マガ9対談


「この人に聞きたい」に登場して憲法9条について熱く語ってくれた、前国立市長の上原公子さんと川田龍平さんが、このたび夏の参議院選挙に立候補を予定しています。出馬を決意した理由から、平和のこと、命のこと、憲法改定問題についてなど、じっくりお話していただきました。

川田龍平●かわだ・りゅうへい1976年1月12日、東京小平市生まれ。1995年、薬害エイズ訴訟(東京HIV訴訟)原告として、実名公表。1997年、川田龍平と人権アクティビストの会設立。2003年から松本大学非常勤講師。近著『川田龍平 いのちを語る』(明石書店)。
「川田龍平を応援する会」

上原公子●うえはら・ひろこ●1949年5月3日(憲法記念日)宮崎県生まれ。東京・生活者ネットワーク代表、東京国立市市会議員を経て、1999年5月、国立市長に立候補し当選。以降、2期8年間市長を務め、2007年4月に退任。「マガジン9条」発起人の一人。
「上原ひろ子と国会をかえよう会」

編集部 上原さんは、川田さんが参院選への挑戦を決めた時、いち早く、推薦人を引き受けたと聞いていますが。

上原 川田龍平君とは、お母さんの川田悦子さんとのつながりで、顔を合わせたり声をかけたり、応援しあったりという関係がありました。2000年の衆議院の補欠選挙に悦子さんが立候補した時、立川の駅で龍平くんが応援の街頭演説で立っていた時に、「がんばって!」と声をかけたの、覚えてる? 三多摩地区の会合などで、いろいろとお会いしていて、いつのまにか、話をするようになっていましたね。

川田 はい。僕は国分寺で上原さんが国立ですから隣町同士ですし。母が議員になった後は、母の仕事の手伝いをしていたので代わりに会合に出ることも多くなり、そこで上原さんとは顔を合わせたり、意見交換したりしていました。

上原 あの頃から私は「龍平君も選挙に出たら?」と言ってた。龍平君みたいな人に、政治をやってもらいたいと思っていたから。じっくり二人で話をしたのは、昨年、参議院に出ようかという相談を受けた時ね。すぐに賛成し、推薦人を引き受けました。それから、国立で集会を開き、みんなの前で、今日みたいに対論という形で、話をしましたね。

川田 はじめてじっくり話をさせてもらった時も、なんだか昔からの知りあいみたいに思いました。共通の知りあいも多いし。すぐに話が通じるというか。

上原 龍平君は薬害エイズ訴訟、私は環境の問題と、最初に取り組んできた運動の切り口は違うけれども、どちらも命につながる問題をやってきている。そういう意味では、考え方の根っこが同じなんだな、と思います。

編集部 出馬表明の記者会見の際のお二人のことばには、共通点がたくさんありました。政治の右傾化への懸念、命や環境の問題のこと、そして憲法9条を活かすということ。日本人として、今の政治は許せない、だまっていられない、と川田さんが言い、上原さんは、日本人をやめるわけにはいかない、あきらめるわけにはいかない、とおっしゃっていたのも印象的でした。

上原 そう。だっていくら政治家を批判したところで、結局は自分たちが選んだ人たちです。だから批判するのなら、また自分たちで選び直さないといけない。なのに今は、私たちが主権者だということに自覚的な人が少ない。そういった人たちの無関心さや、空気に流されてしまうところが、こわいと思います。 

川田 僕自身も、以前は政治への関心はそう高くなかったのです。でも98年から2000年までドイツのケルンに留学をしていて、その時感じたのが、ドイツ人が日本のことで関心を持つのは、車、バイク、スキー選手、そして日本の政治家が何を言ったか、ということ。政治家の言動の重みを感じたと同時に、自分たちが選んでいる国会議員、そのリーダーである首相の発言に、日本人として恥ずかしい思いをすることがしばしばありました。今のままではいやだ、自分たちで日本の政治を変えたい、そう思ったのはドイツで暮らしてからです。
 それとは別に、戦争の問題に関心を持ったのは、95年に沖縄に行って集団自決の現場や写真を見ながら、その当時の話を体験者から聞いたことが大きいです。彼らは紛れもなく日本軍の命令によって自決した、国によって殺されていったのです。しかし国は未だに戦争の責任をあいまいにしてきている。今また「軍の命令はなかった」というようなことを言い、教科書の記述を削除しようという動きがありますが・・・。
 こういったことは、まったく薬害エイズの時と同じです。国(厚生省)が責任をあいまいにしてきた姿勢と同じです。水俣病、薬害スモン病、サリドマイド被害、ハンセン氏病・・さかのぼっていくとそれは、戦争の責任をあいまいにしてきたことにいきつくのではないか。結局それは日本にとって、責任をとろうとしない60年だったのではないか。そう思ったのです。
 また、そのころ元「従軍慰安婦」の人たちが、日本政府に謝罪を求めていました。自分もちょうど薬害エイズの問題で実名公表して訴訟を起こしていましたが、国に「お金ではなく心からの謝罪をして欲しい」と思ったこととも重なりました。

上原 龍平君の場合は、いのちの問題を自分の経験と重ねて考えることができるから、説得力もあるし力強い。

川田 沖縄の集団自決の話にもどりますが、集団自決というのは、家族で殺し合いをしたということです。僕の母はその写真を見て、薬害エイズで12歳で死んでいった子どもの写真を、その親ごさんから見せてもらったことを思いだしたそうです。親は死んでいく子どもの写真なんて撮りたくない、この集団自決の写真だって、こんな悲惨な現場を撮りたい人はいないだろう。でもそれを写真に収めた、ということは、こんなに悲惨な出来事があった、集団自決も薬害エイズも、それを誰かが後世に伝えていくために残したのだということに気がついたのです。ということは、僕にはこの自分の問題を風化させないよう、ずっと伝えていく使命があるのではないのか、と。
 それまでは、ただ裁判に勝ちたい、という思いだけでやっていたのだけれど、もう二度と国によって殺されるという被害者を出してはいけない、繰り返してはいけない、そのためには薬害エイズ訴訟の体験を伝えたいと思うようになり、大学で講師を務め、小学校で講演を続けてきました。

上原 実名公表したのは、たしか19歳の時?

川田 はい。今思うと19歳という若さだからできたのかなとも思いますが。仲間からはして欲しくないとも言われたし、親や親戚の反対があって実名公表できなかった人もたくさんいました。エイズというだけで、すごく差別的に見られていましたから。僕のところは、兄、母、父、誰も反対はなかった。父は匿名裁判には反対していたけれど、実名公表については、賛成していたんです。

上原 龍平君の場合は、そうやってまさに命をかけて闘ってきたわけだけれど、それも今の憲法があるから闘えたし、勝てたのよね。

川田 もちろんそうです。憲法があるから国を相手に裁判をして勝てたんだと思います。

上原 先日、コスタリカから留学しているロベルト・サモラくんに話を聞く機会がありました。米軍のイラク戦争に対して、賛同表明した大統領を、憲法違反で訴えたあの少年です。コスタリカでは親が子どもに、憲法のことをよく教え、生活の中に憲法があるという話を聞きました。実際、憲法も「ある」だけではなく、活かさないとだめ。日本でも、第14条、24条で男女の平等は書かれているけれど、ずいぶんと社会における男女不平等は続いていたし、男女雇用機会均等法ができたのは、ほんの20年前のこと。これも私たちの先輩がずっと戦い続けて、ようやく一つ、実現させたもの。

川田 憲法第12条には「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつてこれを保持しなければならない」と書いてあります。“不断の努力”という言葉は、ただ権利を有しているわけでなく、やはり運動をしたり裁判をしたり、そうして勝ち取らなくてはならないですね。
 今、僕が憲法の中で中注目しているのは、9条もそうですが99条です。「憲法を守るのは、天皇および摂政および・・公務員である」という憲法遵守義務のところ。しかし、今、憲法を変えようといっている人たちは、99条を平気でおかしていることになります。

編集部 国民投票法の審議において、野党の委員が「公立学校の教師は、憲法改定についてどう言えば違法であり、違法にならないのか」と質問したところ、与党のある委員は「教員が、憲法は素晴らしいと言うのはいい。でも素晴らしい憲法を守ろうというのは、一方に偏っていてだめだ。中立であるべきだ」そう答えたそうです。公務員は99条に書かれているように、憲法を守るのがあたりまえなのに、そんなあたりまえのことを言ってはだめだと、国会で審議されていること自体が間違っているし、おかしな世の中になっているのかなと思いますね。

川田 一人の人間の思想が入り込むわけだから、教育において中立って、ありえないですよね。それは子どもたちが判断すればいいことだし。それに何が中立なのか? 公の言うところのその中立が、今やぐんと右に寄っているわけで、それこそ、間違った政治教育がされようとしていくようで不安です。99条を守らない政治家によって、法律の成立にもいろんなおかしな歪みが出てきています。
 例えば、社会保障の問題で言うと、今、どんどん地方分権が言われ、合併が促進され、本来なら国の責任でやらなくてはいけないことまで、地方自治の責任にされようとしているように思います。25条そのものは変わらないのだけれど、今まで国が保障していたことまで、地方に移譲していくようなこと。例えば、年金、保健などは、地方自治体でみていくのは難しいのでは? それと92条の地方自治との関係については、どう思いますか?

上原 25条があるかぎり、社会保障制度は国の責任です。自治体がそれをやると地域によって不平等が生じます。25条、いわゆる生存権は国民全員が等しく持つ権利であり、国の制度の一番の基礎です。私は、9条と25条の「二つの安全保障」について、今回基本方針でも書きました。まずは国内においては、25条で国民の文化的で最低限度の生活を営む権利、すなわち暮らしを担保し、そして国際的には軍隊を持たないで平和外交の国づくりを担保する9条をちゃんとやる。それが今の憲法の根幹であり、憲法が描いた国のあるべき姿は、そこだと思う。そして私たち国民はその実現のために税金を出し合っている。安心、安全という保障が消えてしまっては、国の存在の意味すらなくなる。この二つの安全がなければ、人間は生きていけません。
 92条は、自分たちが暮らす地域、地方の自治においては主権者である自分たちで決めるということを定めています。法律も地域に合わせて独自に制定することができます。だから地方自治体の単位は小さいほどいい。でも今、予算の問題などでどんどん合併されるのは、これは問題。しかし92条はこれまた世界でも類をみない、優れた条文です。

編集部 さて、前回の衆議院選挙は、郵政民営化を焦点にし、自民党が大勝しました。今度の参院選は、憲法改定を焦点にすると安倍首相は再三言ってきましたが、内閣の支持率急落により、焦点がぼやけてきました。

上原 前回の選挙も本当は社会保障だったはず。それなのに「郵政民営化」一色の小泉劇場を作って刺客を送り込み面白そうなシナリオにした。有権者はみんな劇場に巻き込まれて、自民党を大勝させ、衆議院では三分の二以上の与党勢力を作ってしまった。・・・あんなことは二度と私たちやってはいけない。

川田 でも選挙は戦いですからね。与党の議員や応援している人たちを見ていると、それはみんな勝つために、朝から夜までフル回転してます。

上原 そうね。現職や与党側は、パワーの上でも制度の上でも、断然有利なわけだから、私たちは10倍も20倍もがんばらなくちゃいけない。

編集部 お二人には、党派を超えて国会でタッグを組んでがんばっていただきたい。

上原 龍平君も以前から言っているけれど、環境問題、平和運動などを推進する市民運動が結びついた、ドイツにおける緑の党みたいな政党が日本にもできるべきよね。ドイツ緑の党は、一頃の勢いは失っていますが、それでもドイツやヨーロッパの戦後の歴史には、大きな影響力を残しました。社民党は、ドイツの緑の党のような役割も含めて、もっとウイングを広げ柔軟な党になるべきだし、私ならそのコーディネート役ができると思っています。

川田 昨年アフリカのケニアで開催された「グローバル・ヤング・グリーン」の会合に出席してきました。これは環境と平和のための政党の国政的なネットワークで、僕もスピーチしました。日本ではまだまだ知られていない緑の政治ですが、世界のあちこちでは政党として影響力を持っています。日本でももっともっと緑の政治を広げていかなくてはいけないですね!

編集部 お二人の話はつきないようですが・・・この続きは是非国会で!

 

  

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