『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。
第44回
大学が社会の「お荷物」ではなく、「宝」である理由
アメリカに住んで、今年で23年になる。だが、住むのはいつもニューヨークで、それ以外のアメリカの街に住んだことがない。僕は車の運転があまり得意ではないし、歩いて生活するのが好きなので、アメリカでは免許も取得していない。だから大都市以外に住むなんて無理無理と、はなから決めてしまっていた。
ところがこの9月から、ミシガン州にある人口11万人の街・アナーバー市に、8ヶ月間だけだが住むことになった。ミシガン大学のマーク・ノーネス教授から、一緒にドキュメンタリー映画製作のクラスを教えないかと誘われ、いわゆる招聘教授として赴任することになったのである。
ノーネス先生から誘われた時、真っ先に尋ねたのは「車を運転しなくても生活できるか?」ということだ。「そりゃ無理ですよ」と言われるのを予想していたのだが、意外にも答えは「YES」であった。バス網が充実したカレッジタウンなので、車なしでも大丈夫だと言う。「へええ、アメリカにもそんな奇特な街があるんだなあ」と感心し、「ってことは、きっといいところに違いない」と決め込んで、お話をお受けすることにした。
その直感は当たっていた。
アナーバーは果たして、実に自然が美しく文化に富み、住みやすい街であった。まだ移り住んで2週間しか経っていないが、この印象が今後大幅に変わることはないと思う。
緑の多いミシガン大学のキャンパス
アナーバー市の中核をなすミシガン大学は1817年にデトロイトで創立され、1837年にアナーバーに移設された(ミシガン大学の関係者は、学生と教職員を合わせると約5万人になるので、市の半分近くが大学の人だという計算になる)。同大学は世界大学ランキングで23位につける名門だ(同じランキングで東京大学は34位)。名門らしく図書館も充実していて、データベースを検索してみたら、僕の映画や著書もなんと全作品がすでに所蔵されていた(普通はありえない)。
アナーバー市は、車が普及する以前に大学を中心に街づくりがなされたせいであろう、街がコンパクトで歩きやすい。先生から聞いていた通り、街の規模からすれば考えられないほどバス網が充実していて、車なしでもなんとか生活できる。そのせいか、中心部は歩行者で賑わい、チェーン店は少なく、個人経営の小さな店が元気である。
ミシガン大学の図書館のひとつ
僕は正直、「アメリカは田舎に行くと、マクドナルドとKFCくらいしかない」との偏見を抱いていて、ニューヨークから日本の食料品を買い込んでいったのだが、そんな必要もなかった。外国からの留学生や先生が多いせいか、レストランのバラエティが豊富だ。日本食も置いているアジア系の食料品店はあるし、街中にはなんと、学生たちに大人気の日本のラーメン屋さんまであった。また、生産者が直接野菜を得るファーマーズ・マーケットが毎週開かれ、地ビールやコーヒーも美味しい。アメリカの田舎のステレオタイプなイメージに反して、食文化がとても豊かなのである。
ファーマーズ・マーケットは毎週開かれ、地元の人で賑わう
アナーバーには、1928年に建てられた映画館「ミシガン・シアター」もある。世界最古の実験映画祭「アナーバー映画祭」の主要会場になるほか、普段からインディペンデント映画を中心に良質なプログラムを組んでいる。先日劇場の前を通りかかったら、是枝裕和監督の『海街diary』(英語題名:Our Little Sister)がかかっていたので、嬉しくなって思わず入ってしまった。9月23日には僕の作品『精神』もここで上映される予定だ。
この壮麗な劇場も70年代には取り壊しの危機に晒されたが、住民の反対運動の結果残され、今は非営利団体が運営している。便利なバス網も、市議会では「税金食いだ」とときどき攻撃の的にされているらしいが、そのたびにバス支持派が守っているそうだ。街の魅力が維持されている背景には、人々による「不断の努力」の存在があるのである。
ミシガン・シアター
是枝監督の『海街diary』が上映中
そういう気質のせいか、「トランプ」を支持する看板は今のところ一つも見ていない。代わりに、写真のように「人類はひとつの家族 私たちはムスリムや避難者を応援します」といったサインが、あちこちに掲げられている。道理でマイノリティーの僕も息がしやすいわけだ。ドナルド・トランプの台頭を眺めているとアメリカ社会の変質を感じ、恐ろしくもなるが、その流れに抵抗している人々もいるのである(ヒラリーにも様々な重大な問題があるが、トランプとの比ではない)。
「人類はひとつの家族 私たちはムスリムや避難者を応援します」
ここに来てつくづく実感するのは、教育機関は社会の「お荷物」ではなく、「宝」であるということだ。アナーバーが人や環境に優しい、多様性を重んじる文化都市なのは、間違いなくミシガン大学の存在のお陰であろう。大学で教育を受けた人々が街を育み、街が大学を育んでいく。そういう好循環があるように見える。
最近の日本では、大学が無駄な金食い虫のごとき扱いを受け、教育予算がどんどん削られているが、その行き着く先には人心が荒廃したディストピアしか待っていないように思う。いや、実はアメリカでも同様の事態は早くから起きていて、ほとんどの公立大学は悲惨な状況だと聞いている。そんな中、州立であるミシガン大学が健全性を保って生き延びているのは、むしろ奇跡的なのかもしれない。
さて、僕がノーネス先生とテリー・サリス先生とともに教えるのは、「観察ドキュメンタリーの歴史と理論と実践」という授業である。15人の学生に対して3人の教師が一緒に教えるという、やたら贅沢な環境だ。
学生たちはこの授業で、ミシガン大学が所有する「ミシガンスタジアム」についての長編ドキュメンタリーを撮ることになっている。同スタジアムは全米最大のアメフト場で、10万人以上も収容可能だ。そのため、「ザ・ビッグ・ハウス」との愛称で呼ばれている。11万人しかいない街にそんな巨大なアメフト場があっても、場内はスカスカなのではないかと思いきや、全米各地からファンや卒業生が応援にくるので、毎回ほぼ満席だというから驚かされる。
「ザ・ビッグ・ハウス」こと巨大なミシガン・スタジアム
僕が加わったこともあり、学生たちが作るドキュメンタリーの手法とスタイルは、なんと「観察映画」流である。僕の映画同様、事前のリサーチを最小限に抑え、できた映画にはナレーションや音楽、説明テロップをつけない方針だ。
いったい全体、どんな映画になるのだろうか。
いまからワクワクしている。
ドキュメンタリー製作のクラスで自撮り
先日OECD(経済協力開発機構)が発表した、各国の国内総生産に占める教育機関への公的支出割合ランキングで、日本は33カ国中32位。目先の利益や効率ばかりが優先され、教育にかけられるお金はどんどん削られていく…。教育機関は「お荷物」ではなく「宝」──その感覚をもてない社会に、果たして未来はあるのでしょうか。
想田さんに最初にマガ9に登場いただいたインタビューでも、すべてを金銭的な価値だけで計ろうとする「資本主義的価値観」が、いまやアメリカだけではなく日本にも広がりつつあるのではないか──というお話をお聞きしています。未読の方はぜひあわせてお読みください。
私は、思春期を戦後間もない時期に過ごしました。隣近所、職場、皆さん助け合って生きていました。お互い貧困という意識がなかったと思います。そのような環境が「心」を醸成させたのでしょう。「優しさ」と「強さ」を併せ持っていました。寛容な社会でした。
>目先の利益や効率ばかりが優先され、教育にかけられるお金はどんどん削られていく・・・果たして未来はあるでしょうか。
ありません。なぜなら、教育改革なくして、社会の発展は考えられないからです。 資源の乏しい日本。「一人一人の能力が国の重要財産である」という位置づけができないのです。いや、しようとしないのかもしれません。
>多様性を重んじる文化都市なのは、間違いなくミシガン大学の存在のおかげだろう。大学で教育をいけた人々が街を育み、街が大学を育んでいく。そういう好環境があるように見える。 とても羨ましいです。教育のあるべき姿なのではないでしょうか。また、空間の広い大学の図書館、森林に囲まれたキャンパス。そこで学ぶ学生が羨ましいです。以前のレポートも読みました。 心が洗われる思いに浸りました。 人間は一人では生きていけません。「資本主義的価値観」優先の社会は、じわじわと、一人一人の人間を孤独に追い込むことを早く気づくべきです。
アナーバー及びミシガン大学でよい経験をされているのは分かりますが、もう少し批判的な精神があっていいのでは、と思います。当方、米国の大学関係者ですが、日本の大学にいろいろ問題があるように、こちらの大学にもいろいろ問題があり、ミシガン大学も決して例外でありません。まず、ミシガン大学のような公立大学が財政的に健全性を保っているひとつの理由は、日本の公立大学では考えられないような高額な学費を徴収しているからです。今年ミシガン大に入学した州内出身の学生の学費は、1年で150万近く、州外だと450万以上です。また、新入生は基本的に寮生活が義務付けられますので、その費用もかかります。近年、ミシガン大も含めて州立大学の中でも名門と呼ばれるような大学は、より高額な学費を徴収できる州外、あるいは海外からの学生を積極的に受け入れており、その意味では、州立とはいいながら経営の実情は私立大学に近づいています。
また、アメリカの大学では、教員の給与(特に人文系の教員)が安く抑えられる一方、学長やその他の管理職が異常なほど高額な給与を受けています。ちなみに、ミシガン大の学長の年俸は日本円で7800万にのぼります。日本の場合、東大の学長でも、年収は2000万代です。管理職と教員との給与のギャップは、アメリカの大学では自明の事実で、教員間ではある種の閉塞感がただよっています。
また、こちらでは、アメフトなど体育クラブのコーチも高給取りで有名です。ミシガン大のアメフトのコーチは、8000万以上の高給です。これは、アメリカでは、大学スポーツの人気が高く、スタジアムへの観客動員やテレビ放映で莫大な収益を大学にもたらすからです。しかし、選手はプロではなく、あくまで学生ですので、彼らに報酬が渡ることはなく、利益を得るのは、コーチと大学のみです。高度に商業化された大学スポーツは、アメリカでは多くの人から批判されております。多くの若手教員が600万ほどの年俸で研究・教育・学務をこなしている中(非常勤になるとさらに安くなります)、体育会のコーチが8000万以上の年俸を得ているというのが、大学の理想的な姿と言えるでしょうか。
大学ランキングについて書かれておりますが、これも無批判に信じてしまっていいのかなと思います。この手のランキングでは、英語で授業を行っている大学は、「国際化」が進んでいると見なされ、ランクが上がります。つまり、英語圏の大学は初めから有利なのです。また、大学が財政的にどれだけ裕福かも重要な要素で、寄付金の多い米国の大学はそれだけで有利なのです。もちろん、ランキングが大学の質をある程度反映しているのは事実ですが、少し疑ってみることも大事なのではと思います。
長々と書いてきましたが、私がここで言いたかったのは、米国の大学にも多くの問題があり、大学が社会の「宝」だとは一概には言えないということです。