映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載がスタート!
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第1回

法律が大の苦手な僕が
改憲問題を論じる必要に
迫られる理由<その1>

 「マガジン9」編集部から、月に1回程度の連載を依頼された。

 「気になっていること、考えていることを自由に書いて欲しい」とのことだから、何を書いてもいいのだが、いま最も気になっていることの一つは、奇しくも日本国憲法の改定問題である。

 だから、連載第1回は憲法の問題について思うところを述べることにした。いや、たぶん1回では到底論じきれない大きな問題なので、複数回にわたるのではないかと思う。別に「マガジン9」向きの話題を無理に書くつもりもないのだが。

 最初に断っておくが、僕は憲法の専門家ではない。売れているとはあまりいえないドキュメンタリー映画ばかりを作っている、映画作家である。大学では宗教学や映画制作を学んだ。法律の条文なんていうものは、読もうとすればジンマシンが出そうになるほど苦手だ。

 要するに、憲法や法律については全くの素人である。したがって、専門的な法律論からすれば、変なことを書いたり、事実誤認をしたりすることがあるかもしれない。そういう意味では、僕にとってはトリッキーな話題ではある。手を出さない方が、無難かもしれない。

 しかしそれでも、僕はこの問題を自分なりに論じなければならないと感じている。もっと言えば、これまで憲法問題を学者や政治家などの専門家任せにしてきたのは、僕だけでなく、ほとんどの日本人が犯して来た、とんでもない過ちであり、怠慢だったのではないかと疑っている。

 というのも、憲法とは、好むと好まざるとに関わらず、われわれの社会生活に張り巡らされたあらゆる法律や政策の根拠になる、原理原則だからだ。例えば、国会や地方議会は、いかに圧倒的多数の賛成が得られても、憲法に反する法律は作れない。行政も、憲法に反する政策は実行できないし、命令も出せない。

 いや、たまに反するようなことをする人や組織があるから、裁判になったり社会問題になったりするのだが、少なくとも建前では、すべての法律や政策や行政命令は、憲法と矛盾してはならないのである。

 これは結構、凄いことだ。法律が大の苦手な僕でも、否が応でも、確実に憲法の影響を受けながら生活をしている、ということだ。

 例えば、僕はツイッターやブログなどで、しばしば日本政府や政治家のやることを批判したりする。野田前首相や安倍新首相、橋下大阪市長など時の権力者たちのことも、しょっちゅう貶している。

 だけど、僕は今のところ逮捕されたり、投獄されたりしていない。これが中国やイランや北朝鮮だったら、ほぼ間違いなく投獄されているはずなのに(*)

 それは、なぜか。

 答えは簡単。日本国憲法に、次のような条文があるからである。

第二十一条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 非常にシンプル、かつ素っ気ない短文である。でも、この威力は凄い。日本政府は、僕の政府批判がたとえ人々を動かし、社会運動を形作ったとしても、それを取り締まる法律を作れないし、警察も僕を逮捕したりできない。そうすることは、憲法に反しているからだ。

 つまり、僕がツイッターやフェイスブックや本欄で言いたい放題できるのは、それを意識しようとしまいと、実は日本国憲法のお陰なのである。

 このことは、大日本帝国憲法と比較してみれば、より明確である。

第二十六條
日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ祕密ヲ侵サルヽコトナシ

第二十九條
日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス

 「なーんだ、大日本帝国憲法にも似たような条文があるじゃん」と思った人は、注意して読んで欲しい。第26条には「法律ニ定メタル場合ヲ除ク」、第29条には「法律ノ範圍内ニ於テ」という制限がある。

 この制限があるからこそ、戦前の日本では治安維持法などの制定が合憲となり、政府を批判する者は合法的に逮捕・投獄されたのだ。僕だって今と同じような政府批判をしていたら、確実に刑務所に入れられていたと思う。

 まあ、戦前・戦中の日本で言論の自由が著しく制限されていたことは周知の事実だし、「昔のことでしょ?」とタカをくくっている人も多いだろう。

 だが、残念ながら、そんなに安心していられないような事態が、現代日本では不気味に進行しつつある。

 みなさんもご存じの通り、昨年の衆院選で、自由民主党は改憲をひとつの争点にしつつ勝利した。安倍晋三首相は、まずは「改憲を発議するには両院の3分の2以上の賛成を要する」と定めた日本国憲法第96条を改定し、改憲発議のハードルを「過半数の賛成」に引き下げることを提案している。今年の参院選で自民党が勝利し、国民投票が実施されれば、第96条の改定が実現することは、あり得ないことではない。そしてそれが現実となれば、個々の条文の改定は、今に比べて格段にやりやすくなるのだ。

 だが、その自民党が去年の4月に発表した日本国憲法改定案は、日本国憲法よりも、大日本帝国憲法にずっと近いシロモノである。

 例えば、第21条は次のように変えられている。

第二十一条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。

前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。

 第2項が付け加えられることによって、大日本帝国憲法と同様、政府は言論の自由を制限することができる。つまり、例えば僕がいまここに書いているコラムが「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」に当たると判断されるならば、政府は僕のコラムや「マガジン9」のサイトを「違法」とすることができる。そして、僕を逮捕・投獄し、サイトを閉鎖することもできる。少なくとも、それが可能な治安維持法のような法律を制定することは、合憲になる。

 取り締まりが可能になるのは、もちろん、僕の言論だけではない。

 新聞、テレビ、映画、演劇、音楽、ダンス、小説、詩、ブログ、ツイッター、原発デモ…。日本に住む人々による、あらゆる表現や言論が、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」と認定され、取り締まりの対象になり得る。少なくとも、その可能性を明確には否定できないのだ。

 僕は祖国がそのような社会になることを望んでいない。映画を作るたびに、いや、ツイッターでつぶやいたりデモに参加したりするたびに、投獄される心配をしたくはない。

 詳しくは次回以降に論じるが、自民党の改憲案には、言論の自由だけでなく、わたしたちの基本的人権を制限するような改変が、あちらこちらに見られる。政権与党がそのような意志を持っていることに、僕は単純に恐怖を憶える。

 「改憲には国民投票が必要なわけだし、そんな改憲案はさすがに通らないだろう」と楽観している人もいる。でも、本当に安心していてよいのだろうか。

 第1次安倍政権が2007年に成立させた国民投票法では、有権者の総数ではなく、投票総数の過半数で改憲が成立すると定められた。つまり、もし国民投票の投票率が先日の衆院選のように60%程度だと想定するならば、有権者全体の三割超の賛成で、改憲は成し遂げられることになる。このまま国民が憲法に無関心でいるなら、十分、現実味のあることなのだ。

 いくら法律が生理的に苦手な僕でも、いま、憲法について論じないわけにはいかない。その理由が、理解していただけただろうか。

 憲法の問題は、日本人や日本に住む人の誰もが、無関係でありたいといくら願っても、絶対に無関係ではいられない問題なのである。

*中華人民共和国憲法第35条には「中華人民共和国公民は、言論、出版、集会、結社、行進及び示威の自由を有する」とあるが、第51条には「中華人民共和国公民は、その自由及び権利を行使するに当たって、国家、社会及び集団の利益並びに他の公民の適法な自由及び権利を損なってはならない」とある。また、イラン・イスラーム共和国憲法でも、第24条に出版と表現の自由が明記されているが、「イスラームの原則や共和国の権利に有害でない限り」という留保が添えられている。いずれも大日本帝国憲法や自民党改憲案と似たような構造だ。朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法にも、第67条に「公民は、言論、出版、集会、示威及び結社の自由を有する」とあるが、それを骨抜きにするような条文が、あちらこちらにちりばめられている。

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劇作家・平田オリザ氏と青年団を追った
合計5時間42分の観察映画
『演劇1』『演劇2』が日本各地で劇場公開中!

 

  

※コメントは承認制です。
第1回 法律が大の苦手な僕が改憲問題を論じる必要に迫られる理由<その1>」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    以前にインタビュー中島岳志さんとの対談にも登場いただいた想田さん、
    第1回の「観察」はまず「憲法」について。
    これまでになく「改憲」の文字が現実味を帯びてきている今、
    まさにこれは私たち誰もが<無関係ではいられない問題>なのだと思います。
    想田さんが日々発信中のツイッターブログも、必読ですよ。

  2. magazine9 より:

    返信テスト

  3. 三上善博 より:

    俺が生まれたのが昭和29年、西暦1954年。当時は、まだ周囲に空襲の焼け跡が残るほどの、戦争の傷跡が残っていました。おとなたちも、戦争に傷が生々しく、心に傷を残していたので、とくに9条は、俺が自分で不思議に思うほど、心に残りました。記憶には、簡単に、軍隊による戦争はしてはならないという程度でしたが、それでも9条のおかげでここまで平和を甘受できたのだと思います。
    でも、今、集団的自衛権の問題で、安倍首相は自衛隊を軍として扱い、攻撃を容認しようと目指しています。
    今のこどもたちには、戦争があったということを、知らずに、また教えられずに育ってきたこどもたちが多くいます。彼らが成人して、軍人として海外に派兵されることのないように、俺も声を上げてゆきたいと思います。
    その武器は文章。小説というものでありたいですね。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
→OFFICIAL WEBSITE
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