前泊博盛 (編著)/創元社
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日米地位協定とは何か。本書によれば、「アメリカが占領期と同じように日本に軍隊を配備し続けるためのとり決め」のことである。このとり決めでアメリカ側がもっとも重視している目的とは、①日本の全土基地化 ②在日米軍基地の自由使用であるという。
えっ? そんなことできるわけがないじゃない。だって日本は独立した法治国家でしょう。日本国民なら誰でもそう思う。ところができてしまうのだ、この協定が存続する限り。
例えば、オスプレイの日本での低空飛行訓練は、日本の国内法も、アメリカの国内法も適用されない。どんなに住民が反対しても日本全土で実施できてしまう。オスプレイの訓練ルートは公表されており、沖縄から北海道に至るまで、まさに「全土」を使って訓練することになっている。
あるいは、東京を中心とした首都圏(一都八県)の航空管制を所管しているのはどの組織か? 羽田、成田、国交省、それとも自衛隊? いや、違う。東京・福生市にある米軍・横田基地である。敗戦以来、在日米軍が東京都の制空権をずっと支配しつづけている。
通称「横田ラプコン」と呼ばれるこの広大な空域があるために、羽田空港から飛び立つ日本の旅客機は、関西や九州へ最短距離で向かうことができず、上空で大きく旋回し「横田ラプコン」を迂回しなければならない。米軍の許可を得なければ、日本の民間機は東京の上空を飛ぶことはできない。これもまた、日米地位協定から演繹される米軍の権益の一つである。
在日米軍は、日米地位協定によって、憲法を含む日本の法体系から「適用除外」された特権を持つ。だからオスプレイのような米軍機も日本の航空法を公然と守る必要がないのである。
しかし、なぜ、そんなことになったのか。著者によれば、転換点となったのは、1959年12月16日に最高裁判所で出された砂川判決である。在日米軍が憲法違反であるか、ないかを争った「日本の戦後史において最大の事件」となった裁判。
この判決で、司法(最高裁判所)は、なんと「安保条約のような高度な政治性をもつ事案については憲法判断しない」といった判決を出してしまう。一方で、安保条約のような国際的なとり決めは、憲法98条第2項の一般的解釈に基づき「憲法以外の国内法に優先する」。
この判決と解釈を照合させた帰結とは、日米安保条約や地位協定が憲法の上位に定位されてしまうという、独立法治国家としてはあるまじきなんとも奇矯な構造である。愕然とするのは、最高裁判所が判断を放棄することによって、法治国家としての根拠を自ら奪い、「法の空白地帯(=適用除外)」を作り上げてしまったことである。こうなってくると、著者の云うとおり、確かに「日本は法治国家ではない」。
書名にある「本当は憲法より大切な」とは、要するに、日米地位協定が、日本国憲法を含めた日本の法体系より上位にあるとり決めだということなのである。しかも、この協定は、安保条約よりも上位にあるとり決めでもある。このことも本書で解説されている。
砂川判決以降、「戦後日本」は、憲法9条と日米同盟という巨大な矛盾を抱え込み、その力学に引き裂かれていく。本書では、原発事故、TPP、検察の調書捏造事件などが、日米地位協定から演繹されるロジック(というかトリック)から指摘されていて、瞠目する(例えば、放射性物質は大気汚染防止法から「適用除外」されている)。
また、イラク、フィリピン、韓国、ドイツ、イタリアと米軍の関係と、日本のそれを比較することで、日米地位協定がいかに異常な二国間協定であるかもわかりやすく説いている。
在日米軍の強大な権益は衝撃的なものだ。本書で詳らかにされる日米地位協定から得る米軍の権益の一つひとつが、日本が、いまだに「占領下」にあるという事実を告げている。本書を手にとって驚愕しない者はおそらくまずいないだろう。但し、一県の住民を除いて。沖縄県民である。
(北川裕二)