柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 5月は憲法記念日のある月である。例年3日を中心に憲法論議が繰り返されてきたが、今年は例年と違ってひときわ盛り上がった。理由はいうまでもなく安倍政権が「解釈改憲」によって憲法9条の「歯止め」をなくそうとしていることに対して、国民もメディアも真二つに割れて熱い闘いが始まっているからだ。
 自民党はかねてから憲法改正を党是としながら、国民の9条に対する支持の強さに配慮して改憲の提起は見送ってきた。それを安倍政権は改憲を目指して「まず96条の改定から」と選挙公約にも掲げて走り出したのだが、改憲派の憲法学者からも「裏口入学だ」と批判されて引っ込め、今度は改憲せずに憲法の解釈を変えて目的を達成しようと方向転換した。
 集団的自衛権の行使については、自民党の歴代政権が戦後、一貫して「憲法9条のもとでは行使できない」という見解をとってきたものを、閣議決定によってひっくり返そうというのである。
 麻生副総理が「ナチスに学べ」と言ったのを真に受けたのか、ワイマール憲法を変えずに「全権委任法」をつくってやりたい放題をやったナチスとそっくりな手法だといえよう。
 これに対して国会内の論議は、与党が圧倒的な多数を占めている中で、公明党をはじめ自民党内にも反対意見がくすぶっており、今後の展開は予断を許さない。
 一方、メディアのほうはどうか。憲法をめぐる新聞論調の二極分化は、いまに始まったことではなく、1991年の湾岸戦争のとき、「改憲して軍事貢献もできる普通の国になるべきだ」と主張する読売、産経新聞と、「国際貢献は非軍事面に限る特殊な国でもいいではないか」と主張する朝日、毎日新聞とに分かれ、その後もずっと続いている。
 ただ、読売、産経は、歴代政権が「集団的自衛権の行使は認められない」という見解をとっていた間は「憲法解釈を変えてでも認めよ」と主張したことはなく、その意味では安倍政権の解釈改憲方式が出てきた途端に賛成したことは、主張を『豹変』させたといっても過言ではない。
 首相の私的諮問機関「安保法制懇」が報告書を提出し、それを受けて安倍首相が記者会見して解釈改憲に踏み出すことを明らかにした5月15日は、大きなヤマ場だった。
 安倍首相は「おじいさんやおばあさん、子どもたちを描いたパネル」を使って、「国民の命を守るために集団的自衛権の行使は必要なのだ」と熱弁をふるい、「ただし、必要最小限の行使に限る」と限定容認であることをしきりに強調した。
 ある記者が数えたところによると、安倍首相は30分余の会見のなかで、「国民の命を守る」という言葉を21回言ったそうだ。
 翌日の新聞は、各紙ともあふれかえるような紙面展開だった。反対派の代表ともいうべき朝日新聞の紙面は、一面から社会面まで12ページにわたって大展開しており、ニュースの報道というより一大キャンペーンといった色彩の濃い紙面になっている。
 たとえば安保法制懇の報告書を3ページにわたって全文を載せているのだ。賛成派の有識者ばかり集めた首相の私的諮問機関であり、北岡伸一座長代理でさえ「正統性なんてない」と認めている会合なのだから、報告書の全文を紹介する必要はないように思うのだが、「攻撃する相手の言い分はしっかり報じよう」という姿勢からなのであろう。
 このほか「最後の歯止め外すのか」とか「憲法の根幹骨抜きに」とか「自己愛に偏した歴史認識」とか、激しい見出しが各面におどり、社会面には見開きで「近づく戦争できる国」「遠のく憲法守る政治」という通しカットだ。一本社説の見出しもズバリ「戦争に必要最小限はない」だった。
 一方の賛成派を代表す読売新聞も、朝日ほどではないが同じような紙面展開で、集団的自衛権の行使が必要なことを大々的に報じており、一本社説の見出しは「日本存立へ行使『限定容認』せよ」だった。
 両派の主張をひと言に要約すると、反対派は「憲法が権力を縛るという立憲主義の否定であり、平和国家という国の骨格を変えることを一内閣がやっていいのか」というもので、賛成派は「中国や北朝鮮を例に、安保環境の変化が行使を必要とするようになったのであり、憲法解釈の変更は敗戦直後の吉田茂首相時代にもあったことだ」というのである。
 見方を変えれば、「必要最小限」という言葉が一つのキーワードになっており、「必要最小限なのだから認めてもいいではないか」というのに対して「必要最小限なんて歯止めにはならない」というのである。
 新聞論調の二極分化といっても、日経新聞は必ずしも賛成ではなく、東京新聞をはじめ地方紙の大半は反対なので、新聞は「真二つ」ではないといえよう。テレビには社説がないので明確ではないが、民放各局は系列の新聞に近く、NHKは新会長が就任以来、ニュースの時間にやたらと安倍首相の画面が出てくる印象である。

国民世論は?――世論調査の奇々怪々

 ところで、国民はどう見ているのか。各社それぞれ世論調査をおこなっているが、その結果が驚くほどバラバラなのである。
 4月に共同通信がおこなった調査によると、憲法の解釈を変えて集団的自衛権を行使できるようにすることに賛成38%、反対52%、日経新聞とテレビ東京の調査では、賛成38%、反対49%、朝日新聞の調査では賛成27%、反対56%だったので、まあこんなところかな、と思っていたのである。
 ところが、読売新聞の5月12日の朝刊一面トップ「集団自衛権71%容認」の大見出しを見て仰天した。世論調査では実施主体の気に入る答えが多くなることは、よく知られているが、それにしても他紙の調査と違いすぎる。そこで質問と答え方をみたら「なるほどそうか。読売はまたやったな」とすぐにナゾが解けた。
 質問には問題なかったが、答えの求め方に仕掛けがあったのだ。世論調査ではイエスかノーかと二択で訊くのが王道なのに、三択にして「あなたの考えに最も近いものを1つ選んでください」としたうえで①全面的に使えるようにすべきだ②必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ③使えるようにする必要なない、とならべたのである。
 結果は①が8%②が63%③が25%で、①と②を足して71%が容認としたのだ。読売に限らず、三択方式は産経や毎日などもやっているのだが、私が「読売はまたやったか」と思った理由は、イラク戦争のときの強烈な印象があったからだ。
 イラク戦争には国民の大半が反対していた中で、読売は賛成だったため、設問を「日本政府が米国を支持したことについて、当然と思うか、やむを得ないと思うか、納得できないと思うか」として、当然12%、やむを得ない64%、納得できない22%と出たのを受けて、76%が容認としたのだ。そして社説が「イラク攻撃支持を打ち出した政府の方針を容認する人が7割を上回った。首相の判断は間違っていなかったと多くの国民が受け止めている」とまで書いたのである。

原発の再稼働、基地騒音をめぐり『画期的』な判決

 このほか今月のニュースとしては、5月21日、福井地裁であった大飯原発3、4号機の再稼働を認めないという判決を見逃すわけにはいかない。
 原発をめぐる訴訟は1970年代からそれこそ数えきれないほど提起されてきたが、原告の勝訴は1件しかなく、それも上級審でひっくり返されて、原発に対する司法のチェックはまったく働いてこなかったといっていい。「原発のような高度に科学的な問題では、専門学者の協力を得て政府が下す判断を尊重するほかない」といった趣旨の、まるで司法の役割を放棄したかのような判決理由がほとんどだったのだ。
 それに対して、今回の福島事故以後初めての判決で「人の命は法分野においても最高の価値を持つ」という分かりやすい論理で、住民からの運転差し止めの要求を認めたことは『画期的』な判決だったといっても過言ではなかろう。
 しかも判決の内容は、科学的に見てもなかなかのもので、「大飯原発の基準地震動700ガルを超えた地震が、この10年間に5回も原発を襲っているのだ」という理由を挙げて、安全対策は脆弱だと断じているのである。
 この判決に対して、脱原発派の新聞は一様に高く評価しているが、原発推進派の新聞は「ゼロリスクを求める非科学的な判決だ」と激しく非難している。
 政府は、どうせ上級審でひっくり返るだろうと高をくくっているのか、「再稼働の方針を変えるつもりはない」と言明しているが、問題は国民が「福島事故の教訓を真正面から受け止めた」この判決をどう受け止めるかにかかっているといえよう。
 この判決と同じ日にもう一つ、横浜地裁で厚木基地の騒音被害についての判決があり、こちらも「自衛隊機の夜間飛行差し止めと過去最高の70億円の支払い」を国に命じる『画期的』な判決だった。
 騒音の最大の原因である米軍機については「国の支配が及ばない」として判断を避けているところは物足りないが、それでも住民の生活と健康を直視した判決の意義は決して小さくない。
 この判決に対しても読売新聞は「自衛隊の活動への悪影響が懸念される」と社説に書くのだから、驚くほかない。

福島事故の「吉田調書」をなぜ隠したのか

 もう一つ、今月のニュースで触れておきたいのは、福島事故当時の吉田昌郎所長が政府の事故調査委員会に語った「吉田調書」の内容を、朝日新聞がスクープしたことだ。
 3・11の当日、非常用復水器(IC)の仕組みがよく分かっていなかったため誤った対応をしてしまったことや、4日後の15日朝、吉田所長の命令に反して所員の9割もの人たちが10キロも離れた第二原発に避難してしまったことなど、事故原因の解明にも関わる重大な事実がいまごろ明らかになるなんて驚くほかない。
 その内容もさることながら、こうした吉田調書の内容が政府事故調の報告書にも記されず、政府が隠していたことにもっと大きな驚きと疑問が湧いてくる。こうなると、その裏にはさらに大きな重大事が隠されているのではないか、という疑問まで浮かんでくる。
 福島事故の原因の究明が4つの事故調によっても明確でないだけに、メディアの一層の努力を期待したい。

 

  

※コメントは承認制です。
第66回 憲法9条の「歯止め」をなくしていいのか――メディアの熱い闘い続く」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    この国の行方を左右しかねない、大きなニュースが相次いだ5月。憲法問題についても原発再稼働についても、特に新聞は明確に意見が割れていて、まるで違う話を扱っているかのようでした。それ自体は決して悪いことではないけれど、例えば柴田さんが挙げている読売の世論調査のような「からくり」にはひっかからないようにしたい。煽りやムードに乗るのではなく、ちゃんと中身を見て、判断する姿勢が、いつも以上に重要です。

  2. くろとり より:

    すべての新聞、テレビ等マスコミの世論調査にはからくりが存在し、自分たちの主張に沿った結果が出るようになっています。確かに読売の世論調査には「からくり」があったのかも知れませんが朝日や毎日の世論調査は以前からより悪質な「からくり」だらけです。
    世論調査の「からくり」を問題にするなら読売だけでなくすべての新聞社、マスコミの世論調査の「からくり」を問題視するべきじゃないですか? 読売の「からくり」だけを問題にし、他社の「からくり」を無視するのは悪質なダブルスタンダードでしかありません。

  3. 曽我直隆 より:

    「他社のからくり」の具体的な事例を知りたいので、補足をお願いいたします。

  4. くろとり より:

    ネットを利用されているのですから自分で探してください。
    といいたい所ですが下記をどうぞ。
    http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39362
    自社の集団的自衛権に対する姿勢によってものの見事に分かれていますね。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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