(水野和夫著/集英社新書)
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「もはや地球上に『周辺』はなく、無理やり『周辺』を求めれば、中産階級を没落させ、民主主義の土壌を腐敗させることにしかならない資本主義は、静かに終末期に入ってもらうべきでしょう」と著者は結論づける。
ここでいう「周辺」は、かつては途上国であった。世界人口の2割弱にあたる先進国が「中心」となり、独占的に地球上の資源を安く手に入れられた、いわば富を収奪できた時代である。
しかし21世紀に入ると様相は変わってくる。原油をはじめとする資源の価格が高騰し、新興国が続々とプレーヤーとして登場。アフリカが「最後のフロンティア」と呼ばれるにいたって、世界からいずれ「周辺」がなくなるのは明らかになった。
それによって何が起こっているかといえば、一国内における「中心」と「周辺」の二極化である。アメリカでは「1%の超富裕層と99%の下位の人々」という構造が指摘されて久しいが、日本でも非正規雇用者が雇用者全体の3割を超え、年収200万円未満で働く人が給与取得者の4分の1を占める。先般、日本政府は残業代ゼロ制度の導入の議論を始めたが、消費税の引き上げと法人税の引き下げに加えて同制度が実施されれば、日本国内の「中心」と「周辺」の構造はより強固になっていくだろう。
著者は、資本主義の終わりが始まったのは、英日の国債利回りがピークに達した(英国は14.2%、日本は11.7%)1974年とみている。その後は趨勢的に下落し、2013年の英国は2%前後、日本は0.315%である。
利子率=利潤率が2%を下回れば、資本側が得るものはほぼゼロといわれる。低金利が続いているのは、端的にいえば、需要が頭打ちになったからだ。そのような成熟した社会で、成長=利益の獲得をめざし量的緩和策によってベース・マネーを増やしても、物価は上がらず、デフレは解消されない。結果として生じるのはバブルであり、それが繰り返されるごとに私たちの経済の足腰は弱っていく。その先にあるのは、冒頭の著者の言のように、同じ価値観をもった中間層が先細っていくことによる民主主義の危機である。
お金と情報が瞬時に世界を駆け巡るグローバリゼーションが、それを生んだ資本主義の首を絞めている。そんなイメージが浮かぶ。
近い将来、中国におけるバブルの崩壊が予測されている。そうなれば中国は外貨準備として保有するアメリカ国債を売り、ドルの終焉も招くかもしれない。そうして世界が低成長、低金利の経済に転換していくなか、資本主義の終焉を認めようとしない(成長神話に囚われた)権力者が、現状を打破するために戦争を起こそうとすることはないだろうか。
資本主義の最後のあがきを暴走に至らせず、静かに野辺送りすること。グローバル社会を生きる私たちの最大の課題かもしれない。
(芳地隆之)
水野さんって伝統と格式のローザ・ルクセンブルグだったんだ!でもこの周辺への拡大の考え方に関しては、日本では過去、宇野学派中心に山のように反論が出てますよ。それまた蒸し返されててもな〜ってとこあるな。その反論の主旨は「資本主義は過去何度も限界のようなものに突き当たったけれど、その度に不況好況の景気循環を繰り返し、戦争なんかも起こし乍ら、不死鳥のように蘇ってきた」というようなこと。
資本主義に代わる経済システムを提示しない限り、資本主義とその改良型の経済システムは永続するだろう。