柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

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 戦後70周年の記念の年、2015年の年が明けたが、年明け早々、血なまぐさい事件が続発し、70周年どころの騒ぎではなくなった。
 発端は、フランス・パリの新聞社「シャルリー・エブド」が完全武装したテロ集団に襲われ、編集会議を開いていた編集長や漫画家たち12人が殺された事件である。そのテロ集団がそのあと人質を取って立てこもったり、呼応したテロ事件もあったりして、犠牲者は17人にのぼった。
 犯人らはいずれもイスラム系のフランス人で、警官隊に射殺されたが、襲った原因ははっきりしている。「シャルリー・エブド」はどぎつい風刺漫画が売り物の新聞で、イスラム教の預言者、ムハンマドを貶めるような漫画をたびたび掲載しており、「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」のメンバーが「ムハンマドの名誉が汚されたことへの報復だ」と犯行声明のような談話を発表したからである。
 新年早々、これだけでも仰天させられた大事件だが、このあとに続いた事態には、さらに仰天させられた。第1は、「言論の自由を守れ」というデモがフランスで自然発生的に巻き起こり、参加者はフランス全土で370万人にのぼったこと。
 第2に、そのデモの先頭に、フランスのオランド大統領をはじめ、ドイツのメルケル首相、イギリスのキャメロン首相、イタリアのレンツィ首相、イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長ら、50カ国におよぶ各国首脳級の人たちが参加したこと。
 第3に、通常5万部といわれる「シャルリー・エブド」が、またまたムハンマドの風刺漫画を載せた特別号を100万部発行したところ、それも売り切れて700万部に増刷したこと。いずれも日本から見ると驚くべきことばかりだ。
 たとえば、日本で「言論に対するテロ事件」としては、1987年に朝日新聞の阪神支局に散弾銃を持った目出し帽の男が押し入り、記者2人を殺傷した事件があったが、あのときの朝日新聞の言論には人を揶揄するようなものはまったくなかったのに、「言論の自由を守れ」というデモが湧き起こるといった現象はまったく見られなかった。
 いや、デモどころか、「赤報隊」と名乗る組織からの犯行声明があり、ほかにも朝日新聞に対するテロや脅迫事件が何件か続いたのに、犯人は捕まらず、時効になって捜査も終わってしまったのだ。今回のフランスの反応を見て、「言論に対するテロ」への怒りが、日本は欧州に比べて極めて足りないように感じたのは、私だけではあるまい。
 もう一点、フランスでの大デモ行進の先頭に並んだ各国首脳の写真を新聞で眺めながら、何とも言えない違和感を覚えたことを付け加えておきたい。それは、先頭集団の中央にイスラエルのネタニヤフ首相の姿があったことだ。
 昨夏のイスラエル軍のガザ地区への空爆で、何の罪もない子どもたちや女性たちを含む2000人以上の住民が殺されたが、正規軍の行動だから「テロとは言えない」とはいえ、フランスのテロの何百倍もの「大量虐殺」をやった責任者がこのデモの先頭に立つ資格があるのだろうか、という疑問である。
 イスラエルに言わせると、ガザ地区から飛んでくる「ロケット弾というテロへの報復だ」というわけだが、テロへの報復なら罪もない住民の「大量虐殺」も許されるという理屈が通るはずもない。

日本人2人が人質に、最初は身代金2億ドルを要求

 フランスの新聞社襲撃テロ事件から約2週間後、「イスラム国」に囚われていた日本人2人(湯川遥菜さんと後藤健二さんとみられる)とナイフを持った黒ずくめの男の動画がインターネットに投稿され、日本政府に「命を助けたければ身代金2億ドルを出せ」と脅す事件が起こった。
 フランスのテロ事件も大ニュースだったが、日本人の命にかかわる人質事件が起こったのだから、日本のメディアはこの新たな事件をさらに大きな事件として最大級の扱いで報じたことはいうまでもない。
 このニュースを最初に耳にしたときの私の驚きは、「ああ、日本もついに『イスラム国』の敵になってしまったのだな」という感慨だった。というのは、「イスラム国」は、欧米各国やアラブ諸国などから空爆を受け、世界中を敵に回しているような感じではあったが、日本はそれほど敵視されてはいないような印象を抱いていたからだ。
 この事件を最初に報じた21日の各紙の朝刊を見たとき、主要紙の見出しは「『イスラム国』2邦人人質、2億ドル要求」といったものだったのに対し、日経新聞の見出しには「おや?」と思わせるものがあった。私の抱いた驚きと近い「『イスラム国』日本を標的」という見出しだったからである。
 産業界に近い日経新聞には、私と同じように「日本もついに『イスラム国』の敵に回ってしまったのか」という思いがあったのではあるまいか。
 私が「日本はイスラム諸国から敵視はされていない」と感じていた理由は、1973年の第一次石油ショックの時、中東からの石油が産業界の命綱だった日本は、イスラエルを支持していた米国の意向を無視してアラブ諸国寄りの外交政策を展開、アラブ諸国から絶大な信頼感を得たことが強く印象に残っているからだ。
 その後、2003年のイラク戦争で、米国の要請に応じて自衛隊を派遣したことで、その信頼感も危ういところだったが、幸いなことに自衛隊が戦闘に巻き込まれることもなく、戦後復興に貢献したということで、イスラム諸国からの信頼感も維持されたようにみえた。
 ところが、どうだろう。今回の日本を標的にした脅迫には、日本に対する「敵意」にあふれているのだ。「日本の首相へ。あなたは『イスラム国』から8500キロ以上も離れているのに、自ら進んで十字軍への参加を志願した」。さらに「『イスラム国』と戦うために2億ドルを支払うという馬鹿げた決定をした」と非難し、同額の2億ドルを身代金として要求したのである。
 十字軍というのは、中世にイスラム諸国に侵攻した欧州のキリスト教軍団の名称で、「十字軍への参加」という形で日本を、「イスラム国」を敵視する欧米諸国と同類だと決めつけたものであり、身代金の2億ドルは、安倍首相が中東諸国を歴訪し、エジプトで行った演説からそのまま引用したものである。
 今回の人質事件が安倍首相の中東歴訪と重なったのは偶然のことかもしれないので、安倍外交の大失敗だと断ずるのは酷かもしれないが、一方、「イスラム国」側からみれば、安倍首相の中東歴訪とそこでの言動はすべて「イスラム国」を敵視したものといってよく、その観点に立てば安倍外交が逆手に取られた大失敗だったといっても過言ではない。
 というのは、動画が投稿される3日前に安倍首相がエジプトでした演説の言葉は、「イラク、シリアの難民・避難民の支援をするのは『イスラム国』がもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。…『イスラム国』と闘う周辺各国に総額2億ドル程度、支援をお約束します」というものだったのだ。
 これでは「イスラム国」を敵視したものと受け止められても仕方ないだろう。また、「イスラム国」が日本を脅迫した画像をインターネットに発表した時は、安倍首相がイスラエルを訪問してネタニヤフ首相と両国のいっそうの友好関係を話し合っているときだった。
 イスラム諸国にとってイスラエルは最も敵視している国であり、安倍政権は、そのイスラエルが導入を計画している次期主力戦闘機F35の共同開発に参加すると、かねてから表明している政権なのである。つまり、安倍政権のイスラエルへの急接近が誘発した事件だという見方も成り立つのだ。

事件は、湯川、後藤さんを殺害し、日本への敵対を表明へ

 いろいろあったすえ、「イスラム国」は2月1日、後藤さんを殺害した画像と日本宛の声明を発表した。それには「安倍首相よ、勝ち目のない戦争に参加するという無謀な決断によって、このナイフは健二だけを殺害するものではなく、お前の国民はどこにいたとしても殺されるようになる。これから日本の悪夢が始まるのだ」とあった。
 今回の人質事件から学ぶべき教訓としては、安倍政権が昨夏、閣議決定により「集団的自衛権の行使を容認する」と決めたことで、海外で活躍する日本人の安全度は増すどころか、危険が大きくなったことを自覚すべきなのだ。
 すなわち、米国の戦闘行為に日本までも参加する道を開いたことで、米国との一体感が増し、それまで日本に友好的だった国や組織から突然、敵視される恐れが出てきた、ということをしっかり認識しておくことである。
 70年間、どこの国とも戦争をしないできた日本が、いま、大きな歴史の転換点に来たことを日本人に突き付けた人質事件だったといえよう。安倍首相は、日本人の救出に自衛隊が出動できるようになったことは一歩前進だと語っているが、本当にそうなのかどうか、国民はよく考えてみる必要がある。

沖縄の民意を「敵視」しはじめた政府・与党

 国内のニュースに目を転じると、どうしてもひと言、触れておきたいのは、沖縄問題だ。沖縄の普天間基地を辺野古に移設することに、沖縄の民意が明確に反対であることは、名護の市長選に始まり、沖縄知事選、昨年末の総選挙と一連の選挙結果ではっきり示された。
 それなのに、政府は沖縄の民意を平然と踏みにじり、年明けとともに辺野古の埋め立て工事を強行しはじめた。反対派のカヌーによるデモを実力で排除し、国会を取り巻いた沖縄を支援する「人間のくさり」にも、何の反応も示さない。
 何よりも驚かされたのは、新知事に選ばれた翁長雄志氏が年明けに上京した際、政府・与党の要人が誰ひとり会おうとしなかったことだ。無視というより、これは敵視と言った方がいいほどの事態だ。これで「地方の重視」なんてよく言えたものである。
 沖縄の2紙、琉球新報と沖縄タイムスの社説がそろって「日本は民主主義国家ではない」と怒りをぶつけたのも当然のことだ。

沖縄問題に対する本土メディアの発奮を期待したい

 ところが、本土の主要紙は、新知事に会おうともしなかったという事実を報じただけで、沖縄の民意を踏みにじる暴挙に対する怒りがなかった。本来なら、すべてのメディアが一斉に糾弾すべきことだったはずなのに…。
 日本の1%にも満たない面積の沖縄に、米軍基地の74%が存在する現状でも不可解な事態なのに、そこへさらに新しい基地を新設しようというのである。沖縄県民がこぞって反対するのも当然のことだといえよう。
 また、沖縄の2紙がしばしば報じているように、戦略的見地に立てば海兵隊の基地が沖縄になければならない理由も必ずしもないのだ。本土のメディアは、沖縄の民意に添ってそういうデータの発掘にももっともっと力を入れるべきだろう。
 沖縄知事選に続く年明けの佐賀知事選で、圧勝かと言われていた自民・公明両党推薦の候補が大差で敗れた。政府・与党に対する「地方の反乱」が始まったのかもしれない。4月の統一地方選挙の結果がどう出るか、注目しよう。

 

  

※コメントは承認制です。
第74回 「イスラム国」に敵視された日本、安倍外交の大失敗?」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    海外をみても、国内をみても気が重くなるニュースばかり…。なぜ「シャルリー・エブド襲撃事件」は起こったのか、なぜ「イスラム国」はこんなにも勢力を広げたのか、その背景を考えなければ、いくら武力を強化したところで問題が解決するとは思えません。そこにメディアが果たせる役割もあるはずです。そして、沖縄への対応。政府の言うこととやることのギャップがはっきりと表れているのではないでしょうか。政府の民意を無視する姿勢は、沖縄の基地問題への対応だけに留まらないはず。4月、「地方の反乱」に期待がかかっています。

  2. とろ より:

    米軍基地の74%が存在する現状でも不可解な事態なのに・・・米軍のみが使える基地の割合は74%だそうですね,ただ,国内で米軍が使える基地の割合だと22%だそうです。

  3. イスラム国ができた遠因がアメリカであることは否定しないが、異教徒を殺し文化財を破壊し他国を侵略し人質を殺し身代金を要求する今のイスラム国を敵視しないってもはや危険思想なのでは。

  4. ピースメーカー より:

     日本は「イスラム国」に敵視されたのであり、「イスラム諸国」から敵視されていません。
     柴田鉄治さん(だけではないのですが)は、「『イスラム国』が「イスラム諸国の日本に対する認識の代表」であるとしか読めないような書き方をされていますが、この柴田さんの文章をイスラム圏の人々はどう感じるでしょうか?
     今回、イスラム国はとっくの昔に火あぶりにしたヨルダン人の捕虜を生きているように見せかけて、人質交渉の材料にした挙句、人質である後藤健二さんも斬首したという残虐非道な仕打ちをしたのですが、このような行為をする集団と自分たちが同類のように思われるのは屈辱の極みではないでしょうか?
     案の定、激高したヨルダン人が「日本も空爆に参加してくれ!」と叫ぶ姿がTVに映されていました。
     柴田さんはこのようなヨルダン人の声にどう答えられますか? 
     そもそも、イスラム国はヘイト集団ではないですか?
     ヘイトの敵になる事は、悪い事なのですか?

  5. AS より:

    イスラム教とイスラム原理主義を敵視しても十字軍が正当化されるわけではありません。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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