柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 7月10日に投票日を迎えた参院選は、自民・公明両党の大勝に終わった。野党の中の改憲派を加えると、改憲の発議に必要な3分の2を確保した形である。
 なぜ、こんな結果になったのか。これまで何度も繰り返してきたように、今度の参院選は、安倍政権が憲法違反の疑いが極めて濃い安保法制を強行採決で成立させてから初めての国政選挙であり、安保法制に対する国民の意見は、どの世論調査でも反対が多く、与党に厳しい結果が出るのではないかと予想されたのに、そうはならなかった。
 その理由は、与党が徹底的に争点隠しを図り、メディアがそれに『協力』してしまったからではないか。与党側は、選挙戦に入ってからは安保法制のアの字にも触れず、争点はアベノミクスの是非だと1点に絞ったうえ、しかも「道、半ばだ」という巧妙な表現を用いて、恩恵を受けていないと思う人たちにも「途中でやめたらもっとひどいことになるぞ」と思わせる方法をとったのである。
 この与党側の戦略に、メディアはほとんど乗ってしまった。読売新聞などは「アベノミクスを問う参院選」というカットを毎日のように使い、テレビの報道も「アベノミクスを評価しますか」と訊くような形で、反対派の意見も取り上げることによって中立だという形をとった。
 一方、野党側は「アベノミクスは失敗だった」と主張する形で与党のペースに乗ってしまい、対案が見えないことで、争点隠しに協力してしまった形である。ただ、与党側のもう一つの争点隠し『改憲』については、3分の2を阻止しようという立場から、争点に引っ張り出すことにはある程度成功した。
 その点では、朝日新聞などのカット見出しが読売とは違って「憲法、アベノミクスを問う参院選」となってはいたが、憲法が争点に入ったといっても、与党も9条の改憲をいきなり持ち出すつもりはないようで、選挙結果にはあまり響かなかったようだ。
 これで安倍政権は、戦後一貫して「憲法違反だ」とされてきた集団的自衛権の行使を、閣議決定でひっくり返し、安保法制を強行採決によって成立させた『暴走』を、参院選で勝ったことで、国民からも支持を得たと強弁するのだろう。それを許したメディアの報道の仕方があらためて問われよう。
 しかし、今度の参院選は、与党側の圧勝とも言えなかった。なかでも、沖縄県で自民党の現職、島尻安伊子沖縄担当相が大差で落選したこと、福島県でも現職の岩城光英法務相が落選したことは大きかった。現職の閣僚が2人も落ちたのだから、安倍政権にとっても痛撃だったといえよう。
 また、32の一人区で野党共闘が成立し、野党側が11勝を挙げたのは、前回の参院選では2勝しかできなかったのだから、大きな成果だった。それに、投票率が低かったことも、固定票の多い与党側に有利に働いたようで、投票内容の実体は、当選者の数ほど与党側の大勝とは言えない状況だ。

18歳選挙、自民党は教員の「密告奨励」までやるとは

 ところで、この参院選から始まった18歳からの選挙権はどうだったか。メディア各社の調査によると、18歳・19歳の投票率は極めて低かったうえ、与党に投票した人が多かったようである。
 そう予想されていたからこそ、与党が選挙権年齢の引き下げに賛成したのだろうが、それにしても「怒れる若者たち」といわれた60年安保時代と比べて、なんという様変わりか。いまの若者たちが当時に比べれば豊かだとはいっても、決して恵まれた状況ではないと思うのだが…。
 この18歳選挙権にからめてだと思うが、自民党が「学校教育における政治的中立性についての実態調査」と称して、教員などに「政治的中立を逸脱すような事例」があったら通報するように、と公募していたのには驚いた。まるで「密告の奨励」ではないか。
 自民党の文部科学部会が中心となって「選挙権が18歳以上となった参院選前後に高校などで混乱がなかったか調べるため」と公式ホームページで実施していたもので、相当な件数が集まったとして、その一部は文部科学省に情報提供して対応を求めるという。
 戦前の日本は国論の統一に「教育とメディアを利用した」と言われているが、「国論に反対する非国民」を摘発しようと奨励した、そんな戦前の歴史を思い浮かべ、背筋の寒くなるような話ではないかと思った。

次は都知事選、3氏の三つどもえ、予断を許さず

 参院選が終わったら、舛添要一都知事が辞任した後を受けて、すぐ都知事選が始まった。真っ先に手を挙げたのは、自民党の小池百合子氏。ところが、自民党都連に何の挨拶もなかったとへそを曲げて自民党と公明党は増田寛也氏を推すことになり、保守分裂の選挙となった。
 一方、野党の側も土壇場でジャーナリストの鳥越俊太郎氏をかつぎ出し、その前に手を挙げていた宇都宮健児氏が降りたので、野党4党の統一候補の形になった。そうなれば、政党支持者の数からみて、増田氏と鳥越氏の一騎打ちの形になったようにみえるが、東京都民の票は、いつもアッと言わせるような気まぐれだから予断を許さない。
 メディアの情勢調査によると、小池氏が一歩リードの形だというのだから、31日の投票日まで、まったく勝敗は分からないというべきだろう。

ダッカの悲劇、ダラスの悲劇…世界中で惨劇が

 今月は世界中の各地で悲惨な事件が相次いだ。7月1日にバングラデシュの首都、ダッカで起こったテロ事件では、日本人7人が殺された。外国人がよく行くレストランが過激派集団に襲われたもので、同国の裕福な家庭の若者たちがイスラム国に同調してやったというのだから、「憎しみの連鎖」はどこまで広がっていくのか、想像もできない。
 ダッカと言えば、1977年にあった日航機ハイジャック事件を思い出す。日本赤軍が日航機をハイジャックしてダッカに着陸し、巨額の身代金と日本国内で囚われている仲間の釈放を要求した事件である。
 当時の福田赳夫首相が「一人の生命は地球より重い」と犯人らの要求にことごとく応じ、一人の犠牲者も出さずに済んだが、国際的には非難も浴びた。今回のダッカ事件は、身代金の要求事件ではないが、もし身代金の要求があったら安倍晋三首相はどう対応したかな、とふと思った。
 安倍首相は、もちろん応じなかっただろう。昨年の1月、中東を歴訪して「イスラム国と戦っている諸国に2億ドルの支援をする」と演説し、イスラム国から「その2億ドルを2人の日本人の身代金として寄こせ」と言われた時も拒否しているからだ。あの時から、日本人もイスラム国の「敵」になってしまったといわれている。
 米テキサス州ダラスで起こった黒人が白人警官5人を射殺した事件は、白人警官が無抵抗の黒人を射殺した事件の報復だったようで、これも「憎しみの連鎖」だった。
 ダラスと言えば、1963年にケネディ大統領が暗殺された事件の現場である。その犯人とされたオズワルドが別の男に射殺され、いまだに真相は闇の中という不可解な事件である。
 ダラスの悲劇では、人種差別の「憎しみの連鎖」もさることながら、いまだに銃規制ができない米国社会の「後進性」に驚きを禁じ得ない。身を守るためにみんなが銃を持つ社会が、いかに危険か、近代社会ではみな銃規制をやっているのに、米国はいまだに開拓時代から抜け出せないのだ。
 ハロウィンの仮装をして訪れた家で射殺された「服部君事件」のことを思い出す。あれから何年経っているのだろう。
 このほか、フランスのニースで大型トラックを暴走させて84人を死亡させた事件や、ドイツのミュンヘンで銃乱射事件があり9人が死亡、といった訳の分からない血なまぐさい事件が続発している。
 また、トルコでは、軍の一部がクーデターを企て、一時はテレビ局を占拠したりしたが、失敗に終わった。間一髪、危機を免れたエルドアン大統領が、今度は非常事態宣言を発して反対派の一掃に乗り出している。これも行き過ぎたら恐ろしい。
 トルコは中東のど真ん中、アジアとヨーロッパの間の要衝の地で、トルコが政治的に不安定になったら、世界の混乱はさらに広がってしまうだろう。

政府は沖縄の民意を尊重せよ!

 日本での後進性は、沖縄だろう。本土の0.6%の面積に米軍基地の74%が集中する沖縄の現状に対して、沖縄の民意は明らかなのに、政府はそれを無視して、強引に事を運ぼうとしている。
 高江のヘリパッド建設に反対して座り込んだ住民たちを機動隊がごぼう抜きにしたり、折角、普天間基地の辺野古移転問題が、裁判をやめて和解のテーブルに着いたのに、政府はまたまた、沖縄県を訴える裁判を起こすなど、和解とは逆の方向へ動き出している。
 政府は、沖縄県民を日本国民とは考えていないかのようだ。何度も言うようだが、沖縄は、英国が国民投票でEUから離脱したように、県民投票で日本から独立することを考えたほうがいいのかもしれない。

天皇の生前退位のご意向にどう対応するのか

 参院選が終わったタイミングを見計らっていたかのように、天皇が生前退位のご意向を周囲の人たちに漏らしていたことが報じられ、大騒ぎとなった。NHKのスクープのような形で始まり、各メディアがそれを追ったような展開ではあったが、ことがことだけに何かがあったことは間違いなくとも、真相は分からない。
 ただ、宮内庁の長官や次長が「そんな事実は全くない」と全面否定したことが、一層、そういう形で報じようという事前の申し合わせがあったのではないかと疑わせるものがある。
 いずれにせよ、現在の皇室典範には退位の規定はなく、新たな規定を設けるよう天皇が発言したら、憲法で禁じられている政治的発言だと受け取られかねないと宮内庁は心配したのかもしれない。
 それはともかく、天皇も82歳のご高齢で、皇太子に譲って引退したいと考えるのは、極めて自然なことで、政治的な発言などと言わずに、有識者会議で皇室典範の改定を検討すればいいのではあるまいか。
 宮内庁としては、それが簡単なことではないと心配しているのだろうか。退位した場合に年号はどうするのか、退位した天皇は、昔のように上皇と呼ぶのか、昔あったように上皇と天皇との間で対立したらどうなるのか、と心配すればきりがない。
 そんな難しいことを言わずに、素直に天皇のご意向を尊重すればいいのだ。
 昭仁天皇は、いまの憲法に定められた国民統合の象徴という考え方に「それが本来の天皇制のあり方だったのだ」と思っておられるようで、憲法99条の「天皇はこの憲法を尊重し、擁護する義務を負う」という規定をしっかりと忠実に守ってこられた方だ。
 それだけに、参院選が終わって改憲の発議ができる3分の2を確保した直後の退位の表明に、「安倍政権の改憲に待ったをかける意味合いがあるのではないか」という人も少なくない。しかし、それは考えすぎというものだろう。
 ただ、自民党の改憲案には、9条を変えて国防軍を持つことを明記しているうえ、天皇の地位を象徴ではなく国家の元首にするとしており、それに対しては、密かに反対のお気持ちがあるのかもしれないとは思う。
 というのは、昨年の天皇のお言葉には「満州事変に始まる先の大戦に対する深い反省」という言葉がしっかりと述べられていたのに比べて、安倍首相の70年談話には、村山談話からの引用だけで反省やお詫びの主語がなく、戦前の日本に対する反省の点では天皇と安倍首相とでは全く違うことが明らかになったからだ。

 

  

※コメントは承認制です。
第92回 参院選、「争点隠し」に成功した与党の大勝に」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    すべてをマスメディアの責任にはもちろんできませんが、結果として報道が参院選における「争点隠し」の片棒を担いでしまったのは事実。予想どおり、参院選後になって安倍首相は「憲法改正」を前面に押し出した発言を続けていますが、「議論のベースにする」という自民党改憲草案の内容、そしてそれが「議論のベースにされる」ことを、自民党に投票した人のいったいどのくらいが認識していたのだろう? と思います。
    あまりにもひどい事態が進行している高江の現状も同じ。「現政権がこんなことをやっている」と知れば、一票を投じることをためらう人も、やはりいるのではないのでしょうか。知ろうとする努力、伝えようとする努力、そしてメディアに「伝えてほしい」と訴える努力。そのすべてが必要なのだと痛感します。

  2. 島 憲治 より:

     民主主義制度を支える「批判精神」の衰えは目に余る。特に、エリート層や知識人にその傾向が表れているようだ。その裏返しが「情緒的判断」の助長である。こういう時代に登場してくるのが 勇ましい言葉を弄して民衆を扇動する輩である。                         ヒトラーは、民主主義の体制を保ちながら。独裁政治を実現した。土壌はポピュリズムにあった。          日本でも、その徴候が顕著になってきた。大阪につぎ、東京にもその徴候が色濃く表れてきた。都知事選に立候補した女性候補者。被害者を装い、女、一人、を強調。有権者の同情を誘い支持を得ようとする姿は、まさにポピュリズムであるといえる。                      国民は独裁政治を渇望しているのだろうか。それとも、なすすべもなく唯々流され、必至に堪えているのだろうか。今は、戦前とは違う。主権者の自由な意思で選択できるのだ。
                                          

  3. 藤川太門 より:

     どこかで読んだのですが、マスコミの報道を信用する人は、日本人の場合は67パーセントになるそうです。これがイギリスの場合は、17パーセント。いかに日本人が人任せで自分の意見を持たないかということが分かります。
     これは今に始まったことではなく、長期にわたって「飼いならされた」ために身についた国民性であるといえるでしょう。しかしそれは一方で、古代からの支配者が、よその国に比べて税や強制労働においてより過酷でなかった、むしろ温情的な支配を続けてきた証拠でもあると思います。
     将来的にも日本人は、「お国のために」犠牲になることを美徳とする、封建的被支配者として暮らして行くことをためらわないでしょう。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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