髙村薫著/毎日新聞社
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本コラムでは、以前に同名の「2000-2007」を取り上げた。小泉政権時代における政治の言葉の劣化、浅薄になっていく思考の危うさを、著者は静かな、しかし重みのある言葉をもって語っていた。
その後、時代は大きく動いた。2008年秋のリーマンショックを機に起こった世界金融危機、2009年9月に実現した政権交代とその後の崩壊、そして2011年3月に発生した東日本大震災――。世界と日本がめまぐるしく動くなか、三度の食事をつくり、物価の動きを気にかけ、新聞を丹念に読み、散歩で季節の移ろいを感じとっている(であろう)著者の一生活者としての目線はぶれることはなく、その言葉は物事の本質を射抜く。
阪神大震災を経験した者として、それが人間の精神にどのような影響を与えたのか、天災に耐えうる町づくりはいかにあるべきか、積極的に発言してきた著者だが、東日本大震災については慎重に言葉を選んでいる感がある。NHKでは著者が被災地を歩き考える番組を企画したが、著者はそのオファーを断り、自らの書斎で思索を深める方を選んだ。3・11に対する彼女なりのスタンスなのだろう。「突然の被災はいつも悲劇であるが、当面、問われているのは被災しなかった人間の理性である」との言葉がそれを物語っている。
しかし、はたして私のたちの理性は働いているのか。国民の声を聞かない政治、かつての経済成長期の輸出志向型経済から脱皮できない経済……。変わるべき日本社会が変われず、ずるずる自壊していこうとしているさまに対し、「このまま漫然としていては中途半端な復興と、経済の縮小衰退が待っているだけであれば、決断の一つや二つしないでどうするか」「(日本が地震の巣であるにもかかわらず、福島第一原発の事故の検証さえしない)この国にはそもそも原発を動かす資格がないのではないか」と抑制された筆致から怒りが滲み出る。
著者の社会や人間への見方の確かさはどこからくるのか。本書に収録されている「正解をほしがる深慮なき時代」というエッセイから引用しよう。
「立場によって利害や価値判断が異なる物事をけっして一面的に捉えない、そういう複雑多様さの真っ只中で宙づりになること。それが人間存在であることの醍醐味だった成熟の時代が遠のいてゆく」
私の緩んだ精神の襟を正すには絶好の書だった。どこから読んでもいいのでとっつきやすい。年末年始に一読をお勧めする。
(芳地隆之)