映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載がスタート!
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第6回

参院選直前。この「恐るべき無関心」と、どう闘うか。

 7月6日、拙作『選挙2』のロードショー初日を迎えた。僕の観察映画にとってすっかり「ホーム」のようになった、東京・渋谷の映画館シアター・イメージフォーラムでは、お陰様で観客の入りも好調だ。

 先日はザ・ニュースペーパーの福本ヒデさん扮する「ニセ・アベ首相」に映画館へ舞台挨拶に来ていただいた。ヒデさんの人気は凄まじく、平日の昼間だというのに「立ち見でも観たい」という観客で劇場がごった返した。

 「私どもの改憲案が通ったらこのような映画は上映できなくなります。ですから国民のみなさん、今のうちにお楽しみ下さい」などと、相変わらず皮肉たっぷりのニセ・アベ首相。会場は爆笑の嵐に包まれ、僕も山さんも配給会社のスタッフも、確かな手応えを感じた。

 みんな、僕らが『選挙2』を参院選にぶつけて公開した意図を、敏感に汲み取っている。無関心が広がり民主主義が崖っぷちにあることに、危機感を抱いている。なんとかしなければ、と思っている。そういう意気込みと熱気が伝わってくる。まだまだ捨てたものではない。そう、感じた。

 しかし、映画館から一歩外へ出ると、そこは完全なる「アウェイ」であった。

 僕らは、舞台挨拶の熱気も冷めやらぬまま、映画館から徒歩10分と離れていない渋谷駅モヤイ像前へ繰り出した。メンバーは、「あべそうり」とひらがなで書かれたタスキをしたニセ・アベ首相と、防護服にタスキをかけた山さん。黄色いTシャツに身を包み、『選挙2』のチラシを手にした配給宣伝チーム。傍らには山さんが実際の選挙運動で使った拡声器。

 要するに、選挙運動スタイルを模した街頭プロモーション活動である。「入場料を払って立ち見でも観たい」という出し物を、そのまま無料で街頭でやるわけだから、人々の関心は喚起されるはず、だった。少なくとも、僕らはそう期待していた。

 ところが、である。

 山さんが拡声器で第一声を放った瞬間、僕らは身体が固まるような思いをした。

 誰も山さんの話を聞かない。誰もチラシを配る僕らと目を合わそうともしない。みんな汚い物を避けるかのように、僕らの前を足早に通り過ぎていくのである。

 それはニセ・アベ首相がマイクを握ってからも、変わらない。映画館ではあれほど爆笑を誘ったトークを、ほとんど誰も聞こうとしない。

 正直、びっくりしたけど、原因は明らかに思えた。タスキをかけた人がマイクを握っているだけで、通行人は「ホンモノの選挙運動」だと認識し、体中のセンサーをシャットダウンしてしまうのだ。

 それに気づいた山さんは慌てて「これは選挙運動ではありません。ここにいるのは、安全な方のアベ総理です」と呼びかけるが、そもそも誰も耳に入れようとしないので、効き目は全くない。

 あちゃー。

 街頭プロモーションは失敗だ。『選挙』や『選挙2』で通行人に素通りされるのに慣れている(?)山さんは平気な顔をしていたが、そういう免疫がないヒデさんには、大変申し訳ないことをしてしまった。

 だけど、この体験は僕らに重要な気づきを与えた。

 人々は、選挙運動を、政治家を、徹底的に避けたいのである。いや、もしかしたら憎んでいるのかもしれない。それほどまでに、彼らの忌避感は強烈だった。

 また、改めて思い出したのは、映画館に来てくれた危機意識のある人々は、社会全体でみれば本当に極少数である、ということ。少なくとも多数派ではない、ということだ。

 僕らは普段、自分と似たような傾向を持つ人々に囲まれることが多いものだから、この辺りを勘違いし易い。実際、ツイッターやフェイスブックをやっていても、僕のTL(タイムライン)には低投票率を嘆き民主主義の危機を憂う声ばかりが流れてくる。

 だけど、当然のことながら、それらの声が日本の多数派であるならば、昨年12月の衆院選や、先月の都議選のような低調な結果が出るはずがない。日本全体としてみれば、世の中は「恐るべき無関心」とでも呼ぶべき何かに厚く覆われているのである。

 思えば、それは僕が『選挙2』で描いたこと、そのものであった。

 あれほど過酷な原発事故が起きたのに、その直後の選挙戦で、山さん以外の候補者は、誰も原発を話題にしようとすらしない。そして、相も変わらず駅前で「おはようございます、いってらっしゃいませ」と繰り返す。主権者たちは、そういう候補者たちの前を、苦痛をできるだけ最小限にしようとするかのごとく身体を固くしながら足早に通り過ぎて行く。いきおい、防護服を着て捨て身の演説をし、正論を訴えている山さんも、同じような扱いを受けていく…。

 問題は、私たちの民主主義は「恐るべき無関心」でいても大丈夫なほど、悠長な状況にあるのかどうか、である。

 もちろん、答えは、否である。

 民主主義の危険を感知する、僕の意識下に埋め込まれたセンサーは、東日本大震災以来、ずっと針が振り切れっぱなしである。まるで福島第一原発の周辺に入ったガイガーカウンターのように。

 人類史上最大級の原発事故にもかかわらず、福島県民を福島に閉じ込めようとする棄民政策しかり。詐欺師のような橋下徹と日本維新の会の台頭しかり。民主主義を捨てようとする自民党改憲案しかり。公約違反を犯してまで強引に進められるTPPしかり。そして、そのような重大問題の存在にもかかわらず、政治に関心を持とうとしない大多数の日本国民しかり。それらの現象が、否応なく、僕のセンサーに引っかかってくるのである。

 逆に言うと、大勢の人々のセンサーは、これらの問題にほとんど反応していないのだと思う。そもそも「危機」として認識していないのだ。だからこそ、「投票しない」などという、きわめて呑気な「選択」をしてしまうのだろう。

 「いや、それは想田のセンサーが異常に敏感すぎるのか、単に誤作動しているに過ぎないよ」

 そう、楽観している人も多いと思う。もしその楽観が正しいなら、僕はむしろ嬉しい。

 だけど、本当にそうだろうか。

 僕のセンサーに引っかかるのは、先述した、よく知られた「諸問題」だけではない。映画『選挙』や『選挙2』を巡っても、僕の危機感のレベルを上昇させるような出来事が、いくつも起きている。

 例えば、日比谷図書館での映画『選挙』上映中止騒動の顛末。詳しくは僕のブログを読んで欲しいが、そもそも、千代田区と指定管理会社が「映画の中止を決めても社会問題にならない」と信じていたこと自体が、危機の深刻さを物語っている。それほどまでに、「表現の自由」は日本社会で後退しているのである。

 あるいは、『選挙2』の中で、撮影拒否をしてきた自民党の候補者たち。これも詳しくは前回の本欄を読んでいただきたいが、そもそも、あのようなことをカメラの前で言ったり、弁護士名で「映像を使うな」と通知書を送ってきたりすることで、僕が萎縮して映像を使わないだろうとタカをくくっていたこと自体が、危機の深刻さを物語っている。それほどまでに、表現者は舐められているし、「表現の自由」は日本社会で後退しているのである。

 あるいは、「選挙が近いから」という理由で、特定の政党名や候補者名を上げることを自粛するテレビやラジオや新聞。これも詳しくは僕が出演したTBSラジオ「ウィークエンドシャッフル」のポッドキャストを聴いて欲しいのだが、選挙前だからこそ個別の政党や政策について論じなければならないのに、報道機関がそれを(法的根拠もないのに)遠慮するなら、いったい何のための報道機関なのか。それほどまでに、「表現の自由」は日本社会で後退しているのである。

 いずれにせよ、分かっていることは、「民主主義危機センサー」の針が敏感に振れている人間は、決して僕だけではないということだ。そのことを心強く思う。

 そして、その小さなサークルの外には、センサーが作動していない、巨大な「無関心」が広がっているということだ。そのことに、正直、絶望的な思いを抱いている。

 この「恐るべき無関心」と、私たちはどう闘っていけばよいのか。

 現時点では、僕にはよく分からない。

 「恐るべき無関心」がこれ以上大きくなったら、民主主義は本当に終了する。

 そのことだけは、はっきりしている。

 そこで僕の頭をよぎるのは、やはり日本国憲法第12条の一節だ。

日本国憲法第12条:この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

 結局、これに尽きるのだと思う。日々の生活の中で、自分にできることをやり続けていく。自分に拾えるゴミを拾い続けていく。

 そして、候補者や政党や政策を時間をかけて吟味し、選挙で投票することは、私たち市民に求められる最低限の「不断の努力」なのである。

 

  

※コメントは承認制です。
第6回 参院選直前。この「恐るべき無関心」と、どう闘うか。」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    参院選まで、あと残りわずか。
    想田さんのいう「恐るべき無関心」と闘うには、
    時間はあまりにも限られているかもしれません。
    けれど、私たちの生活は選挙で終わってしまうわけではなく、
    当たり前ですがそのあとも続いていく。
    であれば、それとともに「不断の努力」もまた、
    続いていくものでなければならないはず。
    選挙は重要だけれど、それで終わってしまっていいわけでもない。
    そう思いながら、投票所に足を運ぼうと思います。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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