戦後「日本国憲法」によって、新しく保障されることになった「個」の尊重と男女平等。戦前の家父長制度にあった、家庭内の理不尽な序列や差別も、憲法上否定され、それに伴い多くの民法が変わりました。女性が自己決定できる立場になり、個人として財産や親権、選挙権を持てるなど、真の人権を得たのは、それ以来のことです。
しかし、自民党の改憲草案は、これらを保障する条文のひとつ、憲法24条の改訂も視野に入れています。私たちは、「平和」「自由」そして、「権利」は、あるのが当たり前として生きてきましたが、それらが当たり前でなくなったらどうなるのか? この「憲法24条を考える」シリーズでは、改憲の動きについて、憲法24条はいかにして生まれたのかについて、また旧憲法下の実体験などを知ることを通じて、身近なテーマである「結婚」「家族」と憲法、そして個人や国家との関係について考えます。
「家族は助け合わなくてはならない」
自民党の24条改憲案は「オッサンのファンタジー」?
今年6月、『憲法って、どこにあるの?』と題した著書を出版された、法学者にして「全日本おばちゃん党」代表代行の谷口真由美さん。前回、24条は「押しつけ」ではなく、むしろ「ギフト」とのお話でしたが、一方、今出されている自民党の改憲草案の24条については「オッサンのファンタジー」だと指摘します。こうした改憲がもし実現したらどんな心配があるのか、そして、そうさせないために何をしていくべきかを考えます。
●自民党の改憲草案が実現すれば
今よりもっと息苦しい社会になる
——前回、日本国憲法は人々の意識のずっと先を走っていて、それが追いつかないままに「改憲」がちらつく今の状況になってしまっている、というお話をうかがいました。一部の「オッサンたち」は、憲法に追いつこうと必死に頑張って走っている女性たちのことが嫌いなんじゃないかともおっしゃっていましたが、それはどうしてだと思われますか。
谷口 戦後、憲法によって思うように力がふるえなくなった男の恨み辛みじゃないですか。よく「男はつらい」とか「お父さんは家で悲哀を味わってる」とかいうけど、男だけが世の中でつらいと思うなよ、と。そして、自分がいろいろ思い通りにいかないことを、人のせい、憲法のせいにするなと言いたいですね。
私は、今生きている人や次の世代が、今より楽になれる、今より機嫌よく暮らせるようになるような方向の憲法改正なら、やったらいいと思っています。たとえば、公的な場での差別を厳しく禁じるとか、性的少数者の人たちの権利をもっと広く認めるとか。でも、今出されている自民党の改憲草案は、どう考えても実現したら今より息苦しい社会になる。説教がましくて、飲んだオッサンの愚痴を聞いてるか、オッサン上司に呼び出されてご高説を賜ってるみたいな感じがするんですよね。
——自民党改憲草案24条の冒頭に付け加えられている「家族は、互いに助け合わなくてはならない」という一文など、まさに「ご高説」という感じですね。
谷口 もちろん、家族が仲がいいのはいいことですけど、誰にだって嫌いな人はいるし、家族同士でも合う合わないはあるはずです。それを全部無視して「仲良くせえよ」でしょう? 家族同士でもうまくいかないときがある、そのときにどうしたらいいのか、という話をこそするべきなのに。
それに、「家族が助け合わないといけない」んなら、女性だけじゃなく男性も長時間労働してる場合じゃなくなるし、企業ももっと育児休暇や介護休暇を取りやすくしないとあかんようになるけど、そこまで考えてるんでしょうかね。「家族は助け合わんとあかん」って言ってるオッサン自身が、「あの部長、田舎にお母さん一人でほったらかしてるらしいよ」「イヤー、憲法違反やん!」って陰口たたかれるかもしれない(笑)。
——ましてや、施設に入れてるとかいう話になったら、「なんてひどい!」ですね(笑)。
谷口 「いや、費用は出してるから」とか言おうもんなら、「お金だけ払ってほったらかしですか! いやー、信じられへんわ、憲法読んでないんですか」とかね。まあ、「互いに」と言いながら、自分のことだけはみんなが尊重してくれてという、勝手な「理想の家族像」を思い描いてるんやろうな、オッサンのファンタジーやなあ、と思いますね。
●産むか産まないか、いつ、どう産むか。
国家に介入させないという権利
——また、自民党改憲草案24条には、家族は「尊重される」とも書かれていますが、政治家の発言などを聞いていると、「家族」がどういう形態を指すのか自体が恣意的に決められるんじゃないかという不安も感じます。
谷口 森喜朗元首相の「子どもを産まなかった女性を税金で面倒見なさいというのはおかしい」という発言とか、第一次安倍内閣のときの柳澤伯夫厚労相の「産む機械」発言とか、「家族は子どもをつくるためのもの」「子どものいない夫婦は家族じゃない」と思っているんじゃないか、という発言がたくさんありましたよね。よく「口が滑った」と言いますけど、口から出てくるのは、根底にそういう意識があるからですよ。考えてないことはそもそも出てきません。
そういう旧来からの自民党の考え方が凝縮されてるのが自民党改憲草案だと思います。それが現実のものになれば、夫婦と子どもがいて、互いに助け合っている「モデル家族」は保護するけど、それ以外は家族じゃないから保護しないとか言い出す可能性もあるし、シングルファザーやマザーは今以上に差別されるでしょう。家族を形成していない、1人暮らしの人は国民として認められないということにもなりかねません。
——谷口さんのご専門である、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康・権利)とも関係してきますね。
谷口 リプロダクティブ・ライツって、個人と個人の権利調整の際に主張されることもあるけれど、要は「国家による産児制限や『産めよ殖やせよ』をさせない権利」、対国家の権利なんだということを最近強く感じています。人口爆発を防ぐために女性に危険な避妊・中絶方法が押しつけられるとか、逆に中絶せざるを得ない状況にあるのに国に禁じられていてできないとか、そういうことがあってはならない。産むか産まないか、いつ産むか、どう産むか──。これらはすべて個人とカップルの権利であって、国家がそこまで介入すべきではないという考え方なんです。
憲法でいえば、13条に定められた幸福追求権から導き出される自己決定権の一つといえると思います。
——その13条も自民党改憲案では、現行の「すべて国民は、個人として尊重される」が「人として」尊重される、と変えられ、幸福追求権を含む国民の権利も「公益及び公の秩序に反しない限り」尊重される、という言い方になっています。24条も変わって「家族」が恣意的に限定されれば、産む産まないの自由が奪われることもあり得るでしょうか。
谷口 その可能性はありますね。
今後の改憲の動きが、今出されている改憲草案そのままで進むとは思いませんが、彼らの根底の思想がここから見えるのも確か。その意味では、改憲草案の文言一つひとつに突っ込むことももちろん必要ですけど、そこに通底する思想、枝や葉ではなく幹の部分を見ることも重要やと思います。枝葉の部分はこれから変えてくるかもしれないけど、そのときに「いや、言い回し変えただけで根本はやっぱりこれでしょう」って言えるように。あの改憲草案は、そのための「ツール」になりますよ。
●政治家のおかしな発言に
「憲法」視点からツッコミを入れていく
——谷口さんの、『憲法って、どこにあるの?』にも「憲法は、私たちの暮らしの中にしっかりと息づいています」とありますが、憲法が変わるって、本来は一人ひとりの暮らしにさまざまな面で大きな影響を与えるものなのに、そうした意識はいまひとつ薄い気がします。
谷口 特に、今の日本の憲法って、国民の生活にいちいち口出ししてこないというか、「自分で考えて行動しなさい」っていうスタンスなんですよね。その意味ではすごい高度というか、高尚な理念やけど難しいんです。だから、大衆化して分かるように書き換えた自民党の改憲草案が「分かりやすい」というのも理解できなくはありません。
「憲法の理念に国民の意識が追いついていない」という話をしましたけど、本当は政治家の失言とか、何か事件が起こるたびに「これは憲法ではね」って、いちいち解説してこなくてはいけなかったんだと思います。野球の試合だって、「こんな新しいルールができたんやな」とか「あのバントにはこういう意味があったのか」とか、ただ見てるだけじゃなくて解説を聞いて初めて分かることってたくさんあるでしょう? それと同じです。
——野球解説じゃなくて「憲法解説」ですね。
谷口 そう。でも、日本のアカデミックはこれまで、まったくそれをやってこなかった。だから、これから私がやっていこうかと(笑)。政治家が何か変なことを言ったら、「ああ言ってますけど、憲法にはこう書いてあって…」ってすかさずツッコミを入れていく。そんな、日本初の「憲法解説者」になろうかと思ってるんです(笑)。
「改憲」が現実味を帯びて語られるようになってから、日本国憲法がいかに自分の生活にかかわっているのか、国のあり方を左右するのかを実感しています。私たち一人ひとりが「憲法解説者」になれるくらい、意識を追い付かせなくてはいけないと思います。
日本国憲法はびっくりするくらい立派で、理想的な内容を多く含むものだと思っています。だけどそれ故に愚かな人たちには守れていない。だから変えてしまえ。落花狼藉改憲論。権力側のやりたいことは、政府に頼るな、家族という幻想に頼れ、つまり、困ったらすべて自分でなんとかしろ、できなきゃ勝手に死ね。そこまでいうなら、せめて「自殺」くらいは楽にできるように政府は体制を整えて欲しい。そういう国もちゃんとあるから無茶な話ではないです。そうして、みーんな自殺しちゃう。最後に金持ちや権力者だけが残る。でも、彼らだけで社会が構築できますか?絶対無理。わたしはいいたい。憲法を改正という前に、まず今の憲法にかかれていることをちゃんと実践しろよ!と。
憲法改正は自民党結党以来の主張。しかし、公表した自民党憲法改正草案は憲法改正ではなく憲法破壊。そして、制定憲法は国会議員主権憲法。国民は臣民扱いに成り下がったのだ。
何をやっても、やらなくても内閣支持率が下がらない安倍政権。国民の学習嫌いが如実に表れた結果と見る。決め文句は「仕方がない」「皆さんがそうしているのであれば」である。 民主主義で憲法を破壊するコースを多くの主権者は坦々と走り始めた。ゴールの場所が分かって走っているのだろうか。ゴールが見えてからでは遅い。既に走ってきたコースは破壊され戻れないのだ。
他人に合わせて諸問題を解決しようとする態度からの脱却ができるか否か。日本の未来を占う重要課題である。