ぼくらのリアル☆ピース


今年、新宿や渋谷の街で20代の学生たちが集まり、特定秘密保護法に反対するデモを行なう姿が話題になりました。運営したのは「SASPL」(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)。インパクトのあるYoutube上の映像、ラップ調のデモコールなどが特徴的で、SNSを通じて学生の参加者を増やしてきました。表現手法だけでなく、HPには特定秘密保護法の問題点や学生の視点からの反対理由がしっかりと語られています。
そんなSASPLの中心メンバーの一人として活動する明治学院大学3年生の奥田愛基さんに、SASPLの活動について、そして奥田さん自身についてもうかがいました。

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奥田愛基(おくだ・あき) 1992年生まれ。福岡県北九州市出身。明治学院大学国際学部3年。高校卒業後、東日本大震災の被災地支援に関わる。監督した短編ドキュメンタリー『生きる311』は、UFPFF 国際平和映像祭受賞作品となった。震災後について考える若者の団体などを運営するなど積極的に活動を行なってきた。昨年12月に、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)を友人たちと設立。

――前回、12月10日でSASPLは解散だとうかがいましたが、その理由は?

 SASPLは、特定秘密保護法というシングルイシューに反対するために作った団体なんで、その意味ではもういいかなと。本当はもっと早くに解散するはずだったんですけど、集団的自衛権の行使容認の閣議決定が予想より早い時期にあったから、そのまま今日まで来ちゃっただけです。でも、あの閣議決定のときから、一気に空気も変わった。デモに対してあんまり抵抗がなくなって、いまは、若い人も「デモぐらいやるでしょ」って感じじゃないですか。

◆もう一度、10万、20万人が集まる気がする

――なにが若い人を動かしたと思いますか?

 僕の勝手なイメージですけど、やっぱり憲法が変わるっていうことはデカい。これだけ長い間戦後の運動があったにもかかわらず、閣議決定だけで憲法解釈が変わったっていうのは、けっこうインパクトがあったと思います。
 僕の地元は北九州なんですけど、妹のツイッター見てたら、妹の友達が「えー? 戦争とか行きたくない」とか書いていた。茶髪のヤンキーみたいな友達なんですよ。でも、学校ではその話題で持ちきりだったみたいで。若い人は「戦争は普通にイヤ」って思ったんじゃないかな。
 デモに若い世代が多くなったように見えたのは、若い人が固まっていたからということもある。20代が先陣切ってデモで主張している光景って、今まであまりなかったし。後ろのほうでツイッターを見てるとか、通り過ぎていくとかはあったけど、今回は「若い人が集まっているのは、この場所だ」って感じで、集まりやすかった。
 ツイッターとかSNSによって社会運動が盛り上がったとか言われているけど、潜在的には前からいて、インターネットが単にそれを可視化させただけって気がするんですよね。
 いまは、いろんなデモの主催団体があって、お互いに邪魔しないで、ゆるくつながっている。数がすべてじゃないけど、どっかのタイミングで10万人、20万人規模のデモがもう一回起きるんじゃないかと感じている人は多いと思う。まあ、実際どうなるか、わからないですけど。

◆「デモがカッコいい」という空気を作ればいい

――大学で友達にデモの話をすると「ひかれる」という話を、別の学生から聞いたことがあるのですが、周りの反応はどうなのでしょうか?

 僕のまわりでは全然そういうのはない。むしろ大学では後輩とかから「動画、カッコよかったです」とか「今度、参加したいです」とか声をかけられる(笑)。
 まあ、たしかに、最初にデモをやろうと言ったときは、「やらないほういい」という友達のほうが多かった。SASPLのHPの文章を書いていた子でさえ「秘密保護法には反対だけどデモには行かない。どういう意味があるかわからないし」とか言っていたし、そういう人は周りにもいる。
 授業のディスカッションでも、「デモに行く人は知識もないのに、ただわめいているだけ。それでは社会は変わらないと思います」と言われることがあるんですよ。そのときは、「僕はデモに行くんですけれど、反対する理由は○○で、こういう理由でこう思う。そのうえでデモは意味あると思います」って真正面から反論してます(笑)。「かかってこいよ」って感じで。
 でも、感覚的にはわからなくもない。戦後民主主義の歴史のなかで、日本では過激な学生運動に対してはトラウマ的な感覚がある。その前提で僕らはやっていかないといけないと思っています。でも、それも3・11からは、ちょっとずつ変わってきた気がしている。

――こうした活動が就職活動に響くと心配する学生もいます。

 さっきの話と同じで、それは、ただの空気感の問題じゃないかって思う。本当はみんなそう思っていないのに、そういう空気を感じて流されているだけ、みたいな。だったら、「いや、俺らカッコいいことやっています」という空気を作っちゃえばいい。それで変わっちゃう程度のことなんじゃないか。デモをやって目立つことや、メディアに載ることは目的じゃないけれど、やるからには一般の人から「すげえ」って思われたい。それはすごく意識してきた。「実際、空気変えたから来いよ」って言ってやりたいです(笑)。

◆「お前たちは、ポスト3・11キッズだ」

――奥田さん自身は、前から社会問題に関心があったのですか?

 どうだろう? 通っていた高校で1年間の自由研究みたいなのがあったので、平和学をテーマに文献を調べて1年間かけてレポートにまとめる作業はやりました。そのときに、戦争の歴史とか、暴力とどう付き合うかみたいなことを学んで、それがあったから明学に入ったんです。明学は国際学部が初めにできたところなので、専門分野の先生が多いし。
 だけど、入学直前に東日本大震災が起きてしまって、被災地支援に関わったことで方向性にも影響を受けた。大学の先生からは、「お前たちは “ポスト3・11キッズ”だ」という風によく言われます。“何かが違う”っていうか、“変だぞ、おまえら”という(笑)。

◆「意味はあるの?」の質問に意味がない

――被災地支援に関わったあとは?

 震災後2週間後くらいから宮城県に行って、そのまま2ヶ月くらいずっといたんです。大学が5月に始まったから帰ってきたけど、そしたら被災地の状況と「楽しい大学生活」とのギャップがすごかった。こんなところにいられないなって、マジですげえ気持ちわるかった。月1~2回は被災地に通い続けていたんですけど、大学は休学するか、退学するかってずっと考えていて。
 そうやって1年たつうちに、東京でも原発反対のデモが起きてきたんです。脱原発デモのときは、ほとんど社会見学気分だった。このまま原発は止まるだろうなと、なんとなくだけど思っていたし。だって、普通に考えたらおかしいに決まってるでしょ。でも、衆議院選挙の結果をみたら、「なんだこの国は!?」って…。いや、もう一気にやる気をなくしました。
 それで、逃亡するような感じで休学して、カナダとかアイルランドとかドイツに滞在して、政治のことなんて全然考えないで過ごしていました。バイトしたり、語学学校行ったり、友達と遊んだり、クラブで遊んで踊ったり。「ああ、すげえラクだし、楽しいな!」って。
 でも、7月の参議院選挙が近づいてきたら、今度はもっと投票率が低そうだって聞くし、なんか落ち着かなくなって(笑)。結局、「VOTE」(投票)と書いたTシャツをデザインして、海外から日本の友達に送ったりしましたね。まあ、まわりの友達が少しでも投票に行けばいいかなっていうくらいの気持ちで。

――結局、“見ない振り”はできなくなったんですね。

 そのときと比べると、僕自身の気持ちもけっこう変わったかもしれない。「デモで何か変わるんですか?」とか「絶望しないんですか?」とか、よく言われるけど、そんな質問は「いまさらだな」って思う。「どうせ何も変わらないし」って冷静な振りで絶望している場合じゃないだろって。そもそも社会ってそんな一気に変わるわけがないし、一気に変わったらこわいし。
 僕らが生まれたときには、日本はすでにバブル崩壊後で、そのショックをひきずっていた時代。リーマンショックもあって、「就職は大変だよ」とか言われ続け、“ゆとり世代”がどうのこうのって、まあ、いろいろ言われてきた。「民主主義が終わりました」っていう言葉を聞いても、「終わりましたって言う前に、いつから始まっていたんだ?」って感じだったし。もし民主主義が本当に終わりに向かっているのなら、どう終わるのかを考えなきゃいけないでしょ。「それに意味があるのか?」っていうその質問に、一番意味がないし。もう、そういう時代じゃないって思う。

◆たどりつけない理想を追い続ける

――影響を受けた人や本などを挙げるとしたら?

 丸山眞男は僕のなかで影響が大きくて、まわりでもけっこう読んでいる友達は多い。こうあるべきだっていう理想を常に追い続けることで、民主主義だけが永久に革命し続けることができる運動だってことを言っていて、その言葉はきっと正しいんだろうなって感じてます。
 デモをやるようになってから、民主主義論みたいな本も読むけれど、どんな政治・哲学者も、民主主義が最高で「完全な制度」だとは言っていないんですよね。でも、“たった一人”には任せることはできない。完全な人間なんていないから、コストも時間もかかるし、それが本当に正しいかもわからないけど、間違ってもいろいろな人がいるからやり直すこともできるのだと。完全にはなれないし、神のようには生きられないけど、それに近づこうとする。そうやって終わることのない努力をしていくのが、民主主義なんだと思う。
 1回目のデモのときに、キング牧師の「I Have a Dream」 をフライヤーに使ったんですが、彼は殺される前夜のスピーチで「私は山頂に立ち、そこから約束の土地を見ることができた。私は一緒には行けないかもしれないが、私たちはひとつの民として約束の土地にたどり着くだろう」と言っている。
 「本当のこと」っていうのはそういうもので、今この瞬間にはたどりつけないけれど、もしかしたら俺死んでるかもしれないけど、その先には確かにあるという感覚。それが僕のなかにもあって、それは震災後の混乱の中で言葉を見出していった経験が大きいのかもしれない。「なんだこれ?」って現状の前で、それでも進めるしかなくて。問題をいくら解決しても、問題はまだまだ山積みで、それでも100年先の人のことを考えて、そこに木を植えていくような、そういう感覚。
 なんか、賢い人って、いろいろ見えているからこそ、やらないじゃないですか?「本来こうあるべきなのに、なんでこんなことになってるんだ?」とか言いながら、自分ではやろうとしないんですよね。それって失敗する可能性が見えているから、やらないんだと思うんですよ。たしかに、誰かしらなんか文句も言ってきますよ。でも、そういうリスクも引き受けて、不完全さも引き受けて、歩き出すしかないと思ってる。それって理想主義とかいうことじゃなくて、「もう仕方がねえな、ばか野郎」って言いながら、始めようってことなんです。

 デモクラシーとは、私たち一人ひとりが自由に考え、判断し、行動する、その力のことです。僕たちは、未来の社会の担い手であり、未来の民主主義そのものです。僕たちがこれまで、大きく社会を変えられたかはわからない。けれど、この一年間、あの日 の怒りと悲しみが、僕たちを大きく変えました。そうして変わった僕たちがまた新しい社会をこれから作っていきます。それを、誰も止めることはできません。

(第4回デモのスピーチより)

――いま、奥田さんは大学3年生ですが、卒業後の進路は?

 いや、まだわからないですね。デザインや映像の会社から、SASPLメンバーに就職のオファーがくることもありますけど(笑)。
 大学院で、デモっていうのは何なのかを勉強してみたい気もしています。民主主義というのは、ひとつのものを決定していく仕組みだけど、みんなそれぞれ違う「個」のなかから、どうやって「民意」なんてひとつのものが決定できるのか。民意を結集させるひとつの装置がデモであると思うから、そこをもっと突き詰めたい。
 まあ、自分のことはさておいて、メンバーのみんなには大成功してほしいなと思っています。「社会運動とかやっていると就職とか困るでしょ?」とか言ってくるやつらに、「僕ら、稼いでいるんで」って言い返したいから(笑)。

◆改憲されるのがいちばんヤバイ

――SASPL解散後も、どんな活躍をされるのか楽しみです。

 SASPLとしては12月10日で解散ですが、僕自身は、特定秘密保護法のような形でこの先もいろいろな法律が決まっていって、最後には改憲されてしまうのが一番ヤバイと思ってる。2年後に国政選挙があるので、それまでに、千人、二千人といった単位で学生が集まれるようにしていきたい。そのための活動は、まだこれからですね。
 まずは、SASPLとしては最後の活動になる12月9日、10日の官邸前での抗議行動に多くの人に来てほしい。いままで参加できなかった人も、してくれた人も、最後までカッコいいことやるから、思ってることあるなら絶対来いよって。


構成/中村未絵 メイン写真/マガジン9

 

  

※コメントは承認制です。
奥田愛基さん ■その2■
「デモはカッコいい」っていう、
社会の空気感をつくればいい
」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    実は、このインタビューを行ったのは10月上旬で、まさか衆議院解散選挙がこんなに早く行われるとは思っていませんでした。「信を問いたい」という安倍政権。こうした学生たちの思いをどこまで選挙に反映させられるかは、私たち一人ひとりの投票にかかっています。

  2. Shunichi Ueno より:

    シュプレヒコールからCall & Responseに代わったのは時代の感性でしょうね。
    ノリが良いので声が揃い、ユニゾンの力強さと楽しさがある。
    ぼくは「民主主義ってなんだ?」「なんだ?」の掛け合いが好きです。

  3. より:

    この記事を拝読し奥田氏の行動に深く感銘を受けました。ただこれに日本を取り巻く民主主義ではない国家の存在を入れて、米兵の命を他国防衛に捧げたくないアメリカの母親達の心情を受け止め、本当に日本人が他国兵士の血の犠牲の上でなく自前の防衛力を保持するにはどうすべきか?民主党の政権担当能力が未熟である現状を踏まえ、真の平和国家とは国際紛争時に敵国の前に非暴力で立ち向かう命の犠牲を覚悟するのか、または武力を止める抑止力を蓄えるのか?さらに深く考えていただきたいと願います。
    いずれの政権やメディアにも利用されない独立性で、安保=戦争という情報操作をする汚い大人達がいることも認識してほしい。
    そして、無駄な米国兵士の犠牲も自衛隊員の犠牲も出させない平和な社会を作り上げていただきたい。
    所詮老人はみなさんより先に世を去ります。左右両翼の意見を学び誠を見出してほしい。

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