2013年日本/青山真治監督
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田中慎弥氏が芥川賞を受賞した同名小説『共喰い』の映画化である。昭和が終わりを迎えようとしている山口県下関市の川辺の町が舞台だ。カメラは町からほとんど離れず、主人公の高校生、篠垣遠馬と彼を取り巻く家族や幼馴染という限られた人物に焦点を当て、互いの複雑な感情を濃密に描く。
遠馬は父の円(まどか)と彼の愛人、琴子と住んでいる。母の仁子は家を出た。離婚の理由は、セックス時に相手を殴る円の性癖。川向いで魚屋を営む仁子は、子供の頃に空襲で失った左手に義手をつけ、その上にビニールの手袋をはめて、日々魚を下ろしている。
円の性癖は琴子にも及ぶ。彼女の顔には青あざが絶えない。そんな父親を遠馬は嫌悪するが、自分が幼馴染の千種と性行為に及ぶ時に、自分も同じことをしてしまうのではないかと不安に苛まれる。仁子は遠馬に容赦がない。「お前はあの男の子供じゃけん」と吐き捨て、「そんなことはない」と慰める千種に対し、遠馬は「殴ってから気ぃついても遅いだろうがちゃ」とつぶやくのである。
救いのない世界だ。何がうれしくて、こんな物語に付き合わなくてはいけないんだ、とも思う。しかし、スクリーンから目が離せない。
下関の風景のせいだ。
人通りのないうら寂れた通り、空を瞬く間に覆う雨雲と夜の町を打ちつける激しい雨、川に捨てられたプラスチックのごみ、仁子が川に捨てる魚の切れ端──―これら断片の積み重ねは、観る者を町のなかに引き込んでいくのである。
この映画の本当の主役は下関市の風景ではないか。そんな思いが強くなっていく。円のおぞましい行為でさえ、風景のなかで相対化されていくのではないか、と私は感じていた。
甘かった。
終盤、仁子はある決断をする。彼女を演じる田中裕子の凄味に打ちのめされた。と同時に、口当たりのよい作品ばかりが目立つ日本映画界にあって、この作品を作り上げた製作スタッフや俳優たちの覚悟や心意気に深く敬意を表したくなった。
(芳地隆之)