NPBは審判にもっと義務と権限を
今年のプロ野球日本シリーズは千葉ロッテ・マリーンズが4勝2敗1分けで中日ドラゴンズを下した。全7戦のうち延長戦が3回。メディアの多くはその熱闘を伝えたが、私には、僅差のスコアほど、エキサイティングな試合ではなかった印象が強い。両チームとも決め手を欠いていたせいか、ベンチから細かい指示や選手交代が頻繁に出され、その都度、試合が中断されたからだろう。とにかく試合時間が長かった。
中日を率いる落合博満監督はドラゴンズをセ・リーグの常勝球団に育て上げた。2003年に就任してから、7シーズンのうち、リーグ優勝3回、日本シリーズ出場4回(1回は2位からクライマックスシリーズを勝ち上がった)、ぺナントレースを制することができなかったシーズンも、すべてAクラスを確保している。だが、これだけの実績を誇りつつ、日本シリーズは1勝3敗と苦手にしているのである。
長いリーグ戦のなかで確立された勝利の方程式からはみ出した、突拍子もないプレーをするような選手が現れないことが、短期決戦に勝てない理由のひとつではないか。中日の選手はベンチの指示に忠実なあまり、プレーが委縮しているようにも見えた。
野球は確率のスポーツだ。ある局面で投手はどんな球種を投げるのか、打者はバッターボックスでどのコースを狙うか、また、選手交代のタイミングはいつか。最適な判断をするためのデータをベンチは豊富にもっている。しかし、4時間を超える試合での緻密なベンチワークは、頭脳戦の面白さがあるとはいえ、野球のもっている躍動感を奪ってしまう気がする。
監督はチームの勝利を最優先に考える。そのためにあらゆる策を講じるのは当然であろう。監督に苦言を呈するのは筋違いだ。むしろ私は、審判に試合をスピーディに進める義務と権限を与えることを提案したい。
他のスポーツと違って、プロ野球では審判が選手や監督から抗議を受ける回数が多い。ジャッジに怒って、フィールドに飛び出し、審判に詰め寄る監督がもてはやされたりする。審判の存在が軽んじられている証拠である。
そうした行為を許さないのはもちろんのこと、タイムや選手交代の時間をできる限り短くさせ、試合の流れが途切れさせないコンダクターの役割を審判に担ってもらいたい。
先の南アフリカ・サッカーワールドカップにおいて、日本人審判である西村雄一氏と相楽亨氏が、その正確なジャッジと的確なゲームコントロールによって高く評価された。プロ野球もリスペクトされる審判の在り方を考えるべきではないか。
その際に最も重要なのは日本野球機構(NPB)が組織として、きちんとピラミッドの体をなすことである。審判がゲームを管理できる環境づくりに、NPBの支えは不可欠だ。たとえば、ある審判のジャッジが試合を中断・紛糾させてしまった場合、その場を収束させ、内外の非難から審判を守った上で、最終的に彼の処遇を決めるのはNPBのコミッショナーである(現コミッショナーは第12代、加藤良三氏)。
ところが、NPBの歴史を振り返ってみると、そのトップであるコミッショナーよりも、一球団のオーナーの方が権限をもっていると思わせるケースが何度もあった。コミッショナー人事が高級官僚の天下り先ポスト(第7代の下田武三以降のコミッショナーはすべて官僚経験者である)とみなされているのも、NPBのヒエラルヒーが確立されない要因のひとつだろう。
落合監督は日本シリーズの抱負として、「野球の素晴らしさを伝えたい」と語った。しかし、そのためにNPBがやるべき課題は少なくない。そんなことも考えさせられた今季プロ野球のフィナーレだった。
(芳地隆之)