2014年日本/都鳥伸也監督
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「1000年に一度」と言われる東日本大震災によって、「地域」の力は前にも増してクローズアップされた。本作品は、被災地で活動を続けた保健師たちの証言集である。保健師は、地域住民への健康教育や保健指導を行う専門職だ。直接、地域に出向いて相談に乗ったり、アドバイスをしたりする“住民の伴走者”である。
もともとは、NPO法人公衆衛生看護研究所からの依頼で保存用の記録映像を撮る計画だったが、都鳥伸也監督の「この大きな災害の記録は発生した直後の今しか残せない」という熱意によって、映画化が実現した。
撮影期間は2011年9月からの半年間。震災で殉職した保健師を弔う「保健師の像」の除幕式からはじまり、岩手、宮城、福島の9つの市町村で活躍する保健師たちの横顔を映した。住民の健康状態の聞き取り、仮設住宅での新しいコミュニティ作りなど、その活動は多岐にわたる。
特筆すべきは、岩手県北部の田野畑村明戸地区の元保健師・岩見ヒサさんへのインタビューの内容だ。明戸地区は、1981年に原発建設予定地となったが、岩見さんたちの反対運動によって白紙撤回へと至った。岩見さんは「最初は原発と言わず、公園を造る話だった。でも、ここに公園を造って来る人いるのかと思った」と言うから驚く。隣の青森県で、六ヶ所村の核燃料サイクルセンターができる発端が「大規模な観光牧場を造るから」という触れ込みだったことを彷彿とさせる。さらに、原発建設によって村が得る予定だった金額は35億円。当時の村予算は10億円だったとの証言からは、財政の厳しい地域の葛藤が感じられる。
他の原発立地自治体がそうであるように、明戸地区も、原発誘致をめぐって住民の意見が割れた。そうした中、婦人団体連絡協議会の会長だった岩見さんは、原発について学ぶ勉強会を開いた。ひとたび事故が起こったときの危険性がどれほどのものか。知識を得た女性たちが経済効果よりも安全性を求め、現在の「原発のない岩手県」に至る。
明戸地区は、東日本大震災で津波の被害を受けた。もしも、岩見さんが原発誘致に反対していなかったら……と想像すると背筋が凍る。
監督の都鳥伸也さんは岩手県在住で、双子の兄・拓也さんとともに映像作品を発表し続けている。同県旧沢内村の保健行政を描いた『いのちの作法』(2008年)や、盛岡市の児童養護施設に密着した『葦牙―あしかび―』(2009年)、秋田県の自殺対策活動を記録した『希望のシグナル』(2012年)は、いずれも地域に根ざしたドキュメンタリーだ。地域住民と同じ目線で描く映画は、現地の切実さと空気感をリアルに伝える。
(越膳綾子)