映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第38回

香港国際映画祭で考えた「国家」と「権力」

 新作『牡蠣工場』の上映で、香港国際映画祭に参加した。観察映画第1弾の『選挙』(2007)以来、この映画祭にはほとんどすべての観察映画を招待していただき、『精神』や『Peace』は賞もいただいている。香港を訪れるのは今回で6、7回目である。

 映画というものは面白いもので、いつ、どんな観客と観るのかによって、作品の印象がガラリと変わる。それは自分が作った作品でも同様だ。

 『牡蠣工場』は去年の夏、ロカルノ国際映画祭で世界初上映された後、様々な国で上映されてきているが、香港の観客の反応は、特に印象に残るものであった。

 本作は、岡山県牛窓にある牡蠣工場の世界にカメラを向けている。牛窓では人口の流出に伴う過疎化が進み、牡蠣の殻をむいて中身を取り出す働き手が足りない。そこで苦肉の策として、中国人労働者を呼び寄せることになるわけだが、彼らの一挙手一投足に対する観客の反応が、ことのほか敏感で強いものに思えた。

 香港の観客が、スクリーンに映し出された中国人労働者の発言や行動に、笑ったり唸ったりする。日本人の登場人物が中国人に対する不信感を吐露するのに対して、「よくぞ言ってくれた」というニュアンスの笑い声が起きる。そういう観客の様子を、やや意外な感に打たれながら眺めていて頭に思い浮かんだのは、香港と中国の特殊な関係性である。

 1997年にイギリスから中国に返還された香港だが、1984年の「中英共同宣言」に基づいて、香港は中国に属しながらも「高度の自治」と「一国二制度」を保障されてきた。少なくとも、最近までは。しかし、中国中央政府がじわじわと自治の切り崩しを図り、その衝突が2014年の「雨傘運動」「オキュパイ・セントラル」につながったことは、周知の通りだ。

 今回僕は、香港大学などでレクチャーも行ったので、学生とも接する機会があったのだが、あの雨傘運動の「挫折」が香港社会に与えた影響は、思ったよりも深刻だと感じた。

 たとえば、ある学生の友人は前途有望な医学生だったが、デモで逮捕歴がついたことで、医者になる道を制度上閉ざされてしまったのだという。去年日本でSEALDsの運動が盛り上がった時には、「運動に参加すると就職できない」などという恫喝めいた言説がネット上を飛び交っていたが、香港ではそれが単なる「脅し」ではなく、現実なのである。これで運動が萎縮しないはずがない。

 そんな話を別の学生とも話していたら、当の学生が中国本土出身だと途中で知って慌てた。僕は目の前にいる学生が香港人だと思い込んでいたからだ。

 聞けば、香港大学でも中国からの留学生がとても多い。もちろん、香港に出稼ぎに来ている中国人労働者も非常に多い。『牡蠣工場』の観客で、僕に話しかけてきた人の中にも、中国から来た観光客だという人が何人かいた。

 中国と香港の垣根は、思ったよりも低いのである。なにしろ「一国」なのだから。そしてその垣根の低さに、香港人の多くは「中国本土に飲み込まれるのではないか」「私たちの香港を盗まれるのではないか」という脅威を感じているのだと思う。それは日本人が中国人に対して感じている脅威とは、比べ物にならない大きさだ。

 実際、香港をたびたび訪れているものの、今回ほど「中国」が人々の会話にのぼり、その存在感が感じられたことはない。今年に入ってからは、中国政府を批判するベストセラー本を出すことで知られる出版社「巨流」の関係者5名が相次いで失踪した事件が起き、中国政府の関与が疑われている。そのことも香港人の不安に拍車をかけているように見えた。

 今年40周年を迎えた香港国際映画祭は、今のところ以前と変わらぬ「表現の自由」を享受している。しかしその状態が、いったいいつまで続くのか。習体制になってから、中国本土の映画祭は次々に弾圧され、中止に追い込まれている。中止された映画祭には、僕の『選挙』と『選挙2』を上映する予定だった北京インディペンデント映画祭も含まれている。僕も参加した本土の映画祭が、急に会場が使えなくなって郊外で行わざるを得なくなり、大打撃を受けたこともあった。そういう事実を考えると、伝統も定評もある香港国際映画祭の将来についても、かなり悲観的にならざるを得ないのだ。

 折しも韓国では、セウォル号事故に対する朴政権の対応を批判的に描いた映画の上映強行をきっかけに、釜山国際映画祭のトップが事実上更迭され、刑事告発されるという事態に発展している。おかげでアジア最大の映画祭として名高い釜山映画祭も、今年度の開催すら危ぶまれている。

 国家権力とは恐ろしいものだ。人々が長年かけて築き上げてきたものを、権力者の都合や気まぐれで、一瞬にして潰してしまうことができる。

 断っておくが、僕は国家権力を否定するつもりはない。というより、私たちが平穏無事に暮らしていくためには、国家や行政機関や法律は必要だし、違反を取り締まる警察や司法制度も必要だ。僕は無政府主義者ではない。

 しかし、私たちの暮らしを守るはずの国家権力が、潜在的に私たちの暮らしを脅かしうるものであることも、また事実である。国家権力が濫用された場合、それがもたらす損害は計り知れない。だからこそ、主権者である私たちが国家権力を監視し、コントロールしなければならないし、その仕組みが必要不可欠なのだ。

 2012年12月の総選挙以来、ずっと気になっているのは、日本の主権者の多くが、そのことに無自覚で鈍感に見えることである。

 安倍政権が秘密保護法の成立を強行しても、NHKの人事に介入しても、公約を破ってTPP交渉への参加を表明しても、憲法違反の安保法制を公然と通しても、ナチスの全権委任法と比較される緊急事態条項を「お試し改憲」として提起しても、政権の支持率はいまだに高いままである。政権に批判的なニュースキャスターが、次々に降板にいたった異常事態の背後には、明らかに国家権力の濫用がかいま見えるわけだが、だからといってそれほど危機感が高まっているようにも思えない。

 安倍首相は中国を仮想敵として想定し、対立を煽っているが、彼が目指しているのは中国のような独裁的な政治体制である。安倍首相と習主席は、お互いに敵対しているように見えて、実は似た者同士だ。いや、そういう意味では朴大統領もそうか。3人は実は仲良しなんじゃないかと勘ぐりたくもなる。

 そして安倍首相は、すでに持っている強大な権力を使って、じわじわと、しかし着実に、日本の法秩序や行政システムを独裁的なものに作り変えつつある。しかし、そのことを認識している日本の主権者は、残念ながら、まだまだ少数派なのである。

想田監督の最新作『牡蠣工場』、東京での公開は終了しましたが、全国各地で順次公開中です!

公式ホームページはこちら。

☆想田監督と、ミュージシャン・寺尾紗穂さんによる「マガ9対談」でも、『牡蠣工場』から見えてくるものについてお話しいただいています。未読の方はこちらから。

 

  

※コメントは承認制です。
第38回 香港国際映画祭で考えた「国家」と「権力」」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    文中に出てくる、「急に会場が使えなくなって郊外で行わざるを得なく」なった中国本土の映画祭のお話を、想田さんがコラムに書いてくださったのは2013年10月、今から2年半ほど前のこと。その2年半の間にも、日本社会を覆う息苦しさはますます強まっているように感じます。「映画祭が次々に弾圧され、中止に追い込まれていく」──そんな状況は、もしかしてそれほど遠くにあるものではないのかもしれません。

  2. 一門昌子 より:

    自分の知能では纏められなかった危機を監督は明快におっしゃって下さいました。大戦の愚かさ、当時小学生は「何故大人は何もしなかったか?」二度とこの愚は繰り返さないと生きて来たのが、現政権に依って民主主義は容易く壊れました。農耕民はお代官さまに媚て逆らわぬの日本民族を脱脚しない人々に絶望。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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