柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 安倍首相はどうしてそんなに「軍事」が好きなのか。首相がいつも口にしている常套句、「戦後レジームからの脱却」とか「日本を取り戻す」という言葉を分かりやすく翻訳すれば、「戦前はよかった、戦後はよくない」となろうか。
 戦後生まれの首相が「戦後がよくない」と考えるのは、実体験として「憲法9条が日本の軍事を封じ込めてきたのはよくない」と思うからだろう。その部分は、まだ分からないでもない。
 分からないのは、戦前の体験はないはずなのに、軍が政治まで牛耳り、軍に逆らうものは「非国民」として糾弾された軍事国家のどこがよかったと考えるのか。どこからそんな歴史観を学び、「軍事好き」の思想を身に着けたのか。
 恐らく戦前のリーダーで戦後A級戦犯被疑者となった祖父の岸信介氏の教えによるところが大きいのだろうが、自分で学んだ「戦前の歴史」はないのだろうか。
 というのは、安倍政権が誕生してからの2年間余り、やってきたことはすべて「憲法9条の呪縛から軍事を解き放つ」ことだったといっても過言でないからだ。特定秘密保護法しかり、武器輸出三原則の撤廃しかり、集団的自衛権の行使容認しかり…。
 戦後70年の年が明けて、「イスラム国」を敵に回した安倍外交の大失敗に始まり、2邦人を殺害されて「その罪は必ず償わせる」と有志連合の空爆にも参加しそうな発言まで飛び出す始末。そして海外の日本人の救出に自衛隊を出動できるようにしようと言い出し、タイでその訓練まで行なわれた。
 邦人の救出に自衛隊を出動できるようにすることは一歩前進だと安倍首相は言うのだが、本当に前進なのだろうか…。
 さらに2月に入ってODA大綱改定の閣議決定があり、初めて他国の軍隊に対しての援助も可能とする道を開いた。日本のODAといえば、途上国から非常に喜ばれていたものだったのに、財政の危機に直面して額が減ったうえに、その性格まで変えてしまうことに問題はないのか。大綱に初めて「国益」という言葉を使ったという点も、気になるところだ。

安保法制協議、公明党は本当に「平和の党」なのか?

 そして2015年の最大の焦点と言われる「新たな安全保障法制」について、政府は2月13日、自衛隊による艦船や武器などの防護対象を米軍のほか他国軍にも広げる方針を自民党と公明党に提示した。日本周辺有事での後方支援を、米軍以外に拡大することも示した。政府・与党は3月末までに安保法制の基本方針をまとめるとしている。
 自民党と公明党は、政府提案を受けて与党協議を再開し、まず警察や海上保安庁では対処できない「グレーゾーン事態」への対処を議論した。
 メディアの報道によると、政府側が自衛隊と共同演習の実績があるオーストラリア軍を例に挙げ、自衛隊法95条の「武器等防護」の規定を改正し、防護対象を「米軍『等』の武器等」に広げることを提案、公明党側から懸念が示され、継続協議となったという。
 自民党と公明党は、当面週1回協議し、海外での米軍や多国籍軍への後方支援の拡大などを話し合うというが、メディアによると、「平和の党」と自称する公明党がどこまでがんばれるかが焦点だというのである。
 ちょっと待ってもらいたい。そのセリフは前にも聞いたことがあり、公明党に期待したのに、あっさり裏切られたことが半年前にあったからだ。
 安倍政権が憲法9条の改正は難しいので、集団的自衛権の行使容認を閣議決定でやろうとしたとき、公明党が待ったをかけ、「閣議決定に反対だ」というから国民もメディアも期待したわけである。
 ところが、公明党は「平和の党」でも何でもなかったのだ。長々と協議はしたが、結局、政府・自民党の言う通りの結果になってしまったのである。公明党は「どこまでも付いていきます下駄の雪」だといわれていたのを、「下駄の鼻緒になる」というので一瞬、期待したのに、やはり「下駄の雪」だったのだ。
 弊害は、結果が同じだったというだけにとどまらない。自民党と公明党による与党協議が長々と続き、それをメディアが連日報じることによって、国会審議の代わりを果たしているかのような錯覚を国民やメディアに抱かせたのである。
 その過ちをまた繰り返すのか。安保法制に関しては、公明党は「平和の党」でも何でもない、ただの「下駄の雪」であったことを、少なくともメディアはしっかりと自覚すべきではなかろうか。
 今回も、新たな安保法制にからんでの国会の質疑で、ホルムズ海峡での機雷の除去に自衛隊を出動させることができるかどうかが問題になった。安倍首相は、中東からの石油は日本の死活にかかわることだから、当然可能になると述べたことに対して、公明党から「それは違う」と反対の声が上がった。
 さらに政府は20日、自衛隊の海外活動について現行の周辺事態法と国連平和維持活動(PKO)協力法を改正し、新たな恒久法を制定する方針を示した。事実上の地理的な制約を撤廃しようというもので、さっそく公明党からは「歯止めがかからなくなる」と慎重論が出ているという。
 こうした公明党の姿勢が最後まで維持されるのかどうか、メディアはしっかり監視していてもらいたい。公明党の「抵抗」に期待して、自・公の与党協議を長々と報道し、結局、公明党が折れて自民党の言う通りになるという「半年前の悪夢」の繰り返しだけはご免こうむりたい。
 安倍首相の「悲願」に関する今月のニュースとしては、もう一つ、8月15日に出す「戦後70周年の安倍首相談話」を検討する有識者懇談会のメンバー16人が発表された。座長には日本郵政の西室泰三社長、座長代理には国際大の北岡伸一学長が就く予定だというが、安倍首相に近い安保法制懇に似たものとなりそうだ。
 悲願の達成もいいが、国際社会から厳しい目が注がれていることだけは忘れないようにしてもらいたい。

原発の再稼働、地元住民の声を無視していいのか

 このほか今月のニュースとして、原子力規制委員会が関西電力の高浜原発3、4号機の再稼働にゴー・サインを出したというのがある。九州電力の川内原発に続くものだ。
 原子力規制委員会は、これは安全性を保障するものではなく、さまざまな規制や基準に合っているかどうかを判断したもので、安全性については政府が総合的に判断するものだといういささか責任逃れの姿勢をとっている。
 しかも、地震や活断層について厳しい見解をとってきた島崎邦彦委員長代理を任期がきたからと交代させるなど、政府の再稼働を急ぐ姿勢が露骨に出ているときだけに、規制委のゴー・サインを地元の住民らがどう見るかがカギとなろう。
 現在の規定では、地元の意向としては原発所在地の自治体と県にしか権限がないことになっているが、福島原発の事故状況からいっても、少なくとも30キロ圏内の住民には意向を聞くべきではなかろうか。
 高浜原発でいえば、そうなれば京都府や滋賀県の一部まで入ってくることになろう。原発の再稼働については、「もう一度、福島事故のような大事故が起こったら日本は壊滅してしまう」のだから、そのくらい幅広く地元の声を聞く慎重さはあってもいいはずだ。
 本来なら国民投票をやってもいいくらいのテーマだが、「せめて30キロ圏内の地元の声は訊け」とメディアは政府や電力会社に迫ってもらいたいものである。

 

  

※コメントは承認制です。
第75回 安保法制、自・公の折衝に騙されるな」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    「憲法9条の呪縛から軍事を解き放つ」の言葉通り、戦後の国のあり方を大きく変えるような事態が着々と進んでいます。そこに充分な議論があったのか、その過程に私たち国民が参加できているかと考えると、疑問しか残りません。私たちは、本当にいまのような国を望んでいるのでしょうか? 国民不在の政治にストップをかけられるのは、私たちの声であるはずです。

  2. 島 憲治 より:

    「小さいことは大きなことの始まり」。この小さいことを吸い上げれないメディアが顕著だ。この積み重ねが怖い。「思考停止」状態の有権者を培養する土壌を肥やすからだ。つまり「諦め」である。                    戦後鋭意築いてきたものを,何かに取り付かれた様に国民の議論を避けながら避けながら「戦後レジームからの脱却」を猛進する安倍内閣。それがなぜ国民に支持されているのか良く分からないのだ。                国民に改革〓改善と勘違いしている節がないだろうか。労働環境の激変、所得格差の拡がりが国民から余裕を奪い、何か幻想に取り付かれていないか心配だ。  いよいよ民主主義 、主権者教育の成果が試されるときが来た。

  3. AS より:

    安倍氏にとって“責任”とは指揮権を意味するようです。振るったその結果に対しては何も負いたくないしそのつもりもない。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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