伊勢崎賢治●いせざき・けんじ 1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)、『国際貢献のウソ』(ちくまプリマー新書) 『紛争屋の外交論―ニッポンの出口戦略』 (NHK出版新書)など。
先月、伊勢崎賢治さんを講師に迎えて実施した第25回マガ9学校。サブタイトルにもなっていた<それでも、9条の「非戦」は有効か?>について、伊勢崎さんにもっとじっくりお話を伺いたかった、との声をいくつかいただきました。
自民党政権は、夏の参院選挙では「改憲」が争点になる、そして9条改憲を視野に入れた96条改憲を進めると明言しています。
そんな中、世界各地で紛争処理にかかわり、平和構築の最前線で仕事をしてきた伊勢崎さんは、 憲法9条が掲げる「非戦」の平和観についてどう考えているのか? 改めて、今の考えを寄稿いただきました。
先日のマガ9学校では、「平和観」というのは、それぞれの国が歴史的に現在の「安定」を勝ち取ってきた「手段」に起因し、それを2度と手放さないという戒めを次の世代に伝えるという動機で構成され、実にさまざまであり、普遍的な「平和観」なんてものは存在しない、という結論を導き出しました。池田さんの「平和は”二度生まれ”」は、ホント、意を得たコメントだったと思います。
今回、伊勢崎ゼミで調査したほとんどの国の平和観は、「平和」は戦って(血を流して)勝ち得たもの、そして、それを脅かすものには敢然と立ち向かう、というものだったようです。
対して、日本の「非戦の平和観」はどうか。
日本国憲法の前文と9条が醸し出す戦後の日本の平和観は、敗戦国日本が、原爆という許されない無差別攻撃までやった敵に対して「許す」を超越し、「戦争」という行為そのものに、日本人が被った戦争被害の鬱憤を転嫁させることで、定着したように思えます。
何せ6千万人という信じられない犠牲を出した第二次世界大戦直後には、「こんな戦争を二度と繰り返してはならない」という思いが、広く国際社会で共有されていたことであろうと思います。そのためには、日本というとんでもない猛犬を、首輪で自由を奪うだけでなく、牙はもちろん歯を一本残らず抜いてしまわないと安心して枕を高くして眠れない、という考えが戦勝国側にあったのでしょう。
いずれにしろ、戦勝国側の観点からすると、見事な占領政策で、その後のアメリカがベトナム、そしてイラク、現在のアフガニスタンで見事に失敗している「Winning the People」(被占領人民を帰依させ勝利する)を、これほど完璧に、そして長時間持続させた例は、なかなかありません。
その後、アメリカが主体となる大きな戦争が現在まで続くのですが、日本人は、一番身近な友アメリカを反面教師として「世界」を観察し、「首輪」であった9条を「非戦の平和観」として、一つの教義、もしくは信念にしていったのではないでしょうか。戦後日本の重要な社会運動であった安保闘争やベトナム反戦の運動は、「非戦の平和観」にとって格好のアイデンティティ形成の発露だったのでしょう。
そうして形成されていった日本人の「非戦の平和観」には、根源的な矛盾があります。アメリカの好戦主義に異を唱えながら、アメリカの軍事力によって護られている、という矛盾です。
にもかかわらず、その矛盾を「日本人」の意識の中から遠ざけ、「非戦の平和観」を教義化させたのが、米軍基地返還による沖縄との「断絶」だったと思います。1960年代ごろから、徐々に日本の「本土」から基地の姿は消え、沖縄への集中が進んでいく。それによって僕たちは、自分たちが享受している平和は「アメリカに守られたものだ」という現実を意識の外に置くことができた。「断絶」をつくっていったのは日米政府の政策かもしれないけれど、日本国民の側も、「非戦の平和」を信じるために、「断絶」を利用した。なぜなら、ベトナムのためには反戦運動が起きたけど、「沖縄に負担を押し付けてはいけない」という国民運動は起こらなかったし、今も起こる兆しはありません。
ここまで書くと、僕は「非戦の平和観」を否定し、安倍政権が標榜するような憲法改正を支持しているのかという印象を与えてしまいそうですが、そうではありません。僕は、「非戦の平和観」の根源的な矛盾を認め、しかし、それを「良し」とする立場です。9条の文字通りの意味と自衛隊の存在との関係と同じように、「矛盾」があってもいい。「非戦の平和観」が、理不尽な理由で死ぬ人々が少しでも少なくなるために貢献してくれれば、「矛盾」なんて、どうでもいい。僕は、実務家ですから。
ただ、少なくとも日本人が自分たちの信念として「非戦」を置くのであれば、それがどのように形成されてきたものなのか、そして、<「非戦」ですべては叶わない>という現実を直視していただけたらな、と思います。
ここで、マガ9学校のサブタイトルにもなっていた<それでも9条の「非戦」は有効か?>を考えてみたいと思います。僕の意見は、「非戦」は平和を達成するすべてではなく、「平和のための戦い」が席巻する世の中だけど、その中で「非戦」にしかできないことも”少し”ある…。このくらいに考えていただければ、というものです。
でも、その”少し”は、時には戦争終結に、そして戦争そのものの予防に、決定的な役割を果たすこともある。それは、非常に限られた者にしかできないことです。日本は米軍を国内に抱えることで戦争に立派に加担していますが、外からはそう見えない。この、第二次大戦後一度も戦争していない唯一の先進国としての日本の立ち位置、というかイメージは、「非戦の平和観」とともに非常にユニークです。たとえ、それが、「矛盾」と誤解に基づいたものであっても。
具体的には、アメリカ建国史上”最長”の戦争になりつつある、アフガニスタンを主戦場とする「テロとの戦い」を例にとりましょう。テロリストは、まさに民衆(the people)の中を泳ぎ、アメリカは、それが勝利のカギだとわかっていながら、全くうまくいっていない「Winning the People」です。ここに、日本しかできない役割があります。
テロリストたちを生み、それを育む土地は、例外無く、差別を受けている低開発地域です。政治的にも不安定で、分離独立運動が根強かったり、民族的に敵対する国と国のあいだを跨ぐような場所にあるため、どちらの政府からも弾圧を受けるような歴史を経てきた地域です。低開発→テロの温床→治安の悪化で危なくて開発を届けられない…、という堂々巡りの状況がテロリストを生みます。この堂々巡りを断ち切り、リスクを冒しても、開発を届けなければなりません。
同時に、こういう地域に展開する両国の軍隊が交戦し、せっかくの開発行為を台無しにしないように割って入って、信頼醸成をする。これを、停戦・軍事監視といいますが、その紛争に利害関係のない多国籍の軍事関係者が丸腰・非武装でチームをつくって、これをやるのが基本です。極度の中立性が要求されます。これは、「非戦の国」日本の自衛隊のお家芸にするべきでしょう。
国内犯罪でも、例えば未成年が重大犯罪を犯したとき、量刑や法定年齢を厳しくという真っ当な意見と同時に、何が被疑者をしてそうさせたかという社会の構造的な問題を問う世論があるでしょう。国際政治の中でも、後者を専門にやる国が一つぐらいあってもいいのです。詳しくは、拙著『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』(かもがわ出版)をご覧下さい。
これらは、今まで日本が漫然とやってきた「国際援助」ではありません。戦時の相手社会の構造的な問題に踏み込んで行くことですから、自ずと危険が伴いますし、日本人の犠牲が今まで以上に出るでしょう。でも、そのぐらいしないと、「平和のための戦い」に対抗はできません。これで成果を上げて、アメリカに恩を売りましょう。そして、売った恩で、日米地位協定を、もう少し沖縄のことを考えて、改定しましょう。それが僕なりの「日本の平和観」と9条についての考え方です。
伊勢崎さんから原稿をいただいた直後、
米国・ボストンで、そしてイラクで爆破事件が勃発、とのニュースが飛び込んできました。
14日にはソマリアでも、武装勢力による裁判所襲撃事件が起こっています。
激動する世界。その中で、「非戦」の国にできること、
「非戦」の形でしかできないことは必ずある、との伊勢崎さんの提言、
あなたはどう考えますか?
先ず、この国はアメリカに守って貰っているのではありません。日米安保条約は、確かに安全保障とありますが、其れは独立国たるこの国にアメリカの軍隊を駐留させるための方便です。アメリカが、アメリカの意に沿わない戦争を起こすことに対してまで、この国を守る義務は負ってはいません。或いは単に、守って貰っているという錯覚を日本国民に与え、世界に向かって与えることで、戦略的効果を享受しているのです。つまり米軍は日本を守ることを隠れ蓑にして、極東を監視する機会を確実にしているのです。卑屈になることはありませんね。
非戦であると言うより、もっと積極的に、敵を作らない国家と考える方がより建設的です。