めてのことだ。
 私はすぐ、同市東和地区(旧東和町)で有機農業を営む菅野正寿さん(すげのせいじ・52)の携帯に電話をかけた。彼は農家への支援を訴えるために前日から上京しており、都内のホテルに宿泊中だった。

——新聞見ました?

「まだ、見てないけど、なにかあった?」

——あのね、予備調査で二本松の米からセシウムが出たって。

「えっ」

 沈黙が流れた。

「わかった。教えてくれてありがとう。これから二本松に帰るけど、詳しいことがわかったら、連絡するから」

 菅野さんとは3・11以降に知り合い、幾度となく話を聞き、東京電力への農民デモにも一緒に参加し、8月には彼の田んぼにも行ってきた。苦境においても前向きで力強い言葉を発してきた彼が、多くを語らないことからも衝撃の大きさが伝わってくる。
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菅野正寿さん(都内で開かれたオーガニック市にて)

 菅野さんは、農業を営む両親の5人兄弟の長男として二本松市で生まれ育った。高校卒業後、そのまま百姓を継ぐ気になれず、都会に憧れて東京にある農林水産省農業者大学校に進学したという。しかし、「都会には合わない。人間らしい暮らしはふるさとにある」と見切りをつけ、地元に戻ったそうだ。そして、当時はまだ手がける人が少なかった農薬や化学肥料を使わない、自然の法則に則った有機農業を志すことを決め、大地を耕し、堆肥をすきこんで土を作り、循環型農業を目指してきた。
 「農薬や化学肥料を使わない農業は悪戦苦闘の連続で、経営的にも苦しい時期が続いたんだ。んでも、堆肥やぼかしをつくったり、木酢や焼酎を野菜の葉に散布して害虫被害を押さえたりと試行錯誤しながら、少しずつ顔の見える産直を広げ、千葉や東京の消費者ともつながれるようになったんだ」と菅野さんは語る。
 東京の体育大学に通い、教職を目指していた長女の瑞穂さん(23)も、父の姿を見て農業者の道を歩むことを決めて昨春就農し、後継者もできた。そして、原発事故が起きた。3・11以降のことをこう話す。

 「オレはこの半年、自分の畑で草を刈り、耕し、堆肥を入れ、また耕すということを繰り返してきたんだ。それで放射線量が半分以下になった。草の上で1.5マイクロシーベルトだったのが0.7以下に下がったんだ。東京の人から見ると、二本松はすべて汚染されているんじゃないのと思うかもしれないけど、そうじゃないってことわかってほしい。それに、チェルノブイリと違って、温帯モンスーン気候の雨の多い日本の農地は肥沃なのさ。狭い面積のところで粘土質の多い土に堆肥を入れて耕してきた。日本の稲作が3500年も続いてきたのは、そういう農家の汗と耕す心があったからだ。その土に対する思い、土着の精神はここからきていると思う。粘土質の土はセシウムを固定化して離さない。だから土が汚染されていても、セシウムが農産物には移りにくい。今、オレの畑でとれた野菜をベクレルモニターで測ると、トマト、じゃがいも、たまねぎは不検出、大根は1キログラム当たり17ベクレル。ウクライナの野菜の基準値は40ベクレル以下というから、だいたいそのレベル以下なのよ。ただ、自分が丹精こめて作ったものを自信をもって届けられないのが辛い。その辛さと不安がこれから何年も続く」
(注)日本の暫定基準値は農産物が500ベクレル。

 「大地の汚染=農産物の汚染」ではなく、粘土質の土にセシウムを吸着させて農産物への移行を押さえることができるという話に、希望につながる手がかりが見つかる気がした(表土を剥がす「除染」は、田んぼや畑では通用しない。養分をたっぷり含んだ表土を剥がせば土が死んでしまう)。
 市場に出回っている農産物は出荷制限となる暫定基準値ぎりぎりの499ベクレルの可能性もあるわけだから、自ら測定して数値を公表する姿勢や努力には頭が下がる。また、福島だけでなく、関東の大地も汚染され、例えば千葉の一部の地域でも1平方メートルあたり3万〜6万ベクレルを超える地域が見つかっているなかで、これからの農業を考える上において貴重な取り組みともいえる。
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道の駅「ふくしま東和」は、自らベクレルモニターで農産物を検査してから販売している

国は責任を放棄した上に
農家を踏みつけにしている

 しかしながら、正直な気持ちを言うと、私はかなり混乱している。文部科学省が発表したセシウム134、137による二本松市の土壌汚染マップによれば、1平方メートルあたり6万〜30万ベクレルを超えるところがある(菅野さんの田畑は比較的線量が低いという)。法律では4万ベクレルを超える場所は放射線管理区域に指定され、そこに立ち入ってはならないことになっている。その数値をはるかに超える場所にたくさんの人びとが住み続け、農業を続けている現状をどう受け止めればいいのか。国は、法律の上限を上回る地域に対して避難勧告をせず、つまり法治国家としての責任を放棄したうえで、基準値を超えた農産物を「出荷制限」とする。これでは、福島以外の土地に住む消費者(食べる側)には配慮しても、それを作っている農家(作り手)を踏みつけにしているとしか思えない。あまりにひどいではないか。
 さらに、日々、土に入って農作業をすることによる内部被ばくも心配になる。菅野さんの田んぼや畑の空間線量は現在、0.5から0.7マイクロシーベルト。これは東京の約10倍の値。

 「先日、NHKが取材に来て、『避難する気はないのか』と何度も聞くのよ。確かに東京よりは放射線量は高い。んでも、オレらは元気だ。しかも、線量は下がり始めている。前向きにがんばっているのに、なんで避難か? 4月の頃は、避難しかないかと思ったこともあったけど、この里山を再生したいと思ってがんばってきたら、成果が上がってきたんだ。この地に残って、土を耕して、なんとか再生したいんだ」

 この地で農業を続けるという強い意志に圧倒されながらも、私は「あなたたちの内部被ばくが心配」と伝えると、こんな言葉が返ってきた。
 「オレらも不安だ。毎日、土を触ってきたから、被ばくしている可能性は高い。一刻も早く、それぞれの自治体にホールボディカウンターを入れてほしいんだ。米の検査も大切だけど、『人間の検査』を急いでほしい。もし、被ばくしているなら田畑に入るのを控えるなど手だてを考えなくちゃならないのに、被ばくしているかどうか、その実態さえわからないんだ。娘のことは心配になる。それと農業をしている若い人たち」
 米、農産物、牛、稲わらの検査を先行させて、人間の検査が後回しになっている現状も、「作り手」のことが軽視されていると感じる。
 収穫した米に放射性物質が含まれているかどうかを調べる本調査は、約1ケ月をかけて行われる。暫定基準値(500ベクレル)を上回る値が検出した場合は、旧町村単位で出荷停止となる。しかし、基準値以下であっても「福島」「二本松」という名前が一人歩きして、米が売れない事態が考えられる。米農家はその売り上げが年間収入の大半を占め、今年の米が売れなかったら、来年の生計のメドが立たない。まだ本調査の結果が出ていないのに、これまで農産物や加工品を買ってくれていたお客さんが離れつつあるという。
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飯舘の有機農家から「オレらはもうダメだから菅野君、持っていってくれ」と託され、育てた花

子どもを守りたい。作り手も守りたい。
大人が「有機除染農家」を食べて支える覚悟を

 私は一般に言われる「食べて支える」ことには疑問を持っている。汚染された農産物がすでに全国に流通しているのは間違いなく、首都圏に住む子どもの尿から放射性セシウムが検出されたニュースは記憶に新しい。私には10代の息子がいる。息子の内部被ばくはできるだけ避けたいので、汚染されたものは食べさせたくない。
 こう書くと、「この国に放射能汚染されていない場所、食べものが果たしてあるのか」と問われるかもしれない。もちろん、答えはノーである。福島第一原発から放出された放射能は東北から東日本、そして全国に広がっている。中国の核実験、チェルノブイリ、国内の原発からの放射能漏れなどの影響を受け、汚染されていない土地はどこにもないだろう。それでもなお、いのちを育て、守るために、少しでも汚染度の低いものを食べさせたい。

 だが一方で、それだけでいいのかと思う。自らの被ばくの不安に怯えつつも、大地を再生しようと格闘し、いのちの恵みを届けようとする農家にどう答えるのか。京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんは「福島の農家、1次産業を何とか崩壊させずに守りたいと私は思います。そのために、都会の大人には汚染食料を引き受ける覚悟を持って欲しいと願います」と話すが、私も同じ思いを持っている。
 菅野さんは「小さい子にも食べてもらえるように安全なものを作りたい」という。今のところ彼の玄米からセシウムは検出されていない。稲がセシウムを吸わないように田んぼの水を何度も入れ替えたり、収穫前には田んぼに肥料のカリを入れ、それをセシウムが吸うことによって稲に移行しないようにするなど、できる限りの手を尽くしてきた。そして万一、多少の値が出たときには、来年こそ小さな子どもにも食べてもらえる値にするため、より力を入れたいと考えている。
 私は、菅野さんのように、食卓への思いをもってこうした試みをしている人たちをひそかに「有機除染農家」と名づけている。「次世代に安全な里山を残したい」という思いに応えるためにも、「有機除染農業」による作物を大人が食べて支える覚悟をもってほしいと思う。

 そして、「福島のものは食べない」という選択をするのであれば、東京電力と、原発を国策として押し進めてきた国への責任追及とセットで「食べない」と声をあげてほしい。出荷できない農作物の補償についても言及してほしい。
 問題はそれにとどまらない。落ち葉や稲わらなど、堆肥の材料となる汚染され使うことができなければ、農家は来年に向けた土作りができない。それら有機質資材をどうやって手に入れるのか。来年以降の農家の暮らしを、誰がどう補償するのか。その地で暮らす子どもや若い人たちの内部被ばくをいかに防ぐことができるのか。希望者には、代替地が用意されているのか。
 さらに言うならば、そもそも500ベクレルという値自体が高すぎる。チェルノブイリ事故の後、日本が輸入一般食品の基準として決めた値は、セシウムで370ベクレルだった。また、ドイツ放射線防護協会は、福島の事故を受けて「乳児、子ども、青少年に対しては、1キログラムあたり4ベクレル以上の基準核種セシウム137を含む飲食物を与えないように推奨される(成人は同8ベクレル)」と提言している。小さい子どもにも安心して食べさせられるように、国はもっと基準値を下げてほしい。
 しかし、こう書いて、私は立ち止まる。基準値を下げることを求めれば、それによって農家がさらに苦しむことになるから。子どもを守りながら、食の作り手も支えるために、私たちは、いったい何から手をつければいいのだろう。
 あまりにも困難で不条理なこの現実を前にして、いくら考えても答えが見つからないことばかりだ。だが、混沌を混沌としたまま受け止めつつ、考え続けるしかない。同じ時代を生きる者として、一人ひとりが自らの痛みとして福島に向き合ってほしい。
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東京電力に抗議の声をあげる福島の農民たち

 菅野さんは福島県内の有機農家と連絡を取り合い、9月に「脱原発・ふくしま有機ネット」を立ち上げました。
 「放射能は畑の土も、田んぼに引き入れる水も、堆肥にする里山の落ち葉も、家畜に与える草も、すべてを汚染した。稲わらも精米した後の米ぬかも土づくりに欠かせないものだ。だから、これらの資材はすべて検査をしたい。原発と放射能は、自然の循環を活かし、いのちを守る農業をやってきたオレたちから、一番大事なものを奪った。原発と人間は共生できない。だから、すべての原発の停止と廃炉を呼びかけていきたい」(菅野さん談)

・ふくしま有機ネットブログ
・菅野正寿さんの連絡先: 二本松市太田字布沢282

 

  

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