さまざまな分野で活躍する若者に、
その思いやモチベーションを語ってもらうコーナー。
3人目の登場となる上江洲修さんは、音楽やサブカルに加えて、
平和や環境など社会派イベントの開催も行なっている
新宿のライブハウス「ネイキッド・ロフト」の若き店長。
「イベント」への思いについて、開店当時のことについて、
お話を聞いてみました。
上江洲修
(うえず おさむ) 1978年 沖縄県生まれ。高校卒業後、地元の職業訓練学校へ。派遣会社に登録し群馬県の工場で1年間働いた後に、東京の専門学校に入学。新宿ロフトでのアルバイトの後、2004年12月より新宿ネイキッド・ロフトのオープンと同時に副店長に。2008年より店長。「6.23」(慰霊の日)の歌とトークイベントなど、数々のオリジナル企画を立ち上げ成功させている。新宿Naked Loft
沖縄で、「未来の沖縄」を語るイベントを
──さて、現在のネイキッド・ロフトは、環境や平和、沖縄の基地問題など、社会的なメッセージ性のあるイベントも数多く開催していますが、それは最初からなんですか?
いや、最初のころはとにかく「埋めていく」ことでいっぱいいっぱいで。大きなきっかけになったのは、少し店も軌道に乗り始めた開店2年目、6月23日にやったイベントです。
──沖縄の「慰霊の日」ですね。沖縄戦が終結した、いわば沖縄にとっての「終戦の日」。
それまでにも、もちろん沖縄関連のイベントはやっていたんです。でも、それが駄目だというわけではないんだけど、どこか嘘っぽいな、という思いがあったんですね。ちょうど「沖縄」がブームだったころで、自分がやってるイベントもそれに乗っかってるだけの、中身のないものじゃないか、と。そのときに思い至ったのが「慰霊の日」だった。
沖縄の6月23日って、本当に特別で、熱いというか、戦争で亡くなった人の霊が戻ってきてるなというのを実感できる1日なんです。学校でも沖縄戦についてはもちろん教わったし、おばあや両親からもいろいろと話は聞かされたし。でも、東京の人に「慰霊の日」といっても、全然知らないじゃないですか。それもちょっと悔しいなと思ったんですね。ここに集まる人にだけでもいいから、こういう日があったんだよということを知ってほしいなと思って、6月23日のイベントを思いついたんです。
1年目は幅広く、「生きる」をテーマに写真展示やライブをやったんですけど、2年目からはもう少し「沖縄」にこだわってやるようになりました。タイトルも「琉球魂」としています。
──昨年はネイキッド・ロフトだけではなく、阿佐ヶ谷ロフトとの「2DAYS」イベントになるなど、広がりも出てきていますね。
そうですね。ありがたいことに、いろんな人たちがかかわってくれるようになって。一昨年は、千葉や大阪や沖縄で、「共催」という形で同じコンセプトのイベントが開かれたりもしました。
──今年は、どんな企画を?
実は、お店の企画とは別に、僕個人の企画と主催で、沖縄での「琉球魂」の開催を予定しているんです。(*)今、基地問題も注目を集めているし、今年しかタイミングはない、と思って。
大きなテーマは「沖縄県外から見る未来の沖縄」。大田昌秀さん、あと県外からということで、いつもイベントでお世話になっている田中優さんにも出ていただく予定です。僕自身も「県外から」という視点で話すことになると思いますし。もちろん音楽も楽しみつつ、沖縄の未来を考えよう、話そうというイベントです。
地元の人たちって、逆にそういうことをやりたがらないというか、逃げる部分がある気がするんですね。そこは、こっちから変わっていかなきゃだめなのかな、と思うんです。
自分たちで、沖縄の文化を切り開いていきたい
──先日、沖縄在住のミュージシャン、伊丹英子さんにお話を聞いたときも、「最近は変わってきた部分もあるけれど、沖縄に住みだした最初のころは、たとえば基地問題について周りの友人と話すようなことはほとんどなかった」というようなことをおっしゃっていました。主催する基地反対イベントの「ピース・ミュージック・フェスタ!」も、地元の友人たちが積極的に手伝ってくれるようになったのは昨年くらいからだ、とも。
あの「ピース・ミュージック・フェスタ!」も、本当は地元のウチナーンチュの、それも自分たちの世代がやらなきゃいけなかったものだと思うんです。それなのに、自分たちの世代はその行動を「さぼって」いた。今、自分はこういう企画とかをつくれる仕事をしているわけだし、だったらその切り口で、地元でこういう「表現」をしたいなと思ったんですね。
今の沖縄は、「全部が全部内地にリードされている」ように見えます。伝統的な文化もなくなってきていて、チェーン店のスーパーマーケットや映画館が島のあちこちにできてはつぶれて、ビーチもどんどん人工ビーチになって。今こそ、自分たちが、イベントをやるなり店をつくるなりして、文化を切り開いていかないと、せっかくの素晴らしい島国が、単なるつまらないリゾートになっちゃうんじゃないか、と感じる。しまいには、沖縄の人たちは「慰霊の日」さえ忘れていっちゃうんじゃないか、と思ったことさえあります。
──それは、上江洲さんが一度沖縄の外に出たから感じるようになったことなんでしょうか?
どうなんでしょうか。ただ、実は沖縄にいたときは、ある面で閉鎖的な沖縄が嫌いでしょうがなかった。早く県外に出たい、と思っていたのはだからなんです。でも、外に出てみて逆に、すごく好きな場所になりました。
──では、そんな上江洲さんの将来の夢は?
最終的にやりたいのは、那覇の国際通りに店をつくること、ですね。沖縄に住んでたときは、休みの日はほとんどあのあたりにいたし、今も行くと落ち着きます。でも、昔は道端で三線を弾いてる人がいたりして活気があったし、「文化のメッカ」という感じの場所だったのが、今はすっかり土産物屋ばかりになってしまっている。かつてのあの活気を取り戻したい、国際通りを元気付けたい。そう思っているんです。
──ありがとうございます。最後に、上江洲さんが考える「平和」とは何でしょうか?
平和とは「行動・作る・守る」、その3つがキーワードだと感じます。平和という言葉からは、人間の躍動感を感じます。ただそれは逆をとると戦争、破壊というイメージにもつながります。充実して生活できてることが、平和な社会なんだと思います。最近は、けっこうこういう話、社会問題や政治の話なんかも、飲みながら若いスタッフともしますね。
「これは、自分たちの世代こそがやらなくちゃいけないこと」。
その思いが、6月の「琉球魂」へとつながります。
上江洲さん、ありがとうございました!