(2013年日本/森崎東監督)
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現在の日本の人口構成は、4人に1人が65歳以上である。うち、認知症の方は推計15%、2012年時点で約462万人に上るといわれている(厚生労働省)。近年、問題となっているのは認知症の方の行方不明だ。警視庁の発表によると、2013年はその数が1万322人。私たちの社会が直面する課題である。
この映画、「ボケるのも、悪かことばかりじゃないかもしれん」というメッセージをユーモアと切なさを込めて伝えてくれる。
営業途中に喫茶店でさぼったり、小さなライブハウスで自作の歌を歌ったり、夜には自宅で4コマ漫画を描いたりしている岡野ゆういちは男やもめで、認知症の母みつえと息子まさきの3人暮らしだ。母の物忘れがひどくなるのは致し方ないにしても、ゆういちが帰宅する夜まで駐車場に座って待っていたり、使い古しの大量のパンツを箪笥のなかにしまいこんでいたり、ということが続いたため、ゆういちはみつえをグループホームに入居させることにする。
認知症が進むにつれ、みつえの遠い過去が鮮明になっていく。
幼馴染みのちえこが農家の口減らしのために天草へ売られる。大人になったみつえは彼女との再会を願い、何度も手紙を書くが、返事は来ない。長崎への原爆投下、そして敗戦を経て、当時の赤線でみつえはちえこを見つけるが、ちえこは逃げるようにその場を立ち去る。それが2人の最後の出会いだった。
みつえの生活はけっして楽ではなかった。神経症を患った夫のさとるは酒乱で、受け取った給料をそのまま酒につぎ込んでしまう。みつえはゆういちと一緒に死のうと思うこともあった。それをとどめたのは、ちえこからの一通の手紙だった。
みつえの悲しい過去にもかかわらず、映画全体が湿っぽくならないのは、現在のゆういちと彼を取り巻く人々――ゆういち役の岩松了、喫茶店のマスターを演じる温水洋一、みつえと同じグループホームに母を入居させている元エリート研究員に扮する竹中直人ら、とぼけたキャラクターゆえだろう。
私は2度、大声を出して笑い、何度か涙腺の緩みを抑えるのに苦労した。この映画の製作時、森崎東監督は85才。オーソドックスな演出だが、通俗的な語り口にならず、人間のおかしさ、いとおしさを描く。その職人技は健在である。
見終わった後、私は、坂道の多い長崎の町の空気とそこに住む人たちの方言が、自分の中にしみこんでいるように感じた。
(芳地隆之)