2013年日本/伊藤めぐみ監督
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イラク戦争の開戦は2003年3月。その1年後の4月、米英を中心とする占領軍と現地の武装グループとの戦闘が激化しているなかで、3人の「日本人人質事件」は起きた。「ファルージャ」は首都バグダッドから70㎞離れた街。3人は、ここでイラク人武装グループに拘束された。
あれから10年。この映画は、はからずも人質となった高遠菜穂子さん、今井紀明さんの現在の姿を追ったドキュメンタリー作品である。
高遠さんは、お母さんからの厳しくもあたたかい後押しによって、イラクでの支援と調査を再開している。今井さんは、不登校やひきこもりの高校生を支援するNPOの代表をつとめている。
高遠さんと今井さんの「今」を伝えることで、私たちに投げかけているのは「あの自己責任論をめぐる騒ぎは何だったのか?」という問いかけだ。
3人は帰国後、「無責任だ」「不用意だ」「国に迷惑をかけた」との、すさまじいバッシングを浴びた。映画では、当時の報道関係者の証言から、ひとつの記事、または閣僚のひと言で、世の中の空気がたままち塗り替えられていくさまが描き出される。
実態は、もちろんすべての日本人が彼らを責めていたわけではなかった。3人の解放を待つ家族のもとに送られてきたFAXは、非難が500通で激励が800通。その後も誹謗中傷の声はおさまらなかったが、一方で応援の手紙もたくさん届いている。にもかかわらず、彼らは「日本中から批判された若者たち」として記憶されてしまったのだ。その事実は、FAXや手紙を直接送りつけたりこそしなくても、報道を鵜呑みにした傍観者もまた、結果としてバッシングに加担していたということを突きつけている。
カメラは高遠さんと今井さんの現在の真摯な活動を映し出し、ナレーションは「2人とも、それぞれのやり方で自分の責任を問い続けている」と語りかける。
しかし、ほんとうに責任を追及されるべきは、日本も支援したイラク戦争に無関心だった多数の日本人ではないのだろうか。反対しつつも、支援や抗議の活動に動かなかった私を含む人々にも責任はある。イラク国内は今も抗争が続き、劣化ウラン弾の影響による健康被害が増えている。とくに東日本大震災と福島第一原発事故を経験し、行動することの大切さを知った今、「自分にできることをするために」あのときイラクへ向かった3人を、誰が責めることなどできるだろうか?
監督は、イラク戦争の開戦時に高校生だった伊藤めぐみさん。イラク戦争反対のデモにも参加し、人質事件と3人に対するバッシングには強い違和感を覚えたという。初監督ながら、現地のイラク人医師、日本人医師、高遠さんの友人であるイラク人ジャーナリスト、元官僚らの声をたくみにすくい上げて、観る者に訴えかける。戦争と平和、生命、報道のあり方、人の生き方など、この世界を覆っているさまざまな問題を鋭くとらえながらも「あなた自身が答えを見つけてください」と問うている誠実な作品だ。
この数年『六ヶ所村ラプソディー』(鎌仲ひとみ)、『祝の島』(纐纈あや)、『標的の村』(三上智恵)といった記録映画が注目されているが、ここにまたひとつ女性監督による、魂を揺さぶるすぐれたドキュメンタリーが誕生した――といっていいと思う。
(柳田茜)