映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第46回

「トランプ大統領」で崩壊に向かう米国のデモクラシー

 11月8日、ドナルド・トランプが米国の大統領選挙で勝利した。

 日本では、TPP反対派や米軍基地縮小・撤退派の中などに歓迎する向きもあるようだが、そういう言説を見ると、あまりの近視眼的な発想にめまいを覚える。トランプの勝利は、「日本への影響がどうなるか」といったレベルだけでとらえられるようなスケールの出来事ではないからだ。

 では、それはいったい何を意味するのか。

 これまでの米国社会では、共和党支持者であろうと、民主党支持者であろうと、イデオロギーを超えて不完全ながらも次のような価値やルールが大事に積み上げられ、守られてきた。思いつくままに列挙してみる。

(1)政治家は合衆国憲法を遵守しなければならない。
(2)政治家は嘘をついてはならない。
(3)政治家は女性差別をしてはならない。
(4)政治家は障害者差別をしてはならない。
(5)政治家は民族・宗教・人種差別をしてはならない。
(6)政治家は事実に謙虚でなければならない。
(7)政治家は憎悪を煽ってはならない。
(8)政治家は人々の言論・集会・報道の自由を尊重し守らなければならない。
(9)政治家には利益相反があってはならない。

 こうしたコンセンサスは、米国の共和制とデモクラシーを守るために育てられてきた政治文化であり、知恵である。民主主義者としての最低限のルールとも言えるだろう。

 逆に言うと、これらが破られるとデモクラシーは途端に崩壊の危険に晒される。だからこそ、こうしたコンセンサスを破った政治家や候補者は、社会から厳しく糾弾され、政治のアリーナから退場させられてきた。周知の通り米国では左右のイデオロギー間の闘争が激しいが、しかしそれは、参加者がこうした基本ルールを(少なくとも表向きは)守った上で、展開されてきたのである。

 ところがドナルド・トランプは、選挙戦を通じてこうしたルールをことごとく破ってきた。

 そもそもメキシコ移民を「犯罪者やレイピスト」と呼んだ彼の立候補表明の演説からして、上に挙げた(5)(6)(7)に反していた。ムスリムの入国禁止を提案したのも、(5)に真っ向から反する。普通ならこれだけで政治家としては失格だ。

 加えて、彼が(3)に反して女性差別的言動を繰り返していることは周知の通りだし、身体障害のあるジャーナリストのモノマネをして(4)も犯した。

 (2)も完全に落第だ。トランプの発言を1年半の間ファクト・チェックしてきたサイトによれば、彼の言うことが「本当」「だいたい本当」である確率は、合わせて15.7%。ちょっと信じがたい惨憺たる結果である。

 橋下徹ばりの報道機関への攻撃や、当選後ですら反トランプのデモ隊を「プロ市民」などとツイッターで攻撃するなど、(8)も当然のごとく落第。

 ビジネスエンパイアを所有するトランプは、(9)の利益相反についても地雷だらけである。歴代の大統領は、当選を契機に所有するビジネスをすべて売却してしがらみを断ち切るなど、利益相反を犯さないための措置を講じてきたが、トランプは「子どもたちに譲る」ことでお茶を濁そうとしている。米国の政治を私物化しようというのだろう。

 また、歴代の大統領候補は選挙期間中に納税申告書(タックスリターン)を公表してきたが、トランプはそれも無視して公開を拒否した。だからトランプが何をどこに所有し、どんな利益相反をはらんでいるのか、実際には誰にもわからない。

 最後に、トランプはクリントンとのディベートの際、自分が選挙で負けても「結果を受け入れる」と明言しなかった。そして自分が負けるとしたら、それは不正選挙の結果だと言い続けた。それは、(1)の合衆国憲法を遵守する意向がないことを公言したに等しいと言えるだろう。

 このようなトランプが当選したことで、米国の民主的価値観やルールは、ほとんど回復不可能なダメージを受けたといえる。なにせ最も基本的かつ重要な共和制のルールを守らない候補者でも、米国の主権者からは罰せられないし、大統領になれることがわかってしまったからである。

 選挙期間中の言動を「承認された」と受け取ったトランプは、大統領職に就いた後でも同じように振る舞い、発言するであろう。つまり、(1)から(9)のルールを正々堂々とないがしろにし、世界最強の政府と軍隊と諜報機関とその他のインフラを自分と家族の利益のために使う。彼の意向に反対する者は、FBIやCIA、IRSといった権力を総動員して徹底的に攻撃し、失脚させる。恐怖政治の始まりである。

 これまでのパターンを見る限り、トランプは政敵を攻撃する際、嘘をつくことも、デマを流すことも躊躇しない。彼が掲げた公約が実現しない場合には、適当な人間や組織を悪者にして、彼らに責任をなすりつけるであろう。

 マスメディアの多くは当面、そういうトランプを激しく批判するだろう。しかしトランプがそういうメディアを「既得権益の代弁者」として逆に攻撃することは、火を見るより明らかだ。選挙期間中の彼は常にそうやってメディアをこき下ろし、無力化してきたからである。

 そういうバトルを繰り広げるうちに、メディアの大半はおそらく残念ながら、白旗をあげることになるのではないだろうか。権力を得たデマゴーグの威力は絶大だからである。それは橋下徹や安倍晋三の振る舞いを目撃してきた日本の民主主義者には、むしろ既視感のある光景になるのではないだろうか?

 こうしたことが何を意味するのかといえば、米国の共和制そのものが崩壊していくということだ。常々申し上げてきたように、デモクラシーの最大の弱点は、「民主的プロセスによってデモクラシーの廃止を決定できる」ということである。つまりみんなが「デモクラシーなんてやめちゃえ」と言うならば、やめてしまえる。

 今回の選挙戦で、米国の多くの主権者は「やめてしまえ」に一票を投じてしまった。もちろん、彼らの大半は「やめてしまえ」に投票したつもりもなく、「エスタブリッシュメントにお灸をすえた」くらいの気持ちだったのであろう。しかし、どんなつもりだったかなど、トランプにとっては関係ない。彼らの投票行動の結果、残念ながらアメリカのデモクラシーは「廃止」の方向へ大きく動いてしまったのである。

 こう申し上げると、次のような反論が飛んでくるだろう。

 「トランプが無茶をしようとしても、さすがに周囲のスタッフが止めるでしょう」

 なるほど。だが、本当にそうだろうか?

 トランプは政権のナンバー2ともいえる大統領上級顧問に、白人至上主義者たちの星であるレイシスト、スティーブ・バノンを起用した。司法長官には、かつて人種差別的発言で裁判官になり損ねたジェフ・セッションズ上院議員を、大統領補佐官(国家安全保障担当)にはマイケル・フリン元国防情報局長を起用した。フリンは「イスラム教はガンだ」と述べ、ISISには強硬手段を採るべきだと主張する超タカ派だ。

 こうした「周りのスタッフ」とやらは、トランプが「無茶」をしようとしたときに、いったいどんな助言をするというのだろうか?

 また、こんな反論も飛んでくるだろう。

 「大統領の権力は合衆国憲法や三権分立によって厳しく制御されているので、トランプといえども独裁者にはなれないでしょう」

 そう、たしかに大統領の権限は無限ではない。合衆国憲法によって縛られている。

 しかし、その「縛り」がきちんと効果を発揮するのは、少なくとも合衆国憲法を遵守しようとする、倫理規範のある人間が大統領職に就いている場合に限られるのではないだろうか。憲法がどんなにうまく書かれていても、抜け道は必ず存在する。そして安倍晋三を見ていればわかるように、そうした抜け道を悪用しようという権力者の前では、立憲デモクラシーも実に脆い存在となる。

 つまり民主制のシステムは、それがいくら三権分立や憲法といった「安全装置」に守られていたとしても、法治主義やデモクラシーの理念をはなから尊重しない人間に最高権力を与えることは前提としていない。主権者がそういう人間に最高権力を与えてしまったら、ひとたまりもないのである。

 選挙結果が判明した夜、僕はツイッターで「一夜にして、米国は米国でなくなった」とつぶやいた。選挙戦から2週間が経過した今、僕の認識はまったく変わっていない。
 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』(1989年、ロバート・ゼメキス監督)に、「ビフ・タネン」という名の大富豪が登場するのを覚えているだろうか。

 彼は主人公のマーティー(マイケル・J・フォックス)から奪った本を使って競馬などで大儲けし、政治家達を買収して賭博を合法化させ、巨大なカジノを建設する。そのため、閑静な住宅街だったヒル・バレーは荒廃し、暴力が横行するディストピアに変貌してしまう。典型的な悪役である。

 同作の脚本家によれば、そのビフのモデルとなったのは、他でもない、ドナルド・トランプである。マイケル・J・フォックスの悪夢は、私たちの現実となりつつある。僕はもはや、『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』を笑いながら観ることができなくなった。

 

  

※コメントは承認制です。
第46回 「トランプ大統領」で崩壊に向かう米国のデモクラシー」 に6件のコメント

  1. magazine9 より:

    映画の中の「悪夢」を、それでも安心して見ていられたのは、そんなこと現実にはありっこない、と思っていたから。けれど今、私たちはその「典型的な悪役」が大統領に就任する(しかも選挙によって!)という、現実を生きている…。そしてもう一つゾッとさせられるのは、政治家としてはあってはならないもののはずのトランプ氏の政治手法が、決して目新しいものではなくむしろ既視感に溢れていること。その意味でも、日本の私たちにとって「対岸の火事」ではまったくないのでしょう。

  2. tonosaki hideaki より:

    トランプなんか100%ないと考えていた。米国民を信頼していたわけだ。しかし二大都市で石原と橋下を選びそして安倍を選んだ国があるというのに、米国民は違うと思っていたのは根拠のない思い込みだったわけだ。

  3. Akira Osaka より:

    昨晩、Ken Loach監督のI,Daniel Blalkeという映画を見た。場所はロンドン近郊で、主人公は年金もなく仕事を探す老人、そして二人の子を育てる母親の話で、どのようにしても生きていくことが難しい状況が描かれています。イギリスは先の国民投票で脱EUを決めたのだが、この主人公ならば離脱に投票したであろうことが何となく理解できる。きっとアメリカも同じで、トランプに一票を投じることで現状を変えたいと願った人たちが多かった結果なのではないだろうか?

  4. 鳴井 勝敏 より:

    > デモクラシーの最大の弱点は、「民主的プロセスによってデモクラシーの廃止を決定できる」ということである。  見事やって見せたのがナチス・ヒトラーだ。 どんなつもりでナチスを支持したか等は関係ないのだ。民主主義の怖さであり、権力の怖さである。監視と批判が民主主義の前提といわれる所以である。 ところが、「一生懸命」を評価する国民の単眼的視点からはその怖さは視覚に入らない。    安倍の政治行動の基軸は一本。日本国憲法を破壊、自分の価値観、つまり、主権者は国会議員。国民は統治の客体に過ぎないという価値観を憲法という最高法規に反映したいのみである。その為には国民に「一生懸命」な姿を常時提供しなければならないのだ。そのための外交であり、その為の内政である。度々見る光景に総理と総理夫人が手を繋いで飛行機のタラップを降りてくる光景がある。国民にはそれが「一生懸命」と映るようだ。日本はいつの間にか極楽トンボになってしまったのだろうか。                     

  5. らんらん より:

    ●トランプ氏 ハラスメントの見本市
    ●国越えて 和を叫ぶ声 響き合う

    権力者が、公共通信手段を通じて発信する酷い言動は、環境汚染物質(放射能やPM2.5等々)と同じかそれ以上に、多くの人々の心身を大きく蝕みます。
    証明はできませんが、実際に心身の病気になったり、病状が悪化したりしている人は増えていると思います。(私自身、身をもって実感しています)しかしその原因が、上に立つ人々の言動やそれらに起因する暗く重い雰囲気にあるとは気付かれていないかもしれません。

    また公の方々の負の言動は、一般市民の中にすぐに感染し広まります。「自分を利する為に何の根拠もない事を言ったり、他者に対する配慮もなく、自分の利益だけを主張したりしてもよいのだ!聞きたくない意見は聞かなくてよいのだ!大切なのは大声と高圧的な態度なのだ!」と。教育的には最悪です。

    大声で自己主張を捲し立てる方々は、何を恐れ、何を守ろうとしているのでしょうか。彼らの攻撃性の奥に隠されている脆さと弱さが垣間見えて、哀しくなります。

    私があなたに対して、決して言わないような言葉を、為政者が市民に向けて発してはいけないのです。

  6. 世藻巣枝 より:

    トランプもひどいが、ヒラリーも1、2、5、6、7、9が当てはまる。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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