- 特別企画 -

映画『沖縄 うりずんの雨』
ジャン・ユンカーマン監督と考える
過去から未来へつながる「沖縄」

『映画 日本国憲法』で知られるジャン・ユンカーマン監督の新作映画『沖縄 うりずんの雨』が全国で公開中です。沖縄の近現代史をさまざまな人たちの証言と資料映像によって多面的に描き上げたこのドキュメンタリーを、5人の大学生に観てもらい、ユンカーマン監督をまじえての座談会を実施しました。
集まってくれたのは、沖縄で学生グループ「ゆんたくるー」を立ち上げた元山仁士郎さんをはじめ、それぞれに沖縄や基地の問題に関心を持つ学生たち。安保法制への抗議行動などを呼びかける学生グループ「SEALDs」の活動に参加するなど、他のテーマに関しても積極的に行動しています。
沖縄戦、占領と「本土」への復帰、そして基地の存在──。映画の中に映し出された、自分たちが生まれるはるか以前から続く現実を彼らはどう見たのか。じっくりお読みください。

元山仁士郎 沖縄県宜野湾市出身で、現在は首都圏の大学で政治学を学ぶ。基地問題については「東京に来てから考えるようになった」。昨年、辺野古や高江へのバスツアーなど、沖縄の学生が基地問題について考える場づくりをするグループ「ゆんたくるー」を立ち上げた。マガ9連載コラム「ゆんたくるー便り」の第1回にも登場。
木村緑香 徳島県出身。大学でジャーナリズムを専攻し、「沖縄ジャーナリズム」の授業を取ったのをきっかけに基地問題に興味を持った。まだ沖縄には行ったことがなく、今年の夏に授業の実習で初訪問予定。
林田光弘 長崎県出身。祖父が被爆者の被爆3世。原爆が投下された浦上地区で生まれ育ち、小学校時代から平和教育に親しんできた。自身も高校時代から反核運動などにかかわり、現在は大学で核軍縮について学ぶ。沖縄にも何度も訪れ、1ヶ月ほど滞在していたことも。現在は学生向けの広島・長崎ツアーなども企画中。
和香子 東京生まれ東京育ち。沖縄には子どものころから旅行などで何度も訪れていたが、「最近まではきれいな海とかおいしい食べ物のイメージしかなかった」。今年5月、辺野古の座り込みに3週間参加してきたばかり。大学での専攻は女性学。
梅原匠一郎 千葉県出身。大学では法律を専攻。母親が沖縄県浦添市の出身で、沖縄には「母方の田舎」としてたびたび訪れていたが、「海がきれいなリゾート地、という認識しかなかった」。大学の文化人類学の授業がきっかけで、基地や平和の問題に関心を持つ。
ジャン・ユンカーマン 1952年、米国ミルウォーキー生まれ。高校時代に日本に留学。1982年から日産自動車における「日本的」労使関係を取材し、そのドキュメンタリーを米のテレビ局で放送したことがきっかけで映画の世界へ。画家の丸木位里・俊夫妻を取材した『HELLFIRE:劫火-ヒロシマからの旅-』(1986年)は米国アカデミー賞記録映画部門にノミネートされた。その他の代表作に、9・11のテロ後に言語学者ノーム・チョムスキーにインタビューした『チョムスキー9.11』(2002年)、世界の知識人12人へのインタビューをもとに日本国憲法を検証する『映画 日本国憲法』(2005年)など。日米両国を拠点に活動を続ける。

アメリカと沖縄、「本土」と沖縄。
今に続く差別の構造

――最初に皆さんから、映画を観て感じたこと、監督に聞いてみたいことを。まず、沖縄出身の元山さんはいかがでしたか。

元山 すごく見応えがある映画だと思いました。これを観れば、沖縄で今起きていることの背景にどういうことがあったのかが理解できると思います。特に、沖縄戦や1995年の少女暴行事件については、自分でも勉強していたんですけど、それがなぜ起こったのか、当事者や周囲の人はどう思っていたのかを知れたことで、単なる一つの事件、一つの出来事という以上に深みをまして感じられるようになった気がします。
 監督にお聞きしたいのは、95年の少女暴行事件の加害者のひとりである元米兵へのインタビューについてです。彼に話を聞こうと思われたのはどうしてですか?

ユンカーマン 加害者がどういう人だったのかが分かれば、どうして同じような問題が何度も起こるのかが見えてくるのではないかと思ったからです。
 話を聞いて改めて感じたのは、米軍の中には「レイプなんて大したことじゃない」という意識が根強くあるということ。戦争をするためには兵士たちの団結心が大事で、レイプなどの性暴力を厳しく取り締まれば団結心がなくなってしまう、と考えているんですね。
 映画の後半でも描きましたが、米軍の中でも多くの性暴力事件が起こっています。でも、それを訴える人は被害にあった人のうち15%くらいだそうです。声をあげたら逆に、軍の中で冷遇されたり、退職させられたりしてしまうから、というんですね。完全に組織的な、構造的な問題なんです。

木村 私も、加害者の元米兵へのインタビューがとても印象に残ったんですが、聞いていて、彼ももし兵士として沖縄にいたのでなかったら、ああいう事件は起こさなかったんじゃないかと感じました。軍隊で毎日戦う訓練をしていることで、どこかで自分の理性をセーブしきれなくなるんじゃないか、と。もちろん共感はできないけれど、彼にとっても人生を大きく変えてしまう出来事だったと思うし、彼の立場を理解したいなと思いました。
 それから、沖縄戦を戦った元日本兵の方の言葉も印象的でした。沖縄に来て、食べ物とか生活習慣の違いを感じて、「本土」とは違う国のように感じた、という…。今は沖縄は日本の一つの県だと思っている人がほとんどだろうけど、「本土」という言い方があること自体、差別が残っているということなのかな、と思いました。

ユンカーマン その二つの指摘はとても重要です。
 まず、レイプ事件の加害者について。ふだん自分の国では絶対にやらないだろうことを沖縄でやってしまうのは、やっぱり彼ら米兵に特権的な意識があるからだと思うんですね。特に昔は今以上に、基地の中は完全に「アメリカ」で、広くてきれい。一方、一歩外に出るとそこはごちゃごちゃ混み合っていて、まだまだ経済的には貧しい人たちがいて…という対比が強かった。しかも、ほとんどの米兵は日本や沖縄の言葉がわからなくて、人々とコミュニケーションもとれない。そういう状況から生まれる差別意識が性暴力事件の背景にあるんじゃないかということを、あのインタビューから見せたかったんです。
 それから、元日本兵の近藤一さんは、沖縄の前に中国の戦線にいた方なんですが、話を聞いていると、当時の彼が中国人に向ける目と沖縄の人たちに向ける目がまったく同じなんですね。沖縄の人たちは同じ「日本人」のはずなのに、見下している感じがある。
 日本兵がそういう意識を持って沖縄にきたということが、すごく大事な要素だと思いました。「本土」の人々は、やはり今でも同じような差別的な目で沖縄を見ている部分があると思うからです。

沖縄のことを、これまでとは違う目で見てほしい

――梅原さんはどうですか。

梅原 いわゆる「沖縄問題」と言われているもの──それは実は沖縄の問題ではなくて、日本全体の問題だと思うんですが──を理解するのに、とても助けになる映画だと思いました。日本から見たら加害者だった米兵の証言を聞くことで、よくある日本とアメリカの二項対立的な視点を崩されたというか、今まで見ていた「沖縄」像が大きく変わった気がします。
 一方で、全編にわたって使われている記録映像は、「占領者側」である米軍が撮影したものですよね。それによって、見る人も「占領者側」の視点を引きずって見てしまう危険性もあると思うのですが、そうではなく「占領された」側の人たちの当事者性を伝えるために、何か工夫されたことはありますか。

ユンカーマン たしかに、沖縄の人が撮った写真や映像は残っていないので、ほぼすべて米軍が撮影したものです。ただ、占領者側の目線で撮ったものであっても、今見るとそこに現実が映し出されている場合もあると思うんですよ。その意味で、資料映像も一つの「証言」になるんですね。
 例えば、沖縄に上陸した米軍が、占拠した土地にブルドーザーなどの重機を入れて空港をつくりはじめる場面の映像が出てきますが、あれを見ていると、米軍がその行為を「誇りを持って」やっているのがよくわかります。たとえプロパガンダ用につくられた映像であっても、今見れば米軍の特権的な意識が見え見えですよね。そういうふうに、「現実」が見えてくる映像を選んで使ったつもりです。

林田 僕は観終わったあと、沖縄に行ったときに会った人たちのことを思い出して、涙が止まらなくなりました。ある問題を扱うときには、その問題の当事者である人たちの目線に立つことがとても重要だと思うんですけど、この映画はそれがすごく大事にされていると感じました。
 一つお聞きしたいなと思ったのは、沖縄では、反戦地主や爆音訴訟、辺野古の座り込みテントなどの平和運動がずっと続いてきていますよね。でも、この映画では、そうした「運動の歴史」にはあまり触れていないように感じたのですが、それはどうしてですか?

ユンカーマン インタビューをするにあたっての基本的な方針は、「当事者に自分の体験を語ってもらおう」ということでした。それを通して、何か普遍的なメッセージがつかめるといいな、と思ったんですね。
 何か運動をしているような人であっても、語ってもらっているのは「自分が何を見てきたか」です。例えば、反戦地主であり「日の丸焼き捨て事件」でも知られる知花昌一さんにも、読谷村での子ども時代を語ってもらっている。そこから、1950年代の沖縄のありようが見えてくるわけですね。すごい活動家である知花さんの、その根っこに何があるのかを理解することが大事なんじゃないかと思ったのです。
 だから、いわゆる活動家や研究者へのインタビューはあえてしませんでした。そうすると、「情報」になってしまうと思ったから。今回はそれぞれの人が話す内容、つまり「情報」だけではなく、話し方とか表情とかを含めて映し出すことで、沖縄の現状がどういうものなのかを語りたいと思ったんです。

――和香子さんは、先日、辺野古の座り込みに参加してきたばかりなんですよね。

和香子 はい。沖縄には何度も行ったことがあったのに、つい最近まで海がきれいで人があったかくて、みたいなイメージしか持ってなかったんですね。飛行機の音がうるさいな、と思ったことも、東京に帰ってきたらすぐ忘れてたし。自分がいろんな問題に向き合ってこなかったことに気づかされて、映画を観ながら、「何やってたんだろう私」と思ってずっと泣いていました。
 沖縄で、米兵によるレイプ事件がたくさん起こっていることとかに対しても、今までどこかで「沖縄だから」みたいな色眼鏡をかけて見ていた気がするんですね。そう考えると、私はやっぱり東京の人間だし、それなのに知ったかぶり、わかったふりはできないし、でももう知らなかったことにもできないし…衝撃が強くて、観た後はしばらく放心状態でした。
 私はそんなふうに映画を観たんですけど、監督は観た人にどんなことを考えてほしいと思っていますか。
 
ユンカーマン いろいろありますが、一つは観た後に、沖縄のことをこれまでとは違う目で見てほしいということですね。
 ここ数年、「本土」にあって沖縄の置かれた状況を理解しようとする人が、かつてなく増えてきていると感じます。10年前なら、沖縄にたくさんの米軍基地があるのは「安保体制のためなんだからしょうがない」と考える人がほとんどで、その「しょうがなさ」の中で暮らしている沖縄の人たちの存在は、まったく無視されていたでしょう。それがやっと、変わり始めているというか…。
 知花昌一さんが、映画の中で「『これはおかしい、なくそう』という思いの人が増え続ければ、その状況は必ず改善できると思う。そういう風に期待をしている」と言っていますが、映画全体のメッセージがあの言葉に込められていると言えるかもしれません。

米兵とつながること、共通項を見出すこと。
そこにこそ、希望がある

――監督は、1975年に初めて沖縄に来られたんですね。

ユンカーマン そうです。ベトナム反戦の運動にかかわったりしていたから、皆さんとは逆で政治的な関心ばかりを抱いていました。実際に行ってみて初めて、こんなに美しい、こんなに奥深い文化を持つ島なんだということを知って。その光景と、島じゅうにある米軍基地の存在との間にすごい矛盾を感じたのが、僕と沖縄との関係のはじまりです。

元山 当時から、米軍というものに対しては批判的な考えをお持ちだったんですか。

ユンカーマン そうですね、そのずっと前──10代のころからずっとベトナム戦争が続いていたので、自分も徴兵されるかもしれないという思いがあったし、なぜ自分の国が遠いベトナムで戦争をしているのかということに疑問を持っていました。

――沖縄では、どんな活動をされていたんですか。

ユンカーマン 反戦米兵向けの法律相談のほか、ガリ版で米兵向けの新聞をつくったりもしていました。少しでも沖縄の歴史や文化を米兵たちに知ってもらおうと、「Through Okinawan’s Eyes(沖縄の目を通して)」という、沖縄の人たちの声を紹介するコラムを書いていたんです。
 その取材で仲良くなった、平安座島のCTS(石油備蓄基地)建設反対運動をやっている人たちのところに米兵たちを連れて行ったりもしました。そういう活動を通じて、少しでも米軍がやっていることに疑問を抱いてもらえるといいなと思っていたんです。

――皆さんはどうですか。「米軍」「米兵」に対するイメージは?

和香子 辺野古の座り込みに行ったとき、朝から晩まで地元のおじいやおばあと一緒に行動していたんですけど、彼ら彼女らが米兵に対して抱いている憎しみみたいなものは、どうしてもうまく理解できなかったです。東京にも米軍基地はあるけど、私の周りの友達はたいてい、軍とか米兵とかいえば「クールでかっこいい、仲良くなりたい」「基地? 別にあっていいんじゃない」という感じ。そういう雰囲気に私自身もずっと同調してきたから、そこが違うんだなと感じさせられました。

元山 沖縄でも、「米兵と付き合うのがかっこいい」みたいに思っている女の子とかは多いと思います。それに実際、僕も米兵の友達はいるし、1人の人間としてはいい人がたくさんいる。僕は軍というものと個人は切り離して見てるつもりだけど、そこをごちゃごちゃにして、「いい人たちなんだから基地もあっていいじゃん」みたいに思ってる人もいるかもしれないですね。
 僕は「ゆんたくるー」という、沖縄の大学生が基地問題を考える集まりをやってるんですけど、そこにも何度か米兵が参加してくれました。「沖縄の若者と話がしたい」と言って来たんだけど、辺野古のことも「おかしいと思ってる」と言っていた人もいましたね。

ユンカーマン 1970年代ごろまでは、将校クラスも含めて米兵と現地の人たちの交流がけっこうあったんですよ。でも今は基地の「壁」がすごく厚くなって、ほとんど接触がない。基地の周りの飲食店などでも、米兵を見かけることはほとんどありません。知り合いの新聞記者は、それをすごく残念がっていましたね。以前なら、意見が違っても飲みながらいろいろ意見交換ができたのに、と。
 でも、辺野古の問題についても、おかしいと思っている米軍関係者はたくさんいると思います。映画に出てきた、沖縄戦を戦った元米兵も、戦後70年経ってまだ基地があることに驚いていたし、地元の人たちが反対しているのに強制的に基地を置いているなんてとても残念だ、と言っていました。
 そういう「おかしい」という思いを持つ人たちとは、対立関係になるのではなくて力を借りるような関係がつくれればいいですよね。辺野古の反対運動にも参加しているダグラス・ラミスさんも「ヤンキー・ゴー・ホーム」のかわりに「GIs, Join us(こっちに来なよ)」と声をあげようと言っていました。実際にそうしてみているうちに、最近では手を振ったりしてくれる米兵が出てきたそうですよ。

林田 僕の出身地である長崎も佐世保に基地があるので、友達の中には米兵のボーイフレンドがいる女の子もいます。沖縄で知り合った人の中にも、米兵を悪魔みたいに言う人もいたけれど、「かっこいい」と言う人もいた。僕は、その「かっこいい」と憧れを持つ人たち、すでに米兵とつながっている人たちにこそ、希望があるような気がするんですね。
 映画に出てきた写真家の石川真生さんは、ブラックとホワイトという差別の構造は、ウチナーンチュとヤマトという差別の構造と共通している。だからそこでつながれるんだ、ということをおっしゃっていましたよね。そんなふうに、米兵だからといって最初から拒絶するんじゃなくて、何か共通点を見つけることでつながれないか。知らない人にいきなり「おまえのこういうところが嫌だ」って言われても腹が立つだけだけど、仲のいい友達に言われれば「直そう」って思えるじゃないですか。
 最近、逗子のビーチに遊びに行ってそこでよく若い米兵たちと一緒に飲んだりするんですけど、話をしてみると彼らは彼らで僕らに不満を持ってるんですよね。「俺らのこと、飲んべえでくそったれだって最初から思ってるんだろう」とか(笑)。それで、「いや、ごめん、でもそんなふうには思ってないよ」って話すところから仲良くなったりして。そういうことが大事なんだろうなって最近、思っています。

戦争を肯定するのか、否定するのか。
今は選択のとき

ユンカーマン 皆さんは、辺野古の問題はここからどうなっていくと思いますか。

元山 基地建設は止めたい。…止められると思います。

木村 すごくおかしいと思うのは、沖縄であれだけ反対の声が高まって、選挙でもそれが民意として示されているのに、それを政府が完全に否定して、「検討します」という建前さえ見せないことです。これは「沖縄だから」なんじゃないのかな、そこにやっぱり差別があるんじゃないのかな、と思いました。

ユンカーマン そういう説明しかつきませんよね。もしこれが沖縄じゃなくて山口県だったら同じことをしますか、と聞きたいです。
 アメリカにも同じことがいえます。建設予定地の住民が反対していれば、基本的には米軍は基地をそこにつくるのはあきらめるんですよ。でも沖縄ではそうしない。それはやはり、根深い差別があるからだと思います。

――政府以外の一部の人たちからも、基地は抑止力として必要なんだから仕方ない、といった声は根強くありますが、監督はどうお考えですか。

ユンカーマン 僕はそういう「対立」を前提とした考え方自体が、今の時代にはもう合わない、古い考え方だと思っています。
 危険があるのなら、その危険をどうやって減らすのか、いろんな形を考えるべきなのに、その努力もせずに当たり前のように軍事力を強化して「抑止力だ」と、まるでそれしか選択肢がないかのような言い方をする。でも実際には選択肢はいっぱいあるんだということに、1人でも多くの人に気づいてほしいですね。
 映画の中で、大田昌秀さんが「(沖縄を)軍事的な要石ではなく、平和の象徴の島に変えていくしかない」とおっしゃっています。それが沖縄の心からのメッセージだと思うし、私たちはそのメッセージに耳を傾けるべきだと思います。戦争を肯定する文化と否定する文化の二つがあるとしたら、今沖縄という小さな島には、その両方が共存しなければいけない状況になっている。これから、そのどちらを選ぶのかという選択が問われるんだと思います。

『沖縄 うりずんの雨』

東京・岩波ホール、沖縄・桜坂劇場で公開中、その他順次全国公開
2015年/2時間28分
監督:ジャン・ユンカーマン
企画・製作:山上徹二郎
制作・配給:シグロ
公式ホームページ
http://okinawa-urizun.com/

 

  

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映画『沖縄 うりずんの雨』ジャン・ユンカーマン監督と考える
過去から未来へつながる「沖縄」
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    1853年のペリー提督の沖縄上陸から始まる、映画『沖縄 うりずんの雨』。「沖縄戦」「占領」「凌辱」「明日へ」の4部で構成されています。対談の中でも「差別」という言葉が出てきますが、本土と沖縄、日本と米国、男性と女性、映画を通じて、さまざまな差別の意識を感じました。沖縄がたどってきた歴史を知ることで、基地問題の見え方も変わってくるかもしません。ぜひ足を運んでみてください。

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