『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。
第29回
安保法制にも辺野古にも原発にも反対で、アベノミクスにも懐疑的だが安倍内閣を支持する主権者たち
大半の憲法学者が違憲と断じる安保法制を議論する国会が開かれている中、日本テレビが6月12日から14日にかけて、世論調査を行った。
その結果によると、安倍内閣の支持率は41.1%。不支持率は39.3%。5月の結果は支持率が43.5%で不支持率は37.7%だったから、安倍内閣に対する評価はジリジリと下がってきているといえる。
だが、それでも支持率が不支持率を上回るこの結果。「もしかして、安保法制の内容や進め方の危険性が、あんまり知られていないのでは?」と思いたくなるのは自然であろう。「メディアが危険性をきちんと伝えないからではないか?」と、ついつい結論を急ぎたくなる気持ちもわかる。
ところが、調査の結果を詳しく読んでいくと、どうもそうした推論は早合点のようである。
まず、日本は集団的自衛権を行使すべきかどうかという設問。この質問に対し、行使することに否定的な意見は62.5%に上り、肯定派の23.8%を大きく上回っている。
[問6]自衛隊の活動を広げる安全保障関連法案が、国会で審議されています。この法案のなかには、憲法の解釈を変えることによって、同盟国などが攻撃を受けた場合、日本が攻撃されたことと見なして、反撃することができる集団的自衛権の行使を、実際に行える内容が含まれています。あなたは、実際に、集団的自衛権を行使できるようにすることでよいと思いますか、思いませんか?
(1)思う23.8%
(2)思わない62.5%
(3)わからない、答えない13.7%
つまり回答者の圧倒的多数は、集団的自衛権の行使容認には反対なのである。
加えて、次の設問と回答結果を読めば、法案の合憲性についても、大半が「違憲」と認識していることもわかる。
[問8] 衆議院の憲法調査会での審議で、出席した3人の憲法学者全員が、法案に含まれている集団的自衛権の行使について、憲法違反にあたると表明しました。これに対して、安倍内閣は、これまでの憲法解釈の範囲のなかにあり合憲だと説明しています。あなたは、この法案には、日本国憲法に違反する内容が含まれていると思いますか、思いませんか?
(1)思う51.7%
(2)思わない16.8%
(3)わからない、答えない31.6%
回答者たちは、国会での進め方や安倍政権の説明についても批判的だ。法案を今国会で成立させることに反対の人は63.7%に、法案の内容についての説明が十分だと思わない人は78.7%にも上っている。
[問9]あなたは、この法案を、いまの国会で成立させることでよいと思いますか、思いませんか?
(1)思う19.4%
(2)思わない63.7%
(3)わからない、答えない17.0%[問10]あなたは、安倍内閣が、この法案の内容について、国民に十分に説明していると思いますか、思いませんか?
(1)思う12.5%
(2)思わない78.7%
(3)わからない、答えない8.8%
ただし、不可解なのは[問7]への回答である。この設問では「後方支援」という名の「兵站」の是非について問うているわけだが、[問6]では集団的自衛権の行使容認に否定的な意見が圧倒的だったにもかかわらず、ここでは意見が拮抗している。
[問7]また、法案のなかでは、外国の軍隊が、国際社会の平和と安全のために活動している場合、日本周辺地域以外でも、国会の承認を得た上で、自衛隊が、外国軍に対して、弾薬や食糧などを輸送するなどの、後方支援を行えるようにするとしています。あなたは、これを支持しますか、支持しませんか?
(1)支持する41.2%
(2)支持しない42.6%
(3)わからない、答えない16.3%
要は「兵站は集団的自衛権ではない」と誤解している人が多いのであろう。そういう意味では、安保法制の議論の中で、正確な理解が行き渡っていない部分があることは否めない。
しかし、総じて回答者たちは、安保法制には反対である。そう結論づけてよいであろう。「安保法制の内容や進め方の危険性があんまり知られていない」わけではないのである。
にもかかわらず、回答者の41.1%は安倍内閣を支持している。
このギャップ。
私たちは、その理由をよく調べ、考えなければならないのではないだろうか。
その際、「やっぱりアベノミクスに目くらましされているのでは」という説明に飛びつくことも、控えねばならない。[問5]の結果を見る限り。
[問5]あなたは、安倍総理が進めている、大胆な金融緩和、財政出動、成長戦略を組み合わせる、アベノミクスといわれる経済政策は、順調に進んでいると思いますか、思いませんか?
(1)思う 21.8%
(2)思わない56.2%
(3)わからない、答えない 22.0%
回答者の多くは、安倍内閣の経済政策にも懐疑的なのだ。
それだけではない。今回の世論調査では、辺野古への基地移設問題でも「支持しない」が「支持する」を上回っている。
[問14]安倍内閣は、沖縄県名護市辺野古に、普天間基地に替わる新たなアメリカ軍の飛行場の建設を進めています。建設を進める安倍内閣と、反対する翁長沖縄県知事とが対立しています。あなたは、辺野古への基地移設を支持しますか、支持しませんか?
(1)支持する35.7%
(2)支持しない40.5%
(3)わからない、答えない 23.8%
また、世論は安倍内閣の原発政策にも批判的である。
今回の調査には含まれていなかったが、今年2月の調査では原発再稼働についての設問があった。その結果、「支持しない」が「支持する」を大きく上回っていた。
原子力発電についてお伺いします。安倍内閣は、福島での事故後に、新たに決めた安全性を高めるための規制基準に合格した原子力発電所については、住民の理解を得ながら、運転を再び始めたい方針です。あなたは、この方針を支持しますか、支持しませんか?
(1)支持する37.8%
(2)支持しない49.9%
(3)わからない、答えない12.3%
要は、回答者の多くは安保法制にも辺野古移設にも原発再稼働にも反対で、アベノミクスにも懐疑的である。にもかかわらず、安倍政権を支持する人の方がそうでない人よりも多い。そういう結果が出ているのである。
「うーむ。じゃあ、いったい何がよくて安倍内閣を支持しているの?」と、僕などは思わず頭をかきむしりたくなるわけだが、その答えのヒントは、たぶん[問2]の回答にあるのだろう。
[問2] 安倍内閣を支持する理由は何ですか?
(1)安倍総理の人柄が信頼できるから17.6%
(2)閣僚の顔ぶれに期待がもてるから1.9%
(3)支持する政党の内閣だから21.3%
(4)政策に期待がもてるから15.5%
(5)他に代わる人がいないから33.8%
(6)特に理由はない7.0%
(7)その他1.2%
(8)わからない、答えない1.7%
もっとも多いのが「他に代わる人がいないから」。消極的選択なのである。「他に代わる人がいない」としても、安倍政権を「不支持」とすることは可能なはずだが、そういう選択はしない(僕だったらそう選ぶ)。変に責任感(?)が強い。
ちなみに、次に多かった「支持する政党の内閣だから」という回答は、「なぜ自民党を支持するのか」を聞いてもらわないと、あまり参考にならない。残念ながら、そうした設問はこの世論調査にはなかった。
いずれにせよ、回答者の多くは、安倍政権の進める重要政策には反対なのである。にもかかわらず、「他に代わる人がいない」と考えて、安倍内閣を支持しているようなのである。
これを「不条理」と感じるのは僕だけだろうか。
しかし、人間とはそもそも不条理な生き物である。私たちは、論理ではない別の何かを理由に、重要な決定を下すことが少なくない。
その「別の何か」がいったい何であるのか。
安倍内閣の退場を望む勢力は、その点こそを研究する必要があるのではないだろうか。少なくとも、この世論調査を読む限り、安保法制の危険性を訴えるだけでは、安倍政権を倒すことができないことははっきりしている。なぜなら、そんなことは主権者は百も承知だからである。
「安保法制にも辺野古にも原発にも反対で、アベノミクスにも懐疑的」な人が多いけれど、にもかかわらず内閣支持は過半数…。この数字、なんとなくの肌感覚にも合致している気がします。「他にいない」という気持ちはわからなくもないけれど、このままではその「反対」の政策が「民意」の名の下にますます加速されていってしまう。そうなってから後悔してももう遅い、のですが…。
この現象の一因として、私は「正常化バイアス(Normalcy bias)」を思い浮かべます。さらにバイアスの源について考ると、つまるところ「信頼」ではないかと。人々は個々の事案に潜む危険性は感じていても、全体としては首相や政府与党を権力と見做して監視するよりも、むしろ共同体のリーダーとして期待することを選好し、「最終的には私たちのリーダーが私たちをひどい目に合わすことはないだろう」という、漠然として善良な「信頼」を寄せてしまうのではないか。現時点で、私はそのような見方をしています。
そうなんです。ずっと不思議に思ってきましたが、この安保法制違憲論ではっきり傾向が出ています。政策にはどれもこれも反対なのに、それを推進している政権を支持するという、ねじれ現象です。先の大阪市住民投票でも、橋下支持層で反対に投票した人がけっこう居たらしい。選挙だけでは民意を反映させることはできない。決定責任を受け持つことで民主主義に活力を与える、住民投票・国民投票をするべきだと改めて思いました。
結局こういうことではないのだろうか。
憲法を守り、安保法制や原発に反対しているわれわれの側が、安倍に代わる戦線を作り出していないということ。単純に言えばだが。民主党は頼りにならなかったし、第三勢力は消えたり浮かんだり、共産党は固いイメージだし、社民党ははっきりしない。沖縄のように、保守も含めた政治勢力の統一というか連合が、今こそ必要な秋ではないのか。保守・革新を超えた「九条の会」のような組織をどうして政治の場で実現できないのだろうか。
私もそういう気がします。
普通に考えると、変わるべき他がいると思われていない、ということ。民主党政権 への印象評価の悪さもかなり大きい。実際、ひどいことも多かったし。そしてその弱点をいまも克服してない。
野党だけの問題ではない。安倍政権の政策への批判という背景があるのに、自民党の中から、自分は安倍とは違うという議員は出てこない。自民党のほかの議員はみんな牙を抜かれたか、あるいは 安倍以上にひどい右翼のどっちか。
しかし、これはいまの体制側にとっても危険で、ラディカルな体制変換を求めるものにとってチャンスかも。いまの体制の枠の中で、変わるべきも のを提示できないとしたら、やはりラディカルな変化しかないという機運を生む可能性があるかも。日本でギリシャのシリザやスペインのポデモス、あるいはスコットランドナショナル党みたいな勢力が生まれる可能性があるのかどうか、そこが問われているのかも、というのはちょっと希望的な観測
「意見」と「行動」は別物。つまり、意見は言うが、行動は別というやつだ。 行動する際の価値観 を「善悪」という客観的基準より、共同体ににおいて「迷惑をかけたか否か」とう主観的基準に求める社会風土。「寄らば大樹の陰」「皆さんがそうしています」という花が満開しているようだ。 これはまさに農耕民族が永年培ってきた土壌である。「和をもって貴し」。狩猟民族と大きく違うところだ(飛岡健著「日本人のものの者の考え方~その欠点・弱点・貧しさ~」)。
「多様性認める精神」の涵養がキーワードと考えるが今は間に合わない。 今の日本は 「空気的大衆社会」だと指摘する社会学者竹内洋さん。だとすれば 「空気的大衆社会」を揺さぶる「ワンフレーズ」が欲しい。
「日本にはブレーキを掛けるメカニズムが欠けているのではないかと思います。それは悲劇的欠陥です」。述べたのは戦後日本に滞在していた著名な米国人である(2001年8月15日NHKテレビ番組より)。
私もずっとこのことを疑問に思ってきましたが、でも、みなさんの意見を読んで、そんなに不可思議なことでもないのではないかと思い直しました。
アンケート回答者は、設問に対して選択肢の中から自分の感覚、考えに一番近いものを選ぶ、その結果としては安倍の政策に批判的な回答が多くはなる。だが、だからといって現政権の否定につながるまで強く批判感情を持っているわけではないのだということです。集団的自衛権行使は、良いか良くないかと聞かれれば良いと思わない、原発再稼働もしかり、でもそれらを推し進めようとしていることについて、これは嫌だ、そうなったら大変だとまでは思わないのではないでしょうか。
私の場合は、安保法制案、原発再稼働、経済政策、辺野古移転、どれも反対で、それに対して強い嫌悪感があり、それは安倍政権の否定につながります。そして、ほかの人も安倍の政策に反対なら安倍政権を否定するだろうと考えてしまい、そうならないことが「疑問」になったのだと思います。
つまり、くどくなりますが、政策のひとつひとつについてはいいとは思わないけど、批判的、否定的ではないという、けっこう単純なからくりなのではないかと思いました。
久しぶりです。想田和弘さんのコラムはいつもロジカルで楽しみにしています。私も「不条理」だと感じます。
そして考え行動して生きてきた結果が、むなしいくてたまりません。が、それでも私はあきらめています。ただし、このままでは得られないもの、悪政の未来に存在するはずのものそれを数世紀先の日本に定着させる事を夢見ています。
最後にこの国内情勢でも未だコラムを連載してくれてありがとう。時々、励みになります。
想田さんは昨年末の総選挙に際して、有権者の関心が景気のみに終始していることを本コラムで指摘なされていた。今回のコラムで分析されている現象も、我々有権者の関心は、自分の所得がどれだけ上昇するかということのみにとどまっていることから説明がつくのではないか。日本の有権者が政治に求めているのは、物質的な豊かさをどれだけ与えてくれるのかという事であり、原発や、沖縄の基地問題や、安全保障の問題も、自分の所得に明確に関連を持つ時のみ考慮されるのだ。そして自民党は、所得倍増という言葉に象徴されるように、橋を、ダムを、道路をという様に我々有権者の望むものを知り尽くし、其処にアピールする事のみに専念してきた政党であり、有権者の側も、不公正や不正義があったとしてもそれが自分に関するものでない限り、自民党が自分たちが政治に望んでいることを一番効率的に充足してくれる政党だと考えている。そんな拝金教徒の私が、自分の政治への関心の在り方が、実はひどく貧しいものだったのではないかと考えさせられる記事があった。高橋源一郎氏が、イギリスの(本人はスコットランドのと呼ばれることを望んでいるだろうが)政治家ニコラ・スタージョンについて言及したものだ、イギリスの下院議員選挙中に党首討論が行われ、その中で、極右政党の党首が、HIVの感染者の多くが外国人で、自分たちの医療費を蝕んでいるという趣旨の発言をした時、スタージョンは、自分は重大な病に苦しめられている人に対する時、その人の国籍がどこかという事は考えないと返答したという。この時この極右党党首は勿論のこと、この極右主義者の発言に対して沈黙していた他の党の党首たちよりも、彼女は遥かにパブリックな存在であるという事を雄弁にイギリスのみならず世界に、示したのだ。政治とは本来他人のことに積極的にコミットする営みであり、その時の他者の範囲は大きければ大きいほどその政治家の存在は優れて公共的なものとなる(抑々、大英帝国の富は黒人奴隷貿易を考えればわかる様にその植民地への犯罪によってなしたのであり、自国民のことしか考えられないというこの極右党首の発言は、無効なものだ)。スタージョンは、スコットランドのローカル政党の党首だが、その言葉は、イギリスは言うに及ばず、EUの枠もはるかに超えて極東の島国の私にも強烈な磁力を及ぼしている。目下のところ、私にとって最も関心のある政治家はスタージョンであり、彼女は私に一円のバウチャーも交付してくれることはないだろうが、彼女の言葉は、私の腹や腰に自民党が一度たりとも与えてくれたことのない充実を感じさせてくれる。