映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載がスタート!
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第4回

「オッサンの理屈」vs
「おばちゃんの実感」

 6月から劇場公開される拙作『選挙2』のキャンペーンなどのため、東京に来ている。

 5月11日、マガ9学校「オッサン政治にもの申す! ~全日本おばちゃん党、参上!」に誘われたので、雨宮処凛さんと一緒にゲストとして登壇させていただいた。

 「全日本おばちゃん党」とは、法学者で大阪国際大学准教授の谷口真由美さんが立ち上げた、フェイスブック上のグループだ。谷口さんがふと「オッサンくさい政治はもう飽きた。おばちゃん党でも作ったろか」とつぶやいたことから始まったという。政党ではないが、すでに加入した「党員」が全国に2千人以上いる。マガ9学校では、谷口さんが繰り出す大阪弁とユーモアの利いた辛口トークが炸裂し、満員の会場が爆笑の渦に包まれた。

 なかでも、維新の会の「維新八策」をもじった、「おばちゃん党はっさく」が“けっさく”だ。その内容を紹介しよう。

その1:うちの子もよその子も戦争には出さん!

その2:税金はあるとこから取ってや。けど、ちゃんと使うならケチらへんわ。

その3:地震や津波で大変な人には、生活立て直すために予算使ってな。ほかのことに使ったら許さへんで!

その4:将来にわたって始末できない核のごみはいらん。放射能を子どもに浴びさせたくないからや。

その5:子育てや介護をみんなで助け合っていきたいねん。そんな仕組み、しっかり作ってや。

その6:働くもんを大切にしいや!働きたい人にはあんじょうしてやって。

その7:力の弱いもん、声が小さいもんが大切にされる社会がええねん。

その8:だからおばちゃんの目を政治に生かしてや!

 まさに「おばちゃん目線」のはっさくである。

 特に「うちの子もよその子も戦争には出さん!」は、シンプルだけど極めて本質的かつパワフルな言葉だ。

 実際、党員になった「おばちゃん」には、この言葉を読んだ瞬間に思わず泣いてしまい、即入党を決めたという人がいた。

 なんだか分かる気がする。

 うちの子もよその子も戦争に出したくないというのは、理屈ではない。生物としての根源的な欲求であり、願いである。なのに、その欲求や願いがいつの間にか置き去りにされて、集団的自衛権だの、国際貢献だの、自主憲法だのという「理屈」のもとに、うちの子もよその子も戦争に出さざるを得ません的な動きが活発化している。そのことをおばちゃんたちが敏感に察知し、理屈抜きに危機感を憶えるのは、生き物として当然だと思うのだ。

 逆に言うと、この「生き物としての肌感覚」は、オッサン的身体では最も弱体化しているものである。「うちの子もよその子も戦争に出したくないのはやまやまだけど、国際社会や日本の将来を考えると…」と、大義名分や理屈に軍配を上げてしまうのがオッサンだからだ。

 日本維新の会の、あの悪名高い綱領「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」などは、オッサンの理屈が暴走して怪物にまで変貌した究極型なのだ。

 こう書きながら思い出すのは、2001年の冬、NHKの番組の取材で訪れたアメリカのある家庭のことである。

 同年9月11日にあの世界を揺るがす事件が起きたとき、僕はニューヨークでテレビ・ディレクターをしていた。「テロとの闘い」という大義名分がアメリカ政府によって宣伝され、アフガニスタンへの攻撃を求める世論が高まる中、米軍に志願する若者が次々に現れた。

 「なぜ彼らは、徴兵されたわけでもないのに、好き好んで戦争に行きたがるのか?」

 彼らの行動に疑問と違和感を覚えた僕は、実際に米軍に志願した若者を捜し出し、彼の家まで取材に行ったのだ。

 若者の名前は、ロリ・シュミット。当時20代半ばの彼は、エアコンの整備会社に勤務し、ビンテージのスポーツカーを乗り回すのが趣味。しかし、911事件を契機に陸軍に志願した。911事件で「自分自身が攻撃されたように感じた」という彼は、僕の取材に対して、次のように語った。

 「一人で2台も車を持てるアメリカは素晴らしい国だ。そういう自由な祖国を守りたいし、そのためには自分が死んでも構わない。僕はキリスト教徒だが、テロリストは邪悪であり、邪悪な者を殺すことは神も許してくれるはずだ」

 ロリは、人の良さそうな、典型的なアメリカの若者に見える。彼からこのような言葉が発せられたことに、僕は衝撃を覚えざるを得なかった。

 しかし、ロリ以上に印象深かったのは、彼のご両親である。

 ご両親は二人とも、入隊を決めたロリの行く末を心の底から心配していた。終始苦渋の表情を浮かべていて、はたで見ているだけで辛かった。が、取材者である僕は心を鬼にして、彼らに対し、酷だけれども現実的な質問を投げかけた。

 「息子さんが戦死してしまったら、どうしますか? 心の準備はできているのですか?」

 その問いに対し、クリスチャンのお父さんはこう答えた。

 「息子の安全を毎日神に祈ってます。でも万一彼の身に何かが起こったとしても、息子は天国に召されると信じます」

 ある意味、優等生の回答である。しかし、彼がそう言った瞬間、お母さんはすかさず夫を問い質した。

 「私たちはどうなるの? 本当にそうなったら、残された者はどうしたら…?」

 すると、お父さんも言葉に詰まり、黙り込んでしまったのだ。

 僕は当時この場面を編集しながら、「ああ、男の理屈は虚しい」と思ったものだ。

 「息子は天国に行くのだから幸せだ」という納得の仕方は、ある意味「正しい」のかもしれないが、親としての、そして生物としての「実感」からはかけ離れた「理屈」だ。「私たちはどうなるの?」という母の切実な問いの前には、沈黙するしかないのである。

 振り返れば、これは明らかに「オッサンの理屈」と「おばちゃんの実感」のせめぎ合いだったのだ。オッサンの理屈は戦争に行く息子の行動をキレイに正当化してしまうが、おばちゃんの実感はそれに異を唱えざるを得ない。そういう食い違いがいみじくも生々しく表出した場面だったのだ。

 残念ながら、この世の中は基本的にオッサンの理屈によって支配されている。それは女性の権利や社会進出が比較的に進んでいるアメリカでも同じことだ。

 だから、このときもおばちゃんの実感はかき消され、オッサンの理屈が優先された。ロリは結局、米軍に入隊した。

 しかし、このときもっと「おばちゃんの実感」が世界で市民権を得ていたらどうだっただろうか? もしロリのお母さんが、世界に党勢を拡大した「全世界おばちゃん党」の党員で、「うちの子もよその子も戦争には出さん!」という”はっさく”を胸に刻んでいたらどうなったか?

 僕は、たぶんお母さんはもっと堂々とロリの入隊に反対できていたのではないかと思う。また、まわりの「おばちゃん党」党員がお母さんの援護射撃をしていたのではないかと思う。その結果、ロリは入隊を考え直したのではないか。

 いや、こうも言えるかもしれない。

 もし「おばちゃんの実感」が「オッサンの理屈」よりも強い世の中であったなら、そもそも「911事件」は起きなかったし、アフガニスタンを攻撃しようという米国世論も高まらなかったのではないか。だって、「うちの子もよその子も戦争には出さん!」という方針が本当に徹底されるならば、テロも戦争もそれを遂行する人が枯渇して、どう頑張っても起きようがないからである。

 こう考えると、「おばちゃんの実感」こそが世界平和の礎である! と言えるわけだ。では、僕たち男性は、訓練と心がけ次第で「その実感」を活性化することができるのだろうか。できる(と思う)。

 実際、『選挙2』の主人公である「山さん」こと山内和彦さんは、彼の中に潜んでいた「おばちゃん性」を活性化させて2度目の選挙に出たのだ(と思う)。

 ことの顛末はこうだ。

 彼はかつて自民党所属の川崎市議会議員(=オッサン)だった。しかし、2007年に自民党を干されて以来、主夫として子育てをしていた。

 すると2011年3月11日、東日本大震災が起きた。あれだけ深刻な原発事故が起きたのに、原発問題は依然としてタブーで、同年4月1日公示の統一地方選挙の候補者たちも話題にしようとしない。そのことに違和感を抱いた山さんは、突然、完全無所属での立候補を決意した。自分だけでも脱原発を訴えようと、孤立無援で出馬したのだ。

 不利だと分かっていても、出馬せずにはいられない。幼い息子を育てる山さんには、「放射能を子どもに浴びさせたくない(おばちゃん党はっさく その4)」という「おばちゃん的な実感」が芽生えていたのだと思う。「日本経済のために、電気のために原発が必要」といったオッサンの理屈は、おばちゃん性が目覚めた山さんには、もはや響かなかったのである。

 と、書いていたら、オッサン界の西の横綱である橋下徹大阪市長が、「慰安婦は必要だった」「米軍も風俗を活用すればよい」というオッサン丸出しの発言をし、東の横綱である石原慎太郎議員が「軍と売春はつきもの」と擁護した。オッサンの総合横綱の安倍晋三首相は、飛び火を恐れて「安倍内閣と立場がまったく違う」と距離を置いたが、それなら「(「慰安婦」は)『性的奴隷』ではない。彼女らは当時世界中のどこにでもある公娼制度の下で働いていた」などと主張する米紙への意見広告に、安倍氏の名が連なっているのはなぜなのか?

 おばちゃん目線の異議申し立ての運動は、いま、この世界にとって最も必要なものなのかもしれない。

【お知らせ
想田監督の「観察映画」第5弾、『選挙2』の公開が決定!
6月、東京/シアター・イメージフォーラムなど全国順次公開
公式サイトはこちら→http://senkyo2.com/

soda-senkyo2

 

  

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第4回 「オッサンの理屈」vs 「おばちゃんの実感」」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「全日本おばちゃん党」については、
    マガ9学校レポート谷口真由美さんインタビューもあわせてお読みください。
    かつての戦争のときも、そして原発事故が起こったときも、
    ときに「現実を見ない女子供の論理」として切り捨てられてきた「おばちゃんの実感」。
    それがもっともっと当たり前のものになれば、
    社会は変わるのかもしれない、という思いを強くしています。
    そして、そんな希望を抱かせてくれる想田さんもまた、
    山さんと同じく「おばちゃん的な実感」を持つ人なのかも。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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