伊藤真/ちくま新書
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「君たちの先輩に“思想や良心いうんは心のなかのもんであって、誰もいじれんはずやのに、なんでわざわざ憲法に書かれとんですか?”いう質問をした生徒がおった。君たちはどう思う?」
香川県の小さな町の高校に通っていたぼくら生徒に、政治経済の先生はそう問いかけた。30年以上前のことである。
テーマは日本国憲法第19条、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」だった。生徒たちが答えあぐねていると、
「権力をもつ人は、ときに他人の内面も支配しようとするんや。『そんなこと考えたらいかん』とか『そういう思想は危険や』いうて、国民を捕まえていた時代があった。その反省から、『人の内面に踏み込んではいかん』と書かれたわけや。君たちも先輩みたいなええ質問をどんどんするんやぞ」
私が日本国憲法に触れたと初めて実感した経験である。ちなみに本書による第19条の現代語訳はこうだ。
「心の中でどのような世界観、人生観、主義、主張をもとうとも、国がそれを禁止したり、不利益を課すことはもちろん、どういう思想をもっているかをたずねることもできない」
なるほど「たずねることもできない」か――このように得心する表現が本書の随所にある。そして現代語訳の横に記載されている著者による解説が私たちの憲法理解を深めてくれる。
たとえば、日本国憲法のもつ理念の歴史的背景。第3章「国民の権利と義務」第12条「人権をもつことの責任と濫用の禁止」と第10章「最高法規」第99条「基本的人権の本質」からは、基本的人権が保障される「べき」ものであるにもかかわらず、実現されなかった歴史を踏まえた上で掲げられた権利であり、「人権を守ることは、今を生きる者の責任」との著者の言葉は感動的だ。
日本国憲法は第1章「天皇」から始まり、第1条から第8条にかけて、その役割が明確に記されている。それらと第99条「憲法尊重擁護の意味」(憲法は公務員が守るべきルール)を合わせて読むと、天皇陛下が機会あるごとに憲法を守る旨を言及されている理由がわかる。
第9条については、著者の言葉を直接引用しよう。愛国少年だった中高生の頃、著者は武士道の精神が戦争放棄の9条にあるとの考えにいたった。「刀をもっているから強いのではなく、人格の高さで相手を説得し、手を出させない」という点で共通することに気づいたのだと。
現在の憲法論議において、文化や伝統、道徳、倫理についても記載すべしという意見があることに対して、「憲法の役割は立憲主義、つまり自由のために権力を縛る道具」に過ぎないことを再確認させてくれると同時に、日本国憲法それ自体を称えるだけでは意味がなく、それをどうやって生かし、次世代につなげていくか、が私たちの課題だとの言には身が引き締まる思いだ。
本書の後半に掲載されている大日本帝国憲法現代語訳と合わせて読めば、日本国憲法のもつ意味がより重みを増すだろう。
(芳地隆之)