映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第35回

不幸にも「テロ事件」が日本で起きたときのために記す

 ドキュメンタリー映画『牡蠣工場』(観察映画第6弾、2016年2月に日本公開予定)のプロモーションなどのため、約1年半ぶりに日本へ帰国している。

 着いたなり、時差ボケと風邪のためハッキリしない頭に冷水を浴びせるようなニュースが飛び込んできた。フランスの地方選挙・第1回目の投票で、排外主義的な極右政党・国民戦線が大躍進したというのである。しかも得票率は28%に上り、オランド大統領率いる社会党などを上回って首位。決選投票では振り子が逆に振れて、国民戦線が首位になった地域は出なかったようだが、危険な兆候である。

 と思っていたら、今度はアメリカの悪名高い共和党候補者、ドナルド・トランプが、耳を疑うような発言をした。「当面、イスラム教徒の米国入国を禁止すべき」と言い出したのである。

 この宗教差別丸出しの暴言には、さすがに共和党内部からも批判が続出しているが(あのチェイニー前副大統領ですら!)、ロイターの世論調査によれば、トランプの共和党内での支持率は依然として35%を維持し、首位である。しかも共和党支持者のうち64%は発言を問題視せず、「不快」としたのは29%にとどまったという。恐るべき事態である。

 いったい全体、アメリカやフランスに何が起きているのか。

 こうした現象の背景に、両国で起きた「テロ事件」があることは間違いないであろう。両国で暮らすかなりの数の人々が「テロ」の恐怖に支配され、判断基準や思考が狂わされているのだと思う。

 思い出すのは、2001年9月11日事件直後のアメリカだ。

 あのときも僕はニューヨークに住んでいた。世界貿易センタービルが倒壊するのを目の当たりにしたときには、尋常でないレベルの恐怖を体験した。当時は炭疽菌による攻撃も盛んに取りざたされたので、地下鉄に乗ったり街を歩いたりするのにも、いちいち死を覚悟するような有様だった。

 だからアメリカの世論の9割がアフガニスタン攻撃を支持したときには、その選択を感情的には理解した。僕自身も「テロリスト」には怯えていたし、アフガニスタンを攻撃することで彼らを撲滅できるのなら、それも仕方あるまいとさえ思った。

 しかし、である。

 問題は、冷静に考えるならば、アフガニスタンを攻撃しても、状況が好転するとは思えなかったことだ。むしろ暴力の連鎖を作り出し、世界はますます危険になっていくだろう。そう、思った。だから僕はアフガニスタン攻撃には大反対だった。

 だが、そういう意見を公に発言できるような空気は、恐怖に支配されたアメリカ社会からは消えていた。

 象徴的なのは、全米で星条旗が大ヒット商品に化け、人々が自宅や職場や街角にこぞって掲げたことだ。僕の印象では、社会から排除される不安を抱くマイノリティーの人ほど、率先して掲げていたように思う。「アメリカとともにある」という姿勢を自ら強調することによって、「自分はテロリストの仲間ではない」ことをアピールしようとしたのである。

 こんなこともあった。

 大リーグの試合では、7回表が終わると「私を野球に連れてって」という歌を観客みんなで合唱するのが習わしである。ところが9・11以降、歌はアメリカの第二の国歌と言われる「ゴッド・ブレス・アメリカ」に取って代わられ、皆は一斉に起立して斉唱するようになった。電光掲示板に「私たちはアメリカ軍を支援します」という大きな文字が表示されながら。

 僕はその光景の一部になり戦争に加担するのが嫌で、斉唱が始まっても独り座ったままでいた。すると周りの人たちがチラチラと僕の方を見る。その視線が耐え難く、僕はその後何年間も、大リーグの試合には行けなくなってしまった。

 「テロ」の恐怖に突き動かされると、アメリカ社会ですら、一夜にしてこんなにも「一丸」になってしまうのか……。もともと個人主義と合理主義の強いアメリカだけに、その変貌ぶりに、僕は驚き、戦慄した。そしてアメリカは、アフガニスタン戦争とイラク戦争という二つの泥沼の戦争に突入し、これまでに約17万人もの民間人を殺戮するにいたったのである。

 これは、日本の人々にとっても決して他人事ではない。

 僕がいま非常に恐れているのは、日本でも「テロ」が起きることである。不吉なことを申し上げて恐縮だが、それは実際、時間の問題だと思う。

 カリフォルニアで起きた「テロ事件」のように、最近ではISなどの組織とは無関係に、個人で事件を起こすケースも出てきた。非常に困ったことだが、僕はこれは当然の成り行きだと思っている。なぜなら先月の本欄でも申し上げたように、「テロリスト」とは属性ではなく「アイデア」だからだ。

 こうした単独型の事件は、今やいつどこで起きてもおかしくない。そしてそれをセキュリティの強化によって防ぐことは、ほぼ絶望的に不可能であろう。彼らは政府の監視対象にすらならないのだから。そう考えると、日本でも「テロ事件」が起きるのは、残念ながら、ほぼ確実な気がするのだ。 

 しかしより大きな問題は、いざ「テロ事件」が起きた時に、私たちがそれに対してどう反応するかということである。アメリカやフランス社会のように、恐怖に突き動かされて対応を狂わされてしまうのか。それとも、なんとか理性を保って、冷静に対応できるのか。

 僕は、ただでさえ一致団結しやすい日本社会の性質上、同調圧力が異常に高まるのではないかと恐れている。後藤健二さんらの誘拐事件が起きた時には、「このような非常時には安倍政権批判を控えるべきだ」「政権批判は利敵行為だ」という声さえ、聞こえてきた。もし、パリのような大規模な「テロ事件」が東京などで起きたら、ああしたヒステリックな声が、あの時以上に強まることは当然予想される。

 のみならず、日本ではすでに、国際的なスタンダードによれば「極右」にカテゴライズされるような人々が、権力の中枢にいる。「テロ」が起きれば、安倍政権は「緊急事態条項」を憲法に入れる運動に利用するだろうし、自衛隊を「テロリスト掃討作戦」に参加させるための理由にも使うであろう。そしてそれらの動きに反対する人や政党が、「テロを容認するのか」「お前はテロリストなのではないか」という中傷に晒されるのは、確実なのではないだろうか。

 そうした声に、私たちはいかに抗い、戦争にむかって「一丸」となることを避け得るのか。

 そう書きながらも、僕はかなり絶望的にならざるを得ないのだが、だからといって、何もしないわけにはいかない。せめてまだ日本の人々が冷静なうちに、ここにこうした「警告」を書き記し、「選択してはならぬ危険な道」をあらかじめ示しておこうと思う。「テロ事件」が起きた後では、このような警告には、多くの人は耳を傾けないであろうから。そのとき僕は、下手をすると「テロリストの味方」だとレッテルを貼られて、かなりの程度、社会性を剥奪されるであろうから。

 不幸にも事件が起きた時には、一人でも多くの人々が、この投稿のことを思い出して欲しい。そして冷静さを取り戻して欲しいと、今から願っている。

 

  

※コメントは承認制です。
第35回 不幸にも「テロ事件」が日本で起きたときのために記す」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    日本でテロが起こること。それを理由に、恐ろしいほどの同調圧力が強まること。そのどちらもが、あまりにも現実味を持った恐怖となってしまっている現状。いざ何かが起これば、わたしもあなたも、ある種の「熱狂」に突き動かされそうになるのかもしれません。でも、そのときこそ、「本当にこれでいいのか」と立ち止まる勇気を持ちたい。持てるようでありたいと思います。

  2. Ayako.K.Shichiri より:

    沖縄からです。トランプ候補、単に人権差別・戦争・植民地主義・帝国主義大絶賛アメリカの本質が前面に出てるに過ぎません。テロが防げないのも、マイノリティーの人たちが自らがテロリストでないことを表明するために過剰に反応するのも事実です。沖縄なら、想田監督の話に驚く人は誰もいません。
    でも、米軍基地と一緒に暮らしてない人に想田監督の話は理解出来ない。台場にでも在沖米軍移設して、朝のお天気ニュースが米軍機の音に邪魔されるような状況にならないと想田監督の話を理解出来る人はいない。特に若い人はそう。自業自得です。
    マガジン9さんも、想田監督も判っているはずなのに、それは言いませんね……なぜですか?

  3. トムテ より:

    想田さんの書かれた危機感を、今同じく感じています。
    一つの大きな流れに、感情だけで同調し、別の意見や見方に疑いなく排他的になってしまうこと。歴史的に見てとても危険なことだと思います。
    今ドイツに住んでいますが、各地で起こっている「PEGIDAペギーダ(西洋のイスラム化に反対するヨーロッパ愛国主義者)」の活動を間近で見ていて、「よそ者・未知なもの」として不安感を理由に難民申請者や移民の人々を完全に排他しようとする試みに、自身外国人としても不安を感じつつ、「市民の安全を守るためには、排他するしか方法はない」といった一元化した同調傾向に、何度も歴史に登場してくる暴力的な事件や戦争、プロパガンダといった破壊の前夜の雰囲気ではないだろうかと感じます。
    と同時に、各地の市民からはペギーダに対する疑問の声があげられ、反対デモも活発に行われています。しかしその中で、「ペギーダ=悪」といった単純な方式を元に、団体を潰すことだけを目的とした活動が多少なりあることにも危惧しています。「皆が悪だと言っているものだから、きれいに消し去ってしまおう」、活動に嫌がらせをして気分を悪くさせ、追い詰めることだけが果たして問題の解決なのでしょうか。大切なのはなぜこの活動が出て来たのかを冷静に分析し、一人一人がそれぞれ注意深く問題の核心と対峙し、判断すること、罵倒し暴力的な対応では必ず次の大きな問題を生み出すことを考えなければいけないと思います。
    他の人の意見や情報を集めつつ、自分の内にも「本当にそうか?」と問いかけることが重要だなと感じた記事でした。

  4. 阿羅こんしん より:

    11/13のあと、ご自分のFBのヘッドマーク?を、トリコロールにマーキングされてる、ボクのかなり信頼してる日本人がおられるのに、おどろきました。実はそのことにきづいたあとで、これはフランスからひろがったのだとわかったのですが、あとで、911のあとの星条旗掲げることに狂じたアメリカ社会と重ねた指摘をされたひとがいましたが、この国のインテリの、軽薄な国際感覚に、あきれるを通り越した、脱力でした。 このとこ70年のくぎりで、国営追随放送局が、アーカイブを流しているのですが、ドイツ関連の中に、アイヒマン裁判が放送されました。ハンナ・アーレントの画像に使われた場面が繰り返しとりあげられましたが、意図的だったのかなあ~~~?と、放送局の中で良識に悶々となさっておられる、職員のせめての誠意からかなあ~~~と、思いやってしまったのです。「キミたちの選出の、官房長官!、、、。カレと生き写しでセウ、、、」とね、、、。想田さんの発言に、いつも知恵と力をいただいております。2011年の911の、ボクの「いのりの幟」の十年目のインスタレーションのあと、ウオール街のパブで、打ち上げに参加いただき、ありがとうございました。こんしん合掌

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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