柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

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 5月は憲法記念日のある月だ。昨年の憲法記念日には「改憲」を真正面から取り上げるメディアがほとんどなかったのに対し、今年の5月は改憲問題がすべてのメディアに渦巻いた。僅か1年で、時代の空気はこんなにも変わるものかと、驚くほどの変化である。

 もちろん、その理由は、その間に政権交代があり、総選挙に圧勝した安倍政権が改憲を最大の目標に掲げたからである。ただし、7月の参院選までは改憲の中 身には踏み込まず、96条の手続き論(改正の発議を衆参両院の三分の二以上を二分の一以上に改める)から入ることを打ち出していた。

 したがって3日の憲法記念日前後の報道は、96条問題に集中したことはいうまでもない。憲法については80年代から新聞論調の二極分化が言われ、湾岸戦争を経て先鋭化していたが、96条についても新聞論調は真っ二つに割れた。
ただ、改憲には賛成派の日経新聞が96条の改正にはやや疑問を呈したことと、憲法に対して「護憲ではなく論憲だ」とあいまい派に転じたかに見えた毎日新聞が「96条の改正に反対する」と明確な社説を打ち出したことが、目立った点だったといえようか。

 一方、改憲派の読売、産経新聞は、96条の改正に自民・維新の会・みんなの党の賛成で三分の二は超えると意気揚々、とくに読売新聞は2日の朝刊の一面 トップに国会議員アンケートを載せ、「自・維・み9割超 改正賛成」と、改憲はすでにできあがったかのような勢いをみせていた。

 ところが、それから僅か半月余、5月の下旬には憲法96条をめぐる社会の空気はガラリと様変わりした感じである。その理由の第1は、日本国憲法の改憲の ハードルが諸外国に比べて高すぎるという主張が必ずしもそうでないことが分かってきたことだ。日本の憲法が一度も改正されなかったのは、決してハードルの せいではなかったのである。

 理由の第2は、憲法学者たち、なかでも改憲には賛成派の小林節・慶大教授らから「権力者の側が『不自由だから』と憲法を変えようという発想自体が間違い だ。96条からの改正は改憲への『裏口入学』で邪道だ」といった意見が出て、国民の間にもそうした見方がかなり浸透したことが挙げられよう。

 理由の第3には、安倍政権のねらいが分かって国民世論まで96条の改正に疑問の声が強まったことがある。朝日新聞の調査ではもちろん、読売新聞の世論調査でも、96条の改正に賛成意見より反対意見のほうが多かったのだから、改憲派の人たちは驚いた。

 そのため、自民党では96条を参院選の争点にすることをやめようかと迷いはじめた。安倍首相があれほど明確に参院選の争点にすると確約していたのに、5月下旬に発表するとしていた参院選公約の原案にはとりあえず盛り込まず、発表を6月に延期した。

 これには、読売・産経新聞もまるで梯子をはずされたかのようにびっくり仰天し、産経新聞は25日の社説で「自民参院選公約、96条の先行改正を掲げよ」と主張したほどだ。

 もし、自民党がここまで来て改憲を引っ込めてしまったら、いかにアベノミクスが好調でも、安倍政権の政治生命は終わりだろう。

従軍慰安婦をめぐる橋下代表の「暴言」の波紋

 今月のニュースでは、憲法と並んで日本維新の会の橋下徹共同代表の従軍慰安婦をめぐる「暴言」が大きな波紋を描いた。
その波紋のひとつに、前記の改憲問題もある。先にも記したように、憲法改正をめぐっては自民党と日本維新の会とみんなの党とは見解が一致していて、協力 関係にあるとみられていたのが、まず、みんなの党の渡辺喜美代表が橋下発言に「政策以前の基本的価値観が違う。とても一緒にはやっていけない」と協力関係 の破棄を通告。また、自民党も「橋下氏の見解とは違う」と距離を置き始めた。

 当の橋下氏は、発言を撤回せず、テレビを中心に連日のように釈明の弁をしゃべりまくっているが、釈明すればするほどボロが出てくる感じである。沖縄の米 軍司令官に「風俗営業の活用を」と進言した部分については、米国や米国民に謝罪したいと言いはじめているが、なぜ米国民だけなのか、韓国や中国、そしてな によりも日本国民への謝罪がなぜないのか、不思議な人である。

 従軍慰安婦といえば、それを認めて謝罪した河野洋平官房長官談話を取り消したいと、かねてから主張しているのが安倍首相自身であり、橋下氏の考え方とどこがどう違うのか、もっと詳しく訊いてみたいところだ。

 第一次安倍内閣で「強制連行を直接示すような記録は見当たらなかった」という政府答弁書を閣議決定しており、橋下氏もそれをしばしば釈明に引用している が、それは免罪符にはならない。一般に犯罪事実が記録にとどめられていなくとも、被害者の証言を裁判官が真実だと認めれば有罪判決を下すことは珍しいこと ではない。河野談話も被害者の証言をもとに事実はあったと認めて謝罪しているのだから、いまから否定したらさらに国際的な信用を落とすこととなろう。

 従軍慰安婦といえばもう一つ、NHKと朝日新聞の「大喧嘩」に発展した番組改変事件がある。あれも、もとはといえば安倍晋三氏(当時は官房副長官)が NHKの幹部に改変するよう示唆したのが発端であり、NHKはいまだにあの問題を謝罪一つしていないだけでなく、ずたずたに改変されて放送された番組は、 いまもNHKアーカイブスに要求しても見せてくれないのだ。

 同じ敗戦国でも歴史認識がドイツとまるで違うところが、近隣諸国から日本が尊敬されない原因になっているのである。

原子力で経産省の「暴走」を許すな!

 このほか今月のニュースの中で、メディアの報道との関連で目についた事例を二つ取り上げたい。二つとも原子力関係である。

 一つは、原子力規制委員会が敦賀原発2号機の真下に活断層があると認定した専門家調査団の報告書を了承したというニュースと、それに対して、読売新聞と産経新聞が社説で「規制委の『暴走』許すな」と真っ向から批判したことである。

 メディアは、社会に対するチェック機能が最も大事で、どんな問題についてもおかしいところがあれば「おかしい」と指摘することは重要な任務である。しかし、これはどうなのだろうか。

 福島原発事故が起こった原因は、もちろん当事者の東京電力と、規制官庁の経産省原子力安全・保安院と内閣府の原子力安全委員会に責任があることはいうまでもない。それに加えて、メディアのチェック機能が働かなかった責任も大きいといえよう。

 とくに、原子力発電を推進する立場の経済産業省に規制官庁をもたせた「失敗」は重大で、地震・津波が来る前の安全対策でも、来てからの対応でも、保安院 がやるべきことをやっていなかったことがいろいろと明らかになっている。そのことを国会の事故調査委員会は「規制する側が規制される側の虜(とりこ)に なっていたのが事故の原因」とまで断じているのだ。

 その反省をもとに、原子力の規制行政を経産省から切り離し、独立性の高い3条委員会として独立させたのが原子力規制委員会である。その規制委の専門家調査団が下した判断なのだから、「活断層の真上には原子炉はつくらない」という規定に従うほかあるまい。

 読売や産経新聞の社説は「日本原子力発電会社の見解と違うから」「活断層ではないといっている学者もいるのだから」という理由で、「原発つぶしの暴走を 許すな」というのでは、またまた発電会社の言う通りにせよ、「規制される側の虜(とりこ)になれ」ということになってしまうだろう。


 もう一つのニュースは、朝日新聞が19日の朝刊の1面トップで報じた「経産省、民間提言に関与――原発、再稼働求める」というものだ。電力会社や原発 メーカーのトップらでつくる「エネルギー・原子力政策懇談会」(会長・有馬朗人元文相)が2月に安倍首相に渡した緊急提言づくりに経済産業省資源エネル ギー庁がかかわり、手助けをしていたことがわかった、というスクープである。

 提言は、原発再稼働や輸出推進を求め、原子力規制委員会の規制基準や活断層評価を批判しているものだが、民間の有識者の有志を前面に出して、かげで経産省がお膳立てをしていたというわけである。

 記事によると、朝日新聞は提言ができるまでの「骨子」や「素案」などの段階のデータを保存したパソコン文書作成ソフトの記録ファイルを入手した。ファイ ルの作成者はいずれも経産省の職員だった、とある。つまり、この記事は経産省内に内部告発者がいて生まれたスクープなのである。

 私の想像では、この内部告発者は、原発事故であれだけの惨事を引き起こしたのに、政・官・業の中には原発の再稼働を求める声が早くも渦巻き始めている。事故の責任者である経産省が「こんなことに加担していていいのだろうか」と疑問を感じた人に違いない。 
 この記事をさらに読み進めると、提言者有志の中にはテレビ東京社長も名を連ね、懇談会にはフジテレビの会長やサポートメンバーには読売新聞の科学部長、事務局には朝日、毎日新聞の元記者もいると報じられている。

 これまで原発を推進してきたグループとして政・官・業・学界の「原子力ムラ」があるとよくいわれ、それにはメディアも加わっているという人もいるのだが、こういう記事をみると、「もしかすると、そうかも」と読者も思ってしまうに違いない。

 

  

※コメントは承認制です。
第54回 どうなる憲法96条、半月でムードが一変」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    憲法関連はじめ、大きなニュースがいくつもメディアを賑わした5月。
    中でも、橋下氏の「従軍慰安婦」をめぐる発言は、大きな波紋を広げています。
    もちろん決して許されない、厳しく批判されるべき発言ですが、
    これまで「メディアの寵児」として影響力を拡大してきた人物であるだけに、
    「手のひら返し」という言葉がふと頭をよぎる瞬間も。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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