サラエボの銃弾から100年目の
ワールドカップ
~日本代表はテストマッチに注目しよう~
旧ユーゴスラビア生まれのノーベル文学賞作家、イヴォ・アンドリッチの小説に『ドリナの橋』(松谷健二訳・恒文社)という作品がある。舞台はヴィシェグラードというサラエボの東部に位置する山間の町だ。ボスニアとセルビアを隔てて流れるドリナ川にかかる橋は1571年、オスマントルコ帝国によって建設された。いわばイスラム教徒とセルビア人を結ぶ橋である。
それから300年後の1871年、オーストリア=ハンガリー帝国軍がオスマントルコに代わる新しい支配者としてやってきた。南東欧のバルカン地域は、欧州列強にとって、通商・軍事面で無視できない位置にある。オスマントルコ帝国撤退後の同地域では、オーストリア=ハンガリーとロシアの2大帝国が互いに睨みをきかせ、ロシアは同じスラブ人の国であるセルビアと同盟関係を結び、一方のオーストリア=ハンガリーはドイツの力をバックに支配権の確立を狙っていた。
オーストリア=ハンガリーによるボスニアの併合は、隣のセルビア王国、わけても民族主義者たちを刺激した。そして1914年6月28日、ボスニア最大の都市、サラエボを訪問したオーストリア=ハンガリーの皇太子、フランツ・フェルディナントと彼の妻ゾフィが、セルビア人青年、ガヴリロ・プリンツィプらに暗殺される。
『ドリナの橋』の最終章はサラエボ事件の日から始まる。サラエボのニュースがヴィシェグラードに伝わると、町は重苦しい沈黙に包まれ、やがてそれを突き破るようにセルビア人狩りが起こるのである。
サラエボ事件から1カ月後、オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告。ヴィシェグラードに駐留するオーストリア=ハンガリー軍は、セルビアにつながるドリナの橋を爆破した。343年の年月を刻んだ橋の歴史はあっさりと幕を閉じ、オーストリア=ハンガリーとセルビアの戦火は、やがてヨーロッパ全土、そして世界を巻き込む第一次世界大戦へと拡大していく。
先日、NHK BSで放映された『オシム73歳の闘い』を見ていて、この小説を思い出した。サラエボ出身で元サッカー日本代表監督のイビツァ・オシムは、ボスニア・ヘルツェゴビナ・サッカー協会の正常化委員会委員長として、ボスニア人(イスラム教の共同体に属する民族)、セルビア人、クロアチア人と互いに反目する民族系のサッカー協会を取りまとめる役割を担った。1990年サッカーワールドカップ(W杯)イタリア大会で、ユーゴスラビア代表を率いてベスト8に進出するも、その後の激しい内戦に抗議し、代表監督を辞任した彼以外に、この難題に取り組める人物はいなかった。
日本代表監督時に襲われた脳梗塞の後遺症により、オシムの足取りはゆっくりで、乗用車の乗り降りには介添えを必要とする。しかし、鋭い眼光と説得力のある言葉は健在だ。彼は3つの民族をまとめていく。
そして2014年W杯ブラジル大会出場をかけたリトアニアとのアウェーの試合を勝利したとき、オシムは指で目頭をぬぐった。クールで皮肉な物言いを常とする人物が見せた涙だった。
サッカーにはバラバラだった国をひとつにする力がある、とオシムは言う。ただ、サッカーが民族の代理戦争のようになることも彼は経験済みである。『オシム73歳の闘い』では、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内リーグで、民族系のチームを応援するサポーターが暴れないよう、警察官が監視するシーンも描かれている。
リーガ・エスパニョーラの試合で、FCバルセロナに所属するブラジル人選手、ダニエウ・アウベスに向けて、スタジアムからバナナが投げつけられたのは先月のことだ。「お前は猿だ」という蔑みである。この行為の当事者に対して国際サッカー連盟(FIFA)が永久入場禁止という厳罰で対処したのは、サッカーというスポーツに、国、民族、宗教間の対立を誘発する危険性があることを認識しているからだろう。浦和レッズサポーター席の通路に掲げられた横断幕「JAPANESE ONLY」に対して、Jリーグは無観客試合というペナルティを課した。FIFAの理念を共有していることを示したのである。
オシムは自らを「サラエボっ子」という。どの民族にも属さない。カトリック、正教、イスラム教、ユダヤ教など、多くの宗教や民族が混在したコスモポリタンなこの都市で生まれ育ったことの誇りをうかがわせる。
『ドリナの橋』で描かれている多くは、長い歴史のなかで互いに文句を言い合いながらも、ともに暮らす様々な民族の姿である。第1次大戦勃発から100年。その震源地、サラエボを首都とするボスニア・ヘルツェゴビナ代表には、W杯ブラジル大会で民族対立を越えた融和の象徴として輝いてほしい。
さて、先日、アルベルト・ザッケローニ監督から日本代表メンバーが発表された。その顔ぶれに意外性はなく、ある程度、完成されたチームと見ることもできるだろう。だが、チームの核となる選手が前回の南アフリカ大会と変わらないようであると、本大会での躍進は難しくなるのではないか。
前回の南アフリカ大会本番直前に行われたテストマッチ、なかでも対イングランド戦が強く印象に残っている。前半に田中マルクス闘莉王のシュートで先制した日本は、後半、闘莉王と中澤佑二の2人のディフェンダーによるオウンゴールで敗れたものの、全体として素晴らしい動きを見せていた。とくに阿部勇樹のプレー。守備的ミッドフィルダーとして、相手の攻撃の芽を事前に摘み、数的有利でシュートまでもっていかせないという岡田武史監督の戦術を体現しているかのようだったのである。
それでも防ぎきれない強烈なシュートを何度もセーブしたのがゴールキーパーの川島永嗣だった。彼は抜群の反応でPKも止めた。代表メンバー発表時は、まだサブ的存在と見なされていた阿部・川島の両選手が、この試合のパフォーマンスにより、スターティングメンバ―に名を連ねたことが、本大会ベスト16進出の要因のひとつだったと私は思う。
ちなみにその前の2006年ドイツ大会ではどうだったか。ドイツとのテストマッチはほぼ不動のメンバーで2対2の引き分けだったと記憶している。高原直泰の2ゴールで一時は2対0とリードしたこともあり、「強豪かつホスト国のドイツと互角にプレーした」ことで日本代表への期待は高まったのだが、あの試合からは当時のジーコ監督が本大会でどういう闘い方をしたいのかが伝わってこなかった。同監督の掲げるスローガン「自由と創造」を地で行っているのか。結果は予選リーグ2敗1分けで敗退している。
日本代表の下馬評の低かった南アフリカ大会でのテストマッチは、本大会での活躍を予感させ、期待されたドイツ大会でのそれは先行きを不安にさせた。ブラジル大会の前に行われる5月27日の対キプロス(埼玉スタジアム)、6月3日の対コスタリカ(アメリカ・タンパ)、6月7日の対ザンビア(タンパ)でのテストマッチはどうだろう。ここでサブ的選手がレギュラー組のポジションを奪い取る「サプライズ」があるかないかで、日本代表の戦いぶりが占えるかもしれない。
(芳地隆之)