今夏の参院選までいよいよ一カ月弱と迫るなか、全国各地で選挙への関心を高めるために、草の根での取り組みが広がっています。「憲法カフェ」もその手段のひとつ。先月8日、東京都・杉並区(高円寺)では、選挙の大きな争点となる「改憲」をテーマに、市民有志グループによる憲法カフェが開催されました。『小さいおうち』で直木賞を受賞した作家の中島京子さんも有志メンバーのおひとりです。
参院選では「改憲」も大きなテーマ。第1部では、マガジン9でもおなじみの太田啓子弁護士による自民党の改憲草案についての講演、第2部では中島さんと太田さんによる「『小さいおうち』の時代から学ぶべきこと」「無関心でいることのこわさ」などについての率直なトークが行われました。今回は、その第2部でのトークの内容をレポートします。
※このレポートは、5月8日に東京都・杉並区(高円寺)で開催されたイベント「杉並・緊急憲法カフェ ‟改憲”で、暮らしがこんなに変わる!?」(主催:自由と平和のために行動する議員と市民の会@杉並 運営:杉並「憲法カフェ」実行グループ)の第2部で行われたトーク内容を基に編集したものです。イベント全体の内容は、Youtubeの動画でご覧いただけます。
中島京子(なかじま・きょうこ)東京女子大学卒業。2003 年、小説『FUTON』(講談社文庫)で作家デビュー。2010年『小さいおうち』(文藝春秋)で第143回直木賞を受賞。『妻が椎茸だったころ』(講談社)、『かたづの!』(集英社)、『長いお別れ』(文藝春秋)など著書多数。
太田啓子(おおた・けいこ) 弁護士。国際基督教大学卒業。2002年弁護士登録(神奈川県弁護士会「明日の自由を守る若手弁護士会」のメンバー。カジュアルな雰囲気で憲法を学べる学習会「憲法カフェ」や「怒れる女子会」などを企画・開催している。女性誌・TV番組などメディアでも活躍中。
空襲まで、戦争の実感はなかった
中島 私が書いた小説『小さいおうち』では、タキちゃんという元女中さんが、奉公していた平井家の様子を回想しています。それがちょうど、昭和初期から戦況が激しさを増していく時代のこと。それで、よく「戦前みたいになってきた」という危機感をもつ方から講演を頼まれることもあるのですが、いつもお話をしているのは、戦前と戦後の状況では大きく違う点があるということです。それは日本国憲法があるかどうか。だって、当時の女性には選挙権もなかったんですよ。
太田 たしかに、そうですね。
中島 小説の中では、それまで楽しく過ごしていた女中のタキちゃんが、「はっ」と気がついたときにはものすごい戦争になっています。実際に、そういう人も多かったと思う。でも、小学校しか出ていなくて、選挙権もないタキちゃんのような人を「なぜ何もしなかったのか」と責められるかといったら、ちょっと責められない。だけどいま、私たちは選挙権をもっているし、新しい憲法もある。未来に同じようなことが起きたら、それは私たちに責任があると思うんです。
太田 『小さいおうち』に出てくる平井家の旦那さんは玩具会社の役員で、すごく羽振りがよくなった時期もあって、「やっと戦争が始まったな」と開戦に対しては歓迎ムードだし、「どうせ日本が勝ってすぐ終わるよ」って感じでイケイケなんですよね。自分の国が戦争しているという実感がどこまであったのかなと思いました。
中島 当時のことを調べていくと、空襲があるまではそんなに実感がなかったようなところもあるんです。戦地に行っている人は違うんですけれども。たとえば、日中戦争が始まり、まだ太平洋戦争が始まる前くらいの頃は、女性たちが三越デパートにいって、兵士に送る慰問袋を買っていたんです。自分たちでチクチク手縫いしていたのかと思いきや、デパートで売っているものを「じゃあ、これを送っておいて」とやっていた。戦争の実感はほとんどなくて、景気がよくなるので、むしろ歓迎していたという印象でした。
太田 小説に出てくる睦子さんという職業婦人も印象的でした。彼女は出版社に勤めている頭の切れる編集者ですけど、ものすごい軍国婦人。評論家の斎藤美奈子さんの『モダンガール論』(文春文庫)という本にも書かれていますが、戦時中は、先進的な女性が実はすごくはりきっていたと聞きます。
中島 それまで家にいた女性にも活躍できる場ができたからですね。
太田 それを政府もプロパガンダで使った。『モダンガール論』でも紹介されていましたが、旋盤工をやっている女性が、「これまで男性しかやってこなかった仕事をがんばっています」と、政府の偉い人と対談をしているのが女性誌に載ったりしている。でも結局、この戦争でたくさんの命が失われていくわけで、それがこわい。
「気づかない」人にも責任がある
中島 今日があって明日が来て…と生活している中で、突然何かが大きく変わるわけじゃないんですよね。じんわりじんわりと、気がつかないうちに変わっていく。
太田 それって「今がまさにそうじゃん!」と思うんです。そこまで生活に不自由していないかもしれないけれど、おそろしいことが政治で進行している。気づいて声をあげている人もいますけど、気がつかないで能天気に暮らしていると、ある日、「ボンっ」と…。
中島 戦前の人たちだって、ぼんやりしていた人だけじゃなかったと思う。だけど、そういう声は小さくなっていったり、消されたりということがあったわけです。
太田 伊丹十三さんの父親である伊丹万作さんが、戦後に書いた「戦争責任者の問題」という文章の中で、日本国民全員がみんなだまされたと言うけれど、夢中になってお互いにだましだまされたりしていたんじゃないかと書いているんですよね。それから「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」として、だまされたのは悪いことなんだ、ということも言っています。
多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。
「戦争責任者の問題」(伊丹万作)から引用
太田 この文章を読むと、70年前に書かれたとは思えないくらい。「だまされている」というと、きつく聞こえるかもしれないけれど、「気づかない」「気づこうとしない」ということも同じ。そんなことも、私が憲法カフェをやっている動機です。毎日ただでさえ忙しくて、政治に関心をもつ余裕がないかもしれないけれど、関心をもたないと怖いよ、と…。
「押し付け憲法」へのこだわり。
物語にのせられてはダメ
中島 改憲の話に戻りますけども、ちょっと前までは、改憲といえば憲法9条の話でした。でも、今はなんだかそうじゃないですよね。話し合うための共通の基盤を揺るがされている感じがあります。
太田 憲法を変える/変えない以前のところから、かみ合っていませんよね。よく「安倍さんは本当に憲法を変えたいのだろうか」という質問を受けるんですが、過去の発言をたどっていくと、「押し付け憲法(占領時にGHQがつくった憲法で、敗戦国におしつけたものであるという主張)だから変えよう」、というところに行き着くんだなと感じています。
中島 まじめに話し合うのが心配になるような憲法観ですよね。やっぱり敗戦の怨念みたいなものがそこにある。私は小説家なので、怨念にはそこそこ興味があって、「つらい」、「負けた」とかいう思いは、昇華されないといけないものだと思いますが、だけど、それが「改憲」という方向にいくのが怖い。もう一回憲法を変えて、戦争をやって勝とうと思っているのか? という怖い情念を感じます。
太田 「押し付け憲法論」というのは、よく聞く議論だと思いますけれど、事実を歪曲していると思っています。たしかにGHQ草案が基にはなっているけれども、民間で作られていた憲法私案も参考にされている。あくまで草案はたたき台であって、日本の国会でもしっかりと議論がされているのが議事録にも残っています。いまの憲法に緊急事態条項(狭義のもの)がないのも、国会での議論の結果です。ほかの国だって、何か新しい法制度をつくるときは、外国の制度を参考にしてアレンジすることがあるものでしょう?
中島 そうでしょうね。
太田 いまの憲法は、当時の人類が到達していた英知の結晶みたいなものでもあるわけです。それなのにGHQが草案をつくったことだけにこだわるのは、すごくおかしい。9条の戦争放棄は、幣原喜重郎から提案したという話も出てきていますから、そうしたことを踏まえると、”押し付けられた屈辱的なもの“というのは史実じゃないと感じています。
でも、人は思いたいように思うものなんですよねえ…。
中島 そう! 思いたいように思うんですよ。そこに「物語」をつくってしまっているのが非常に問題。「その物語にだまされないでください」と非常に強く言いたい。そういう怨念にとらわれている人たちが、国会議員のような憲法遵守義務のある職について、憲法を変えようと思っているというのは怖いこと。普通に「憲法を変えよう」というのはちょっと違いますよね。そもそも「改憲」という言葉があてはまるのかな、と思います。
太田 いまの憲法を変えようというより、この憲法自体を否定したいというメンタリティーがある。「改憲」じゃなくて「反憲」ですよ。だから、立憲主義の話をしても、なんだか空しいんですよね。「立憲主義に反していますよ」と言っても「それが何か?」と言われそうで…。でも、ちゃんとおかしいと言っていって、そこに共感する人を増やすことは大事。そして、最後はやっぱり選挙で結果を出すことです。
(その2に続きます)
杉並区民を中心とした有志メンバーで行われた憲法カフェは、定員がすぐにうまって満席だったそうです。対談は、『小さいおうち』を書かれるにあたって、当時の人たちの暮らしを調べたという中島さんならではのお話。「それってまさに今」という太田さんの言葉にも、はっとさせられます。いまの憲法をもつ私たちの責任をしっかり感じなくてはいけません。