- 特別企画 -

title5

5月29日、大阪・ジュンク堂書店難波店にて、蓮池透さん、伊勢崎賢治さん、マエキタミヤコさんによるトークセッション「平和と和解 その困難と希望」が開催されました。
 蓮池さんの著書『拉致2』(かもがわ出版)、伊勢崎さんの『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』(かもがわ出版)の合同出版記念イベント。韓国哨戒艦の沈没事件によって朝鮮半島の緊張が高まる中、解決の糸口が見えない拉致問題について、そして「平和」と「和解」について、3人はそれぞれ何を語ったのか? 充実のトークの内容を、3回に分けてお送りします。

(その1)
蓮池透さん
「戦略なき制裁」からの脱却を

はすいけ とおる●1955年生まれ。1997年より2005年まで「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長を務めた。著書に『奪還 引き裂かれた二十四年』『奪還 第二章 終わらざる闘い』(新潮社)『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』『拉致2 左右の垣根を超える対話集』(かもがわ出版)がある。

 今年の3月に、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」を除名になりました。会の側は「退会を承認する」とか曖昧な表現をしていましたが、事実上の除名です。北朝鮮に対しては制裁一辺倒ではなくて対話を通じて交渉するべきだという私の主張が「まかりならん」ということで、ずいぶん話もしたのですが、こういう結果になりました。

 非常に残念なことではありますが、そうすることで拉致問題の解決が進展するという会の判断であれば、それは甘んじて受けるしかないと思っています。また、除名されたからといって私は自分の主張を変えるつもりはありませんし、これからも自分なりの考え方を皆さんに伝えていけたらと考えています。

◆哨戒艦事件でまた遠ざかった「拉致問題の解決」

 私が一番まずいなと思っていたのは、「拉致被害者救出」という美辞麗句のもとで、「北朝鮮を打倒しよう」という考えが根底にある人たちに家族会の活動がコントロールされていることです。それでは、この問題はいつまで経っても解決に向かわないと思ったんですね。それが『拉致』という本を書くことになったきっかけでもあります。

 マスコミも政府も今、家族会というものを聖域化してしまっているところがあって、なかなかそれを批判するようなことが言えない、やれない。そしてそれはそもそも、拉致問題の解決が遅々として進まない、解決のための政府の政策がまったく見えないというところに端を発しているのではないかと思います。

 そういうことを考えていたところに、例の韓国の哨戒艦沈没事件が起こりました。ことの真偽は私にはわかりませんが、日本政府の対応は非常に素早くて、昨日(5月28日)には北朝鮮への追加経済制裁措置が発表されました。

 この追加制裁というのは、非常に家族会には受けがいい。そして、そこにはずっと「家族会の意向」を言い訳にして制裁を続けてきた日本政府の無責任さが非常に表れていると思うんです。さらにまた、普天間基地の問題を抱える鳩山政権にとっては、とてもタイミングのいい事件でもあった。沖縄の米軍基地の有効性を示す理屈付けに、この事件がうまく利用されたということは否めないと思います。

 でも、まだ国連も動いていないのに、単独で制裁をするのではまた北朝鮮を刺激してしまうことになるだけではないのか。それにそもそも、今回の事件は軍隊と軍隊の間で起きたもので、テロではない。安保理に制裁決議を求めるとかいうよりも、国連が仲介して南北の和解の方向に持っていくといった方法をとるべきではないかと感じています。

 今回の事件で朝鮮半島の緊張が高まったことによって、また拉致問題の解決は2〜3年は遠のいたな、というのが私の意見です。本来、南北朝鮮間はずっと戦争状態にあって、こういう事件がいつ起きてもおかしくなかったわけですから、日本政府にこれだけ素早く経済制裁に動くだけの能力があったのなら、拉致問題そのものの解決にも、もっと早く動いてほしかったと、とても残念でなりません。

ph1

◆経済制裁には「戦略」が必要

 私もかつては、北朝鮮に対しては強硬な姿勢を取るべきだと言い続けていました。しかし同時に、経済制裁をやるならやり方を考えてやってほしい、とも言ってきたし、政府にもそうお願いしてきたつもりなんです。

 つまり、どう経済制裁をやったら、北朝鮮にどんな動機付けが働いて、どういうメカニズムで拉致被害者が日本に帰ってくるのか。それをきちんと考えた上で、戦略的に制裁を行うべきだ、ということです。しかし、実際に経済制裁が行われた際には、その有効性とか戦略とかいったことが、まったく考えられた節がない。むしろ、制裁の発端となったのは2006年の北朝鮮による弾道ミサイル発射や核実験であって、拉致問題については理由として後付けにされたに過ぎません。

 北朝鮮が日朝首脳会談で拉致問題の存在を認めたのは2002年9月17日ですが、それ以前、日本の国民はほとんど拉致問題——というより北朝鮮という国に関して無関心だったと思います。それが「9・17」を境にして、それまでの日朝関係など過去のことはまったく知られないままに、とにかく 「この平和な日本の国土から善良な市民を連れ去る北朝鮮はけしからん」という世論が爆発してしまった。そして「強硬に出ろ」「制裁だ」という威勢のいい発言が支持されたということだったと思うんですね。

 しかし、それが単なる「行方不明事件」だったときならともかく、いまやこの問題は国際問題であり、外交問題、政治問題です。そうである以上、拉致ということのみをピンポイントで捉えて、一方的に帰せ帰せと主張をしてるだけでいいのか。まずは日本と北朝鮮、そして朝鮮半島の長い歴史をひもとき、俯瞰する。その中で拉致問題をどう位置づけ、どう扱うのかを真摯に考えなくては問題は動かないのではないかと思うんです。

 弟は北朝鮮にいたときに、「おまえらは昔何十万人も拉致したんだから、10人やそこら拉致してきたってどうってことないんだ」ということを何度も言われたそうです。もちろん「それとこれでおあいこだ」という話ではない。でも、日本政府は今まで、そういうふうに北朝鮮側に昔のことを言われると、どこか腰が引けていたんじゃないでしょうか。そうではなくて、「昔あんなことをやったじゃないか」と言われたら、「それに対してもちゃんと対処する」と、自信を持って言えるくらいの準備をしてほしい。そこでやっと初めて、対等な立場で交渉ができるはずです。

 その上でまずは北朝鮮から、「真実は何か」ということを語らせる、そこから交渉に入っていく。「テロ国家の言うことなんて信用できない」とも言われますが、私たちが真相を知るには、彼らに語ってもらうしかない。それを交渉の中で検証していくしか方法はないはずです。

 そのために、とにかく相手のことを、互いの歴史観なども含めてよく知る、そして理解しあうこと。ここで言う「理解」とは、相手の言っていることを理解するという意味ではありません。彼らがなぜそういうことを言うのか、その発言の背景になっているのはどういうことなのか、彼らの「視点」を分析し、知るということなんです。

◆政府が家族と同じ目線であってはいけない

 そんなふうに、ともかく形の上だけでもお互いへの信頼感を醸成して、話し合って譲歩しあう。そう言えば、弱気だ、甘いと言われるかもしれません。でも、「あんなやつらと対話しても始まらない」と言う人には、じゃあどうするのか、と聞きたい。「あんな国はつぶしてしまえ」ということになるのかもしれないけれど、じゃあ北朝鮮をつぶせば拉致被害者は帰ってくるのか。帰せ帰せと拳を突き上げるだけで、「その先」についての思考が凍結してしまっているように感じるんですね。

 もちろん、拉致被害者の家族が感情的になるのは当たり前です。でも、政府がそれと同じ水準の考え方であってはいけない。場合によっては、世論や家族の意向に反してでも、「これだ」と思うような政策をとる必要がある。そうでなくては、きっちりした外交なんてとてもできないのではないでしょうか。

 対話とか交渉というのは、非常にタフなものだと思います。経済制裁なら書類にはんこを押して各省庁に指示を出せばできるけれど、交渉となれば、互いに国益と国益をぶつけ合ってディベートをやるわけですから、相当大変なことでしょう。日本政府はずっと、そういうことを回避しているのではないか。「制裁さえやってれば、世論は満足するだろう」というような考えで、あえて交渉を避けてきたんじゃないのか。——これまでの政府の対応を見ていると、そうとさえ思えてきてしまうんです。

 

  

※コメントは承認制です。
蓮池透×伊勢崎賢治×マエキタミヤコトークセッション
「平和と和解 その困難と希望」レポート(1)
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「拉致問題の解決のためには“戦略なき制裁”ではなく、互いの理解に基づいた交渉を」。
    被害者家族という「当事者」の視点から、蓮池さんはそう訴えます。
    次回、アフガニスタンをはじめ世界各地で紛争処理に携わってきた伊勢崎さんが、
    「和解」とは何か、そして拉致問題と私たちはどう向き合うべきなのかを語ります。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

最新10title : – 特別企画 –

Featuring Top 10/67 of - 特別企画 -

マガ9のコンテンツ

カテゴリー