「JAPANESE ONLY」について考えさせられたこと
ドイツのサッカーリーグ「ブンデスリーガ」の一部チーム、ヘルタ・ベルリンとバイエルン・ミュンヘンの試合を観るため、ベルリンのオリンピック・スタジアムに出かけたことがある。10年ほど前のことだ。同リーグ屈指のメジャーチーム(バイエルン・ミュンヘン)の試合とあってチケットは完売。前売りチケットをもっていなかった私がとぼとぼとスタジアムを後にしようとしていたところ、ヘルタのサポーターから声をかけられた。チケットが1枚余っているので、譲ってくれるという。
「ゴール裏のサポーターのエリアだけれども、いいかい?」
悪いわけがない。私は一転うきうきと、彼の後をついてスタジアムに入った。
「日本のリーグではジーコがプレーしたんだろ?」
ハーフタイムに、彼の仲間の青年から声をかけられた。Jリーグに関心があるようで、「(日韓ワールドカップで活躍した)イナモトは日本ではどこのチームにいるんだ?」とか、「ギドー(1990年イタリアW杯優勝メンバーのブッフヴァルト)は日本でプレーしてたんだろ」とか。
私は私で、「リトバルスキーが日本代表監督になったらいいと思う?」と尋ねたりしていた。ピエール・リトバルスキーはブッフヴァルトとともに上記W杯で優勝を果たした1人。Jリーグのスタート時、ジェフユナイテッド市原でプレーした彼は、日韓ワールドカップのテレビ中継で日本の試合の解説を担当していた。ドイツで知日派とみなされていたから、私は「もしかしたら」と思ったのである。返事は、「うーん、ぼくは彼(リトバルスキー)を選手としては評価するけれど、(監督としては)やめておいた方が日本のためかな」という微妙なものだったが。
そんな会話もあって、私はその場がとても心地よく、最後はヘルタ・サポーターと一緒にチームソングのひとつ、ロッド・スチュワートの『セイリング』の合唱に加わり(替え歌になっていたので、さびの部分だけ熱唱)、「ブンデスリーガにも、日本人選手が来ればいいのに」と思ったものだ。当時はまだブンデスリーガでプレーする日本人はほとんどいなかったのである。
先日、浦和レッズのホームである埼玉スタジアムのサポーター席入り口に「JAPANESE ONLY」という横断幕が掛けられていたというニュースを聞いて、私が思い出したのは、ベルリン・オリンピック・スタジアムのサポーター席での楽しい記憶だった。もし、あそこに「GERMAN ONLY」という張り紙があったら、私はブンデスリーガの試合を二度と見なかったかもしれない。
なぜアパルトヘイト時代の「WHITE ONLY」まがいの言葉が掲げられたのか? 浦和レッズの淵田社長によると、横断幕を掲げたサポーターグループは、「最近、海外からの観光客が増えて応援の統制が取れなくなっている」「ゴール裏は『聖域』。自分たちが応援してきた場所」などと答えたという。
変わらぬ仲間と一糸乱れぬ応援をすることの心地よさをスタジアムに求めているのだろう。日常を忘れさせてくれる時間と空間を外国人に邪魔されず、自分たちだけで独占したい。そこには外国人差別というよりも、日本人特有のスポーツ観戦のあり方があるように思えた。
テレビでイングランドのプレミアリーグを見ていると、サポーターは応援ソングを歌うが、鳴り物はほとんど使わず、ゴール裏でも、試合を通して立っていることはない。ときに選手のプレーを凝視する沈黙が生まれ、素晴らしい技術やとっさの判断力にはどっと歓声と拍手が沸く。静と動の抑揚がスタジアムに躍動感を与えているように感じる。
かたやJリーグはどうだろう? 90分間、サポーターは立ち続け、「音」が絶えることがない。これではかえってフィールドの緊張感を削いでしまうのではないか。ときには黙って選手の一挙手一投足に注目し、素晴らしい動きには賞賛を惜しまず、まずいプレーにはブーイングを浴びせる。そうした観戦の仕方があってもいいのでは? と思うのである。
今回の事件が、スポーツを楽しむとはどういうことか、を私たちに考えさせるきっかけになってほしい。2020年に東京五輪を控えるならば、なおさらだ。「JAPANESE ONLY」などという言葉がまかり通る国に、国際スポーツイベントを開催する資格はない。
今年、Jリーグのチェアマンに就任した村井満氏が、上記サポーターに対して浦和戦の無期限入場禁止処分、次回のホームゲームは無観客試合にするとした。J2の岐阜FCのサポーターはスタジアムに「SAY NO RACISM」の横断幕を掲げた。チェアマンの決断と岐阜のサポーターにJリーグは救われたと思う。
(芳地隆之)
個人的には即人種差別と決めつけてあのような横断幕が掲げられた理由も考慮せず、人種差別はよくないからやめようという報道になった事に逆に違和感を感じます。
そもそもプロスポーツにおいて外国人の助っ人を呼ぶのは当たり前ですし、特にサッカーは外国人選手だけでなく外国人監督も当たり前にいる状態であるにも関わらず、今更人種差別の横断幕を出す必然性が考えられないのです。
横断幕を出した本人たちはゴール裏の聖域に外国人が入ってほしくはなかったと言っているようですが、以前に外国人とトラブルがあったのかもしれないですし、日本を陥れるための外国人の自作自演かもしれないのです。
横断幕を出した本人たちの情報が全くと言っていいくらい出てこないのも異常です。
そもそも人種差別にすら理由はあるのです。その理由を無視し、「人種差別は駄目」の一点張りで抑圧し続ければいつか爆発します。本当に人種差別を無くしたいならその理由を無くしていく事こそが大切です。
それを無視した「人種差別は悪」一辺倒の今回の報道、対応には違和感を感じます。
今回のことはレイシズムの問題であって、応援の仕方に関することではない、とメガホンとハッピで応援歌を歌う野球好きの私が思います
同感です。外国人(観光客)のマナー(応援の仕方)の問題と、「JAPANESE ONLY」という横断幕を掲げる事(レイシズムと取られかねない表現)の是非の問題は、分けて考えるべきではないでしょうか?
〈J1浦和は、「JAPANESE ONLY」という横断幕を掲げたのは男性3人で、彼らを含むサポーターグループ約20人に対し、浦和戦の無期限入場禁止処分を下したと発表した。〉とのことなので(http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/13/urawa-reds_n_4960497.html)、十分「本人たちの情報」は出てるといえるのでは??
そして「外国人とトラブルがあった」としても、それをもって「全ての外国人を排除」はまったく正当化できない(というかレイシズムそのもの)と思います。