柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 日本のジャーナリストとそのOBたちによる視察団に加わって、私は9月7日から14日まで北朝鮮を訪れた。僅か1週間、それもピョンヤン周辺の所定のコースを歩いただけの旅で北朝鮮を論じるのはおこがましいが、初めて見た「近くて遠い国」に対する私なりの感想を報告したい。
 訪れる前まで私は北朝鮮に対して一つの「仮説」を抱いていた。それは、私が子どものころに垣間見た戦前・戦中の日本社会とそっくりなのではないか、というものだ。結論から先に言えば、私の仮説は8割方、当たっていた。
 第一に、すべてに軍事が優先する軍事国家であること、第二に、国民に知らせる情報はすべて「大本営発表」であること、第三に、最高指導者への崇拝が宗教的というか「神がかり」になってきていること、である。
 もちろん新聞もテレビもあるが、新聞には硬い論文がびっしりと並び、テレビは放送時間が、平日は午後4時から11時まで(日曜祭日は午前9時から)と極端に短い。しかもニュースの時間には、金正恩(キム・ジョンウン)第一書記が部隊を視察して激励する同じような場面が繰り返し出てくるのだ。
 私たちが滞在した1週間は、シリアをめぐる緊迫した情勢が世界的なニュースだったが、米国が軍事介入するかもしれないという北朝鮮にとっては最も関心の高いはずのニュースだったのに、まったく報じられていなかった。
 「なぜ、報じないのか」と案内役の当局者に訊くと、「いや、そのうちに国際ニュース解説として出てきますよ」というのである。つまり、当局者が適切な解説をつけるまで報道を急ぐ必要はないということなのだろう。
 オリンピックが東京に決まったというニュースも伝えなかった。東京は気に入らなかったのかな、と思ったら、日本に帰国後、北朝鮮も東京の応援をしてくれたと聞いてちょっとびっくりした。何を報じ、何を報じないのか、まさに「大本営発表」で、当局のさじ加減一つのようである。
 最高指導者の神格化は、ピョンヤン市内のどこへ行っても、金日成(キム・イルソン)、金正日(キム・ジョンイル)両主席の銅像、石像、写真、肖像画が目に入らないところはないといっても過言ではなく、どこの施設を見に行っても、主席がいつ視察に来て、どんな「お言葉を賜った」か、から説明が始まるのである。
 たとえば、産業館にある全国の発電所一覧には、水力か火力かの区別のほかに、主席の視察されたところには星印がついているのだ。昨年以降に建った施設、たとえば国際サッカー学校の玄関の写真は金正恩第一書記であり、100人の選手の卵たちが合宿する4人部屋のベッドは、「朝起きて体操ができるスペースを」という正恩氏のお言葉で、2段ベッドに替えられたというのである。
 テレビ画像にあふれる、服のまま胸まで海水に浸かって正恩氏を見送る兵士たちの姿といい、最高指導者の神格化と国民の忠誠心競争の激しさは、戦前・戦中の日本を上回るものがあるようだ。大胆な憶測を述べれば、金日成主席は、戦前の日本の統治下で、国民の忠誠心を高めるには世襲制の個人崇拝が最も効果的だと気がついたのかもしれない。

日本の北朝鮮報道はワンパターンすぎないか

 私の仮説は8割当たっていたとしても、2割は違ったということである。たとえば、北朝鮮は戦前の日本と同じように世界の中で孤立しているといっても、ピョンヤンの街にはヨーロッパや中国からの観光客の姿がかなり目立ち、かつての日本ほど孤立はしていないようである。
 また、米国敵視は同じでも、英語どころか野球まで排斥したかつての日本とは違って、理系大学の第一外国語は英語だった。「敵国の言葉なのに?」と意地悪く訊いてみると、「いえ英語は世界語ですから」と平然とした答えが返ってきた。
 私たちが泊まったピョンヤンのホテルには、NHKをはじめCNN、BBCや中国のテレビ局などの回線がつながっていて、常時10チャンネル以上の視聴が可能だった。ホテルの従業員たちも、見ようと思えば自由に見られるわけで、戦前の日本ほど情報の閉鎖社会に押し込められているわけではなさそうだ。
 さらに、携帯電話の普及台数が200万台を超えたということで、街の中を歩きながら電話をしている姿も、日本ほどではなくともよく見かけた。メディアはダメでも、情報の拡散・浸透は急速に進んでいくに違いない。
 情報だけでなく、経済の自由化も昨年からほんの少し進んだようである。社会科学院経済研究所の幹部が私たちにレクチャーしてくれたところによると、昨年6月から農業でも工場でも所定の生産量より工夫や努力で上回る生産をあげた場合は、その分の「私有化」を認めるという新しい方針が決定され、実施されているというのである。
 これは、どんなに小さくとも経済の「改革・開放」への第一歩なのではあるまいか。それをわざわざ私たちにまでレクチャーしてくれたということは、もう後戻りはしないという自信の表れではないか。
 こうした北朝鮮社会の変化について、詳細にウォッチしていれば日本のメディアにも報じられていたのかもしれないが、私は何も知らなかった。日本のメディアの北朝鮮報道は、テレビ画像でのマスゲームや軍事パレード、正装したアナウンサーの一オクターブ高い声でのニュースなどの印象が強すぎるせいか、奇矯な国だという面ばかりを強調するワンパターン化しているような気がしてならない。
 とくに、今年7月末のメディア時評(前々回)でも触れたように、北朝鮮が拉致事件を認めてからは立場が一転「被害者」に変わって、いっそうパターン化してしまった感じである。日本と北朝鮮との間の「異常な関係」に慣れてしまったのか、北朝鮮報道の異常さにも麻痺して、あまり気にしなくなっていたのかもしれない。
 今回の旅行中に、先方から言われてハッとして、私の胸にズキンと響いた言葉が二つあった。日朝関係の異常さにあらためて気づかせてくれた言葉なので、そのまま紹介しておきたい。
 「私たちはこうして皆さんをお迎えしているのに、私たちが日本へ行きたいといっても行けないのですよ」
 「未来に夢が描けないため、日本語を学ぼうという学生がこの国にはいなくなりそうなのです」

64年のではなく、40年の「幻の東京五輪」を思い起こそう!

 ところで、国内に目を転じよう。決定の瞬間には私は国内にいなかったのだが、あとから振り返っても東京オリンピック決定のニュースは久々の明るいニュースだったのだから、メディアが大騒ぎしたのも無理はない。しかし、冷静に考えれば、ちょっと「はしゃぎすぎ」だったのではないか。
 もちろん、東京オリンピックといえば、だれしも1964年のオリンピックを思い起こすのだろう。私も、開会式の日のあの抜けるような青空、アベベの強さ、チャスラフスカの美しさ、そして東洋の魔女たちの活躍…などをいまも鮮烈に覚えている。
 64年当時は、ようやく戦禍のなかから立ち直り、みんな貧しいながらも希望に満ち溢れていたときだった。それが、いまやどうだろう。豊かにはなったが、格差は広がり、閉塞感にも打ちひしがれて、未来にも明るい夢が描けない。
 いま思い起こすなら、64年の東京オリンピックではなく、戦乱の機運で中止となった1940年の「幻の東京オリンピック」(※)のほうではなかろうか。平和憲法を改めようとか、改憲せずに集団的自衛権の行使を認めようとか、秘密保全法をつくろうとか、自衛隊に「海兵隊」をとか、敵の基地を先制攻撃するケースを考えようとか、戦前を思い起こす材料には事欠かない。
 「いつか来た道」という批判が出ると、必ず「そんな時代錯誤を!」という反論が渦巻くが、最も仲良くすべき近隣諸国との間がどんどん悪くなっていく昨今なのだから、そんなときに軍備の増強などを考えることこそ、時代錯誤であろう。
 それに、福島原発事故では終始、「まるで大本営発表だ」という批判の声が渦巻き続けており、安倍首相の五輪開催地決定直前の「原発事故は完全にコントロールされている」という発言など、その典型である。
 日本の社会がきな臭くなってきているときだけに、せめてメディアくらいは1940年の「幻の東京オリンピック」を思い起こして、「きな臭い話はオリンピックになじまない」と警鐘を鳴らしてもいいのではあるまいか。

 

  

※コメントは承認制です。
第58回 見てきた北朝鮮、やはり戦前の日本とそっくりだった!」 に6件のコメント

  1. magazine9 より:

    柴田さんのいう「幻の東京オリンピック」とは1940年、当時の東京市で開催が予定されていた夏季オリンピックのこと。日本のみならずアジアでも初めての開催となるはずでしたが、1937年に始まった日中戦争の戦火拡大などを受けて、日本政府は1938年、開催権を返還しました。かわってフィンランドのヘルシンキでの開催が決定されたものの、こちらも第二次世界大戦の拡大で実現せず、この年のオリンピックそのものが「幻」に終わることになります。
    オリンピックが「平和の祭典」というのであれば、開催が決まった私たちの国で、本当にその「平和」が実現されているのか(戦争をしていない、というだけの意味ではなく)を、何度でも考えてみるべきでしょう。

  2. くろとり より:

    >私が子どものころに垣間見た戦前・戦中の日本社会とそっくりなのではないか、というものだ。結論から先に言えば、私の仮説は8割方、当たっていた

    戦中の日本はそれこそ国の存亡をかけた全面戦争中だったのです。
    今の北朝鮮とは置かれた状況が違いすぎます。
    それを一緒に考えるのはあまりにもおかしいでしょう。

    >「いつか来た道」という批判が出ると、必ず「そんな時代錯誤を!」という反論が渦巻くが、最も仲良くすべき近隣諸国との間がどんどん悪くなっていく昨今なのだから、そんなときに軍備の増強などを考えることこそ、時代錯誤であろう。

    あなたが「最も仲良くすべき」といっている近隣諸国が一方的に日本を嫌っており、軍備を拡張しているのですが。

    あなたは知らないのか? 安倍政権になるまで日本の軍事費はアジア地域で唯一削減され続けていたという事実を。
    中国の軍拡、覇権主義により、アジア地域の軍拡競争が加速しているという事実を。
    特定アジア(中国、韓国、北朝鮮)以外のアジアの国々は中国に対抗する為に日本の軍拡を望んでいるという事実を。
    アジアの平和を乱しているのは日本ではなく、中国だという事実を。

    あなたこそが時代錯誤なのです。

  3. 国民 より:

    北朝鮮がおかしいところは、堂々と批判したらいかがでしょう?
    軍事国家・情報統制・神格化、全て真っ向から批判すればいい。なぜ「戦前の日本だ」などと日本批判にすりかえるのでしょうか? 
    日本批判にすりかえた挙句、今度は褒め上げ始める。そして結局日本を批判して終わる。

    拉致がばれても、覚せい剤の密輸がばれても、偽札作りがばれても、社会主義国は神聖にして犯すべからず?
    それでは護憲派じゃなくて、ただの反日サヨクですね。

  4. countcrayon より:

    前半、「ああやっぱり」と思って読ませて頂きました。私もずっと、似ていると思ってましたもん。
    戦前の社会は直接知りませんが、老親の話やら、山中恒「ボクラ少国民」はじめいろいろ読みまして、よーく想像してきましたので。「奉安殿の御真影に敬礼が足りないと体罰」とかですね。実際に戦時中に「少国民」だった柴田さんのご感想で、我が意を得ました。

    そもそも同じ儒教文化の稲作文化で、民族的にもある程度まで重なっているでしょうから(今上陛下も桓武天皇の血縁に言及されましたね)、似たような政治体制が好まれるのもある程度当然かも知れません。

    カルト宗教でもブラック企業でも、情報から隔絶され、相互監視が徹底されたガラパゴスの中の人たちがいかに洗脳されやすく、同調圧力に屈しやすいか、外界から見て滑稽な夜郎自大に陥りやすいか。やたらと「わが民族は優秀だ優秀だ」と言いたがり、やがて外界に迷惑かけ始めるといかに迷惑か、という教訓ではないでしょうか。人は歴史から学びませんと。

    本当にご記事の通り情報へのアクセスが進んでいるなら、社会の目覚めも時間の問題でしょうから喜ばしいことですが、実際そんなに甘いもんかなあと疑問は感じます(すみません)。一方で、ステレオタイプの北朝鮮像が必ずしも実像でない、というご指摘もありそうに思います。

    英語については、私も北京観光のとき小学校後半くらいの子どもに英語で話しかけられヤルナと感心しまして、生き馬の目を抜く大陸ではまず現実のサバイバルに必要な技術から教えるシタタカさは当然なのかも知れませんね。北朝鮮も大学で使うのは何ぼなんでも当然でしょうが、もし小中学校レベルでもシタタカに教えているのであれば、体制側も見かけよりは現実的に将来外界と付き合っていくつもりの表れ、な気もしますね。(以上長くなりましてすみません。)

  5. 鳴井勝敏 より:

     「過去に目をつぶる者は現在も盲目である」。1985年5月8日、国会で行われた、全世界であまりにも有名になったヴァイツゼッカードイツ大統領の演説だ。ドイツ・ナチスにユダヤ人160万人が虐殺されたと言われるポーランド・アイシュヴィッツ収容所を尋ねたのは5年前のことだ。そこには「歴史を記憶しないものは、再び同じ味を味わざるを得ない」刻まれていた。                                                  私は盲目になりたくない。時代錯誤に陥りたくもない。勿論戦前の様な同じ味を味わいたくもない。 その為にもこの度の北朝鮮訪問の感想記はとても貴重なものでした。 常に鋭い切り口での論調楽しみにしています。
     

  6. 花田花美 より:

    「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として。」
    二度目はいらない。
    一度目はアメリカ相手に太平洋戦争。
    二度目は中国相手?
    歴史に学ばないと。特に世界の現代史。
    日本の学校は現代史をちゃんと教えないから、
    ネットにあっさりだまされてしまう勘違いさんがたくさんいるのかなぁ。
    とにもかくにも、北朝鮮の「今」を知る、貴重な報告でした。
    こういう生の情報がないと、ニュースの映像効果や
    過激な雑誌記事のタイトルにだまされて悪誘導されてしまう。
    世界を知ることは、平和に一歩近づくこと。
    世界を知れば知るほど、戦争の愚かさに気づきますもの。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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