(2012年チリ・アメリカ・メキシコ/パブロ・ラライン監督)
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上映開始ぎりぎりに映画館に着いたら、ほぼ満席だったことに少し驚いた。映画祭で高い評価を得た大ヒット作品とはいえ、日本にとってはあまりなじみのない国が舞台の、しかも派手とは言いがたいテーマの映画なのに。
『モーターサイクル・ダイアリーズ』で若き日のチェ・ゲバラを演じたガエル・ガルシア・ベルナルの主演ということもあるのだろうけれど、もしかして今の政治状況も少しは関係あったりするんだろうか。そんなことを考えてしまったのは、映画のテーマが「政権への信任を問う国民投票」という、「安倍内閣にNO」を掲げたデモなども頻発している最近の日本に、ちょっと通じる気がするものだったからだ。
1973年の軍事クーデターで、アウグスト・ピノチェト将軍による独裁政権が成立した南米・チリ。いっさいの自由が奪われた強権政治のもとで、政府に反対する市民への徹底した弾圧が続き、数万人ともいわれる人々が殺され、あるいは行方不明となった。
そうした状況に対する国際的な批判をかわすため、ピノチェト政権は3度にわたって、「政権への信任を問う」国民投票を行う。もちろん、メディアなどを完全支配する政権による「出来レース」であり、1978年、80年の国民投票は、いずれも「政権支持」が圧倒的という結果に終わった。
そして88年に行われた、3回目の国民投票。それまでの2回と違っていたのは、政権への不支持=「NO」派にも、支持=「YES」派と同じく、1日15分のテレビキャンペーン(27日間)が認められたことだった。
映画『NO』の主人公は、このNO派のキャンペーン映像の製作を依頼されたフリーの広告マン、レネ。普段は大企業と契約し、時代の最先端を行く華やかなCMを製作している彼は、逡巡の末にNO派からの依頼を引き受ける。
ところが、その依頼者であるはずのNO派の政治家、活動家たちには、そもそも本気で「闘う」気がない。頭にあるのは、「いかに現政権の暴虐を訴えるか」だけ。顔合わせの場で「YES派に勝てるのか」と尋ねたレネに、「可能性はほぼゼロ。それでも、啓蒙することには意味がある」と答えさえするのだ。
そんな状況が、逆にクリエイターとしてのプライドを燃え上がらせたのか。レネは、それまでのキャンペーンの常識を覆す戦略に打って出る。「現政権がいかに酷いか」を訴えるのではなく、人々の笑顔と喜び、そしてユーモアに満ちたポップな映像を通じて、「未来への希望」を高らかに謳い上げてみせたのだ。「暗い話なんて、誰も見たがらない」——第一線で活躍する広告マンとしての確信だった。
当初は「現状を肯定して政権を利するものだ」として、NO派の政治家たちからさえ反発を浴びたキャンペーンは、「チリよ、喜びはもうすぐやってくる」と題したテーマソングとともに、徐々に国民の心を掴んでいく…。
スクリーンを見つめながら、何度も日本のことを考えた。
「反ピノチェト」でまとまりきることができず、政権交代よりも自分たちの存在感を示すことにこだわる野党政治家たち。「啓蒙」という上から目線や、旧態依然としたやり方から脱却できないキャンペーン。そして何より、「声をあげても無駄だ」という、あきらめにも似た無関心の蔓延…。今の日本がまったく同じ状況だとは言わないけれど、どれも、どこかで重なるものがある気がして。
一方で大きく違うのは、それでもまだ日本が一応は「民主主義国家」であることだ。政権批判をすれば命にかかわる状況だった当時のチリに対して、今の日本で「反安倍政権」を叫んでも、すぐさま刑務所に送られることは(ひとまず今のところは)ない。
だったら、まだまだできることはある。そんな思いと希望を抱かせてくれる映画だった。「チリよ、喜びはもうすぐやってくる」の軽快なメロディが、今も頭から離れない。
(西村リユ)