映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第25回

意見の多様性を確保するために

 「いま日本政府を批判すれば、テロリストを利することになる」

 「非常時なのだから、日本人は一丸となるべき」

 ISILによる邦人人質事件が発生して以来、日本のメディアや社会で政府批判の「自粛」が広がりつつある。

 こうした「空気」に抗い、言論と表現の自由を守るため、何か私たちにできることはないか。そう考えて、古賀茂明さんや今井一さんなど有志数人と一緒に「声明文」を起草した。そして言論人、報道関係者、表現者などに呼びかけた結果、現時点で約1200人の賛同者を得ることができた。

 声明文の全文は、ここで読める。

 これまでの賛同者のリストは、ここにある。

 僕は「声明文」の叩き台を書いた。言いたいことはそこに盛り込んだつもりだ。しかし僕らの行動を誤解して批判する人もいるので、この場を借りて補足・反論しておきたい。

 まず、よくあるのが「賛同者たちはこの機会を悪用して安倍政権を貶めたいだけなのではないか」という批判である。

 だが、読めばわかるように、声明文は一言も安倍政権を批判していない。政権批判を自粛する動きや空気に反対しているだけである。要は「いつでも自由に物を言える環境を守ろう」と呼びかけているにすぎない。僕自身は安倍政権の対応に批判的だし、そう公言もしているが、声明文ではそうした論調を控えたのだ。

 なぜそうしたのかといえば、安倍政権の対応を支持する言論人の中にも、「言論の自由を守ろう」という一点では賛同できる人もいるのではないかと思ったからである。実際、声明文は次のように結んでいる。

 「誰が、どの党が政権を担おうと、自身の良心にのみ従い、批判すべきだと感じ、考えることがあれば、今後も、臆さずに書き、話し、描くことを宣言する」

 また、こういう批判もときどき目にした。

 「“翼賛体制の構築に抗う”などというが、翼賛体制が築かれつつあるなどというのは幻想だ。日本ほど言論の自由が保障された国はない。なぜ、いたずらに危機を煽るのか?」

 まあ、僕らの認識そのものが誤っているのであれば、こんなに嬉しいことはない。しかし、物言えぬ空気がマスメディアを覆いつつあり、事実上の翼賛体制が築かれようとしていることは、残念ながら事実である。

 そもそも今回の声明文を「出さねばなるまい」と思った直接のきっかけは、古賀茂明さんが報道ステーションで安倍政権の対応を批判した結果、激しいバッシングを受けた「事件」だ。

 僕もテレビでの古賀さんの発言を確認したが、きわめて穏当で真っ当な批判である。思い出していただきたいのだが、第2次安倍政権以前であれば、(自民党政権のときでも)あの程度の政府批判はテレビにごくありふれていたし、なんら特別なものでもなかったと思う。

 ところが今回の古賀さんは、まずはネット上で「テロリスト支援者」だの「売国奴」だのと叩かれた。のみならず、テレビ朝日や番組スポンサーの元には「古賀を降ろせ」という抗議が殺到したという。そして、あろうことか首相官邸からも、局側へ様々な圧力がかかったそうだ。古賀さんは、次の番組改編時などに、レギュラー出演者のポストを降ろされる恐れもある。

 それだけではない。

 発言後、古賀さんの元には警察も訪ねてきて、「危険なのでご自宅の警備の人間を増員します」「電車には乗らないでください」などと言われたそうだ。古賀さんにすでに警察の警備が付いていたことにも驚いたが、発言のせいで警察が警備を増強すべきと判断しなければならないほど、すでに日本の「言論の自由」は危機的状況にあるのである。

 そうした認識の妥当性は、図らずも今回の声明文に賛同してくれた現役のNHK職員(ディレクター1名、プロデューサー1名)の証言によっても再確認できる。

 彼らは勇気を持って実名で署名してくれたが、「2月9日に開かれる記者会見では名前を出さないでほしい」と今井さんに言ったそうだ。なぜなら「目立ちすぎて一斉に攻撃を受ける可能性」があり、「今手がけている番組の出演者その他に多大な迷惑がかかる可能性がある」からだという。

 先述したように、声明文の内容には安倍政権批判は一切含まれていない。日本国憲法を引き合いに出して、「非常時こそ言論の自由を守らねばならない」と決意表明をしているだけだ。

 にもかかわず、公共放送の職員たちはそうした声明文に賛同するだけで「一斉に攻撃を受ける可能性」や「出演者その他に多大な迷惑」をかける心配しなければならなかったのである。

 どうであろうか。これでも、「翼賛体制が築かれつつある」というのは、僕らだけが抱く幻想であろうか。

 もちろん、ネット上には安倍政権を批判する言説が溢れている。僕もツイッターやフェイスブックで自由に政権批判しているし、賛同してくれる人も多い。そういう状況を指して「日本では言論の自由が保障されている」というのも一理あるとは思う。中国などではそれすらも不可能だから。

 だが、その一方でマスメディア、とくにテレビでの言論の自由が著しく損なわれつつあることは、否定できない事実であろう。

 同時に、9日の会見に出席したおしどりマコさんによれば、そうした抑圧的な状況は日常生活にもじわじわと広がっているようだ。

 先月、岐阜県で平和展を開こうとした人たちが、「『平和』は左翼的用語だから」という理由で公民館を借りられなかったこと。東京の公立小学校で、集団的自衛権や武器輸出三原則に触れつつ、「将来は勉強して国会議員になって平和な国づくりをしたい」と卒業文集に書いた小6男子が、「政治的批判を含むから載せられない」と作文を突き返されたこと。

 マコさんはそうした事例を挙げていたが、この手の事例は、ここ数年で急激に目にしたり耳にしたりするようになったと僕は思う。そして想像したくもないことだが、今後万が一、日本本土でテロ事件が起きたり、他国と交戦状態になったりするようなことがあれば、「政権批判は敵を利するだけ」という理屈で、自粛ムードは格段に強まっていくと思うのだ。

 最後になるが、声明文に賛同してくださった方々に、心から感謝を申し上げる。

 いろいろと不備や不手際もあり、運営の仕方に不満やフラストレーションを抱かれた方もおられるのではないかと、ちょっと心配している。批判は甘んじて受け入れるが、賛同を呼びかけた僕たちは「組織」ではなく、ゆるいつながりの「有志」であり、ボランティアである。活動資金もゼロである。100点は追い求めず、70点を目指している。どうか温かい目で見守っていただければ幸いである。

 また、誤解する人がいるので申し上げておくが、賛同しなかった人を「翼賛体制の一部になるのか」などと非難するつもりは毛頭ない。それぞれの人にはそれぞれの人の考え方やスタンス、事情があるからだ。

 改めて申し上げたいのは、僕らが望んでいるのは「意見の多様性の確保」ということである。声明文で申し上げているのは、その一点に尽きる。したがって、「賛同しない人はダメだ」などと言ってしまったら、究極の自己矛盾を犯すことになるのである。

*これからもしばらく「賛同」や「応援」を受け付けています。
声明文の英訳も出ています。

 

  

※コメントは承認制です。
第25回 意見の多様性を確保するために」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    選挙権が18歳に引き下げられようとしていますが、学校の中でさえ自由に政治への意見を交わすことができなかったら、どうやって子どもたちは政治に興味をもち、積極的に参加することができるのでしょうか…。知らないうちに自粛ムードが行き過ぎていくのが不安です。
    「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道陣、表現者の声明」については、「雨宮処凛がゆく!」でも紹介されています。あわせてご覧ください。

  2. 島 憲治 より:

     まともなことを言うのに勇気がいる国になった。これはまともな国ではない。                     批判精神の衰えは民主主義を崩壊させる。これは歴史の教訓である。民主主義を破壊したいという人々がこんなに大勢いるとは驚きである。それとも権力者に媚びを売りただの自己満足にすぎないということだろうかか。 確かに民主主義は行きずまっていると思う。だからこそ多様な「意見」が大事なのだ。想田さんの鋭い視点での寄稿いつもありがとうございます。古賀さんを攻撃する人たちはさらなる逞しい姿を見たいということだろうか。古賀さん応援しています。

  3. ピースメーカー より:

     フィフィさんのツイートにて、「イスラム国の自爆要員ハーデスさん」が多くの日本人とツイッターと翻訳機械を使って対話しているという情報を知り、今月8日に閲覧しました。
     そこでは、冷酷なテロリストのレッテルを張られるISILの戦闘員と、同じように人でなしのレッテルを張られる「ネトウヨ」という言葉をペンネームにした人物が、お互いに相手の人格を尊重した上で、極めて理性的な討論が展開されていたので、これは凄いと思ってマガ9に紹介しようと企んでおりましたが、それらのやりとりを編集した「NAVERまとめ」が今月11日には閲覧できなくなりました。
     確かにISIL側の情報戦の一環であり、鵜呑みにするのは危険であるという意見は間違いではないかもしれません。
     しかし、危険かそうでないかの最終判断は、個々の人々の感想に委ねられるべきであり、どこかの偉い人の主観によって、個人が判断する機会すらも奪われてしまうのには、私的には納得がいきません。
     今回のISILの事件を利用して安倍政権を打倒しようとして、最後は墓穴を掘るようなことを言っている人々の有様には辟易としている私ですが、確かに「安全」を大義名分にした言論統制の傾向があるのは否定しません。
     そして、その傾向を批判する想田さん達の有志連盟の主張に、私は賛同致します。

  4. yamada sanae より:

    私も同じように感じています。
    私には、まだ小さな3人の子供がいます。
    この子たちに、ちゃんと平和な世の中を手渡してあげたい。

    ISやテロの問題は、いろんな複雑な問題を抱えていて、
    多面的に見なければいけないと思います。
    だからこそ、みんなが自由に発言できないと!
    話し合いながら、真実が見えてきたり、良いアイディアが浮かんだり、
    お互いに(時には敵と思われる人とも)心がつながって、解決したり、するんではないでしょうか。

    まだ、マスコミの言論統制が敷かれていると気がついていない人も多いと思います。
    あまり考えもしないで、なんとなくとか、雰囲気とか、大きな声に流されるんじゃなくて。
    右とか、左とかでもなくて、ちゃんと、もっとみんな、真実(事実)を知ろうとしなくてはならない。
    それを、操作されてはならない。

    小さな者ですが、仕事上の置かれている立場も活かし、
    憲法改悪されぬよう、あと1年半あまり、力の及ぶ限り、
    周りの人に訴えていきたいと思います。

    「君死にたもうことなかれ」ではないですが、我が子たち、
    無意味に殺されたり、また武器を握らせて、人を殺せというために、
    日々、愛をこめて、子育てをしているのではありません!!

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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