【スタッフコラム】
「3・11と文学」
〜震災後、何が書かれてきたのか〜
気仙沼椿
一時期、文学に関係する仕事についていたせいか、ときどき人から聞かれることがある。「文学は震災をどう描いているんですか?」「なぜ文学者は震災について書かないのですか?」……。なかなか答えに困る質問である。最近では文芸誌もフォローしていないし、出版物は山のようにある。震災が描かれてないとは言い切れない。
3・11が起きた2ヵ月後に、川上弘美は93年に発表した短篇『神様』を「あのこと」が起きたあとの世界として書き換え『神様2011』として発表した。高橋源一郎は、小説『恋する原発』をやはり3ヵ月後に文芸誌に発表するという力技を見せた。作品をどう評価するかとは別に、この2人の感性、作家としての矜持(義務感か?)たるや、見事だった。だがそれ以来、作品の片隅や、設定のちょっとしたところに震災や津波を意識させるものはあったが、これが「震災後の文学だ!」という衝撃作には出会えていなかった。というか、話題になってこなかった。
なぜ文学者は震災について書かないのか?……その問いに、私は「問題が大きすぎたのではないか?」と答えるようにしてきた。地震や津波であまりにたくさんの人が死んだ。その被害地域は広大だ。そして、原発被害。着の身着のままで家を出て、そのまま帰宅できなくなった十数万の人たち。家族、家、ふるさと、職、生活のすべてを奪われるという体験とそこから生まれた悲劇(今も現在進行形だ)を、どうとらえればいいのか? 原発の問題は人類史上2番目の、どうしようもない、いつまで続くかもわからない、私たち人類自らが作り出した災厄であり、生半可な分析や結論を寄せ付けない困難だ。「ホンモノの作家は、自分の言葉にリアリティがなくなることがわかっているから、簡単には手をつけないのよ。普通の人々が経験した現実が、物語を超えているからだよ」。答えに確信はない。
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2013年春。いとうせいこうが発表した小説『想像ラジオ』は、確実に震災後の文学の代表作となるものだ。作品中の饒舌なDJの口調と淡々とすすむ男女の会話、ボランティアたちのとまどいの会話、これらに包まれて昼休みのドトールで涙したとき、ああ、ようやく、ここに! と少し胸をなでおろした。死者の言葉にどう耳を傾けるか、自分が死者とどう向き合うか……『想像ラジオ』は、木の上にひっかかった、津波で死んでしまった男が語り続けるというこの構造を著者が考え付いたときにその作品の評価が大方決まったといってもいい。私たちはいつも死者の言葉に包まれている。3・11のように、一度にたくさんの人が命を不本意ながら失った場合、死者の言葉はラジオのように饒舌に流れ続けている。自分がそこにどうチューニングをあわせるか、なのだ。
続いて、ここにきて、福島県三春で僧侶を務める作家・玄侑宗久が『光の山』を上梓した。この短編集はあまりにベタだ。あまりにリアルな「ありがちな震災後」を描いている。だが、この短編集がそれでも心に響くのは、著者が被災者の姿を間近にみつめてきたからだろう。リアルは福島にこんなにもベタに存在している。それが痛いほどわかる。小説にはめずらしく「あとがき」がついており、「因業なことに、やはり私は放射線量にかかわらず呼吸しつづけるように、小説を書かないでは暮せなかった」と、「切実な現実の推移のなかで」生きる玄侑は吐露する。
ある書評で『光の山』と一緒に、〝震災(後?)を描いた作品〟と紹介されていた絲山秋子の『忘れられたワルツ』。これもまた、不思議な短編集だ。最初、ありふれた日常の中に、本来なら違和となるべき震災後の要素(たとえば、強震モニタをネット上で眺めるといった行為)がスルッと入り込んでいる――こういう状況を絲山は描き出そうと思ったのだろうと予測した。だが、7つの作品を通読すると、そんな単純な構造ではなかった。3・11以後では、狂気ですら日常になる。誰が死に、誰が正常か、読み進むうちにわからなくなってくる。3・11以前と変わらぬ生活を取り戻したと思っている自分さえ、何が「ふつうの生活」なのかがわからないことに気付く。
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もしこういった作品が翻訳され世界に広まったとしても、このせつなさ、悲しさは、あの日から日本ですごし、仮設住宅の様子を見聞きし(そこに住んでいなくても)、余震と内部被曝におびえ、除染という果てしない作業が繰り返されていることを知っている私たちにしか理解できないのではないかと思う。大地が揺れるたびに大雨がふるたびに原発を想起し心配しているこの気持ちを共有できない、後の世代の人たちにも、これら文学の言葉が本当に届くのだろうかと不安になる。
だが、ヒロシマを題材とした井伏鱒二の『黒い雨』も井上ひさしの『父と暮らせば』も発表されたのは、ずいぶん年月を経てからのことだ。そして、それらは他の国の人にも大きな感動と悲しみを与えてきた。
作家は、文学者は、それぞれの形で3・11の衝撃を受け止め、時間をかけて文学に昇華しようとしているのだと信じたい(だって、何事もなかったようには私たちでさえ暮らせないのだから)。そして、私はそれを丹念に受けとめていきたい。一次情報以上の何かを残してくれる作品は、このネット社会・情報社会ではひっそりと生まれてくるのだ。ひっそりと生まれた「震災文学」の描く世界を、なかったことにはしたくない。単なるフィクションととらえてほしくない。
作品は今日も書かれている。津島佑子の『ヤマネコ・ドーム』も読んでおかなければ、と心に決めている。
ロックも同じですね。雨のひも風の日も、どんな事件が起ころうと、駅前でラブソング歌ってる連中って何考えてるんだろうと良く思います。
さだまさしの小説「風に立つライオン」もいいですよ。日本人医師に助けられたアフリカの元少年兵が成長し、医師として日本を訪れ、東北の被災地で出会うあれこれ・・・
関東大震災のあと、「新感覚派」と呼ばれる人たちが登場した。それは昭和になる前夜だが、その頃から昭和という時代がはじまっていたのではないか、と思う。そんなことが連想できた、さり気なく刺激的な評論でした。