ほさかのぶと(社民党前衆議院議員)1996年、衆議院議員に初当選し3期務める。国会質問が500回を超える“国会の質問王”として有名だが、盗聴法、共謀罪、裁判員制度、死刑制度についての質問も数多く行ってきた。国会議員在職中は死刑廃止を推進する議員連盟」(会長・亀井静香衆議院議員)の事務局長を務めていた。ブログ「保坂展人のどこどこ日記」連日更新中。
7月28日、政権交代後はじめての死刑執行が行われました。その当日に法務大臣が記者会見を開き、2名の執行された方の名前と立ち会ったことを明らかにしました。その後の記者会見で大臣は「死刑制度の国民的議論を」と呼びかけていますが、いくつかの違和感がぬぐえません。この件についてどう考えればいいのか? 死刑廃止議連の事務局長として長く死刑制度問題にかかわってきた、保坂展人さんにお話をお伺いしました。
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───なぜこのタイミングでの死刑執行だったのでしょうか?
千葉さんは参議院選挙に落選しました。これは本人もまわりの人も予想していなかった事態で、現役閣僚では彼女一人でしたね。民主党の選挙結果を受け、枝野幹事長からも辞めたいというような声が出てきていました。で民主党は代表選挙を9月に控えていますから、菅総理の責任論に直接結びついてくるような党内のごたごたしたことは、封印したいと思っていた。それで異例の長期間の大臣続投ということになったのです。これについては、自民党からもいろいろと反論が出ていましたね。なぜ選挙で信任されなかった人が、大臣を続けるのだという。
それから法務省の主要な人事移動が7月にあります。そこで、これまで大臣の側にいた法務省の幹部たちが、千葉さんに対してこれまで以上に「強く」ささやいたのだと推測されます。「大臣としての求心力をとりもどすには、もう今しかありませんよ。」という法務官僚の「助言」を、選挙に落ち、すっかり自信を失っていた千葉さんは、素直に聞き入れてしまった。
千葉さんは大臣になってからこれまで、可視化法案についても、「やる」といいながらもまったく手を付けてこなかった。選択制夫婦別姓についても、信念を持ちやりたいのなら、亀井静香さんを説得しても取り組むことができたのに、これもうまく進んでいなかった。一方で、時効廃止法については、本来ならば憲法39条にも違反するおそれのある、法的にもかなり難しい法案であったのに、ある事件に間に合わせるために、4週間の国会審議で成立し即日施行させてしまったことがあります。これは、社民党も賛成して法案可決したものです。私が国会にいたら、こんなにやすやすとは、通させなかったと思いますが。
とにかくこれらについて、千葉さんは法務官僚の手の平にのって、その通りに動いていたんですね。千葉さんは、実は自民党よりも扱いやすい大臣だという評判だったんです。そこで唯一やっていなかったことが、死刑執行へのサインだった、そういう状況だったのです。
そしてこれまで内閣で連立を組んでいた福島みずほさんが去り、死刑廃止議連の会長である亀井静香さんが去ったことなども、もちろん状況の変化としてありました。そうした中で、法務官僚の詭弁にすっかりやられてしまったのだと思います。
───どういう「詭弁」だったのでしょうか?
法務省大臣室は、座りごごちの良いソファはあるが、「取調室」と同じなんですよ。
対面で密室で窓がない部屋が取調室なんですが、大臣室も密室です。そして、法務省の局長になる人たちは、全て検事資格を持っています。役所の中でもとりわけ法務省は変わっていて、事務次官がトップではなく、法務・検察の長である検事総長が、格上となっています。私は15年近く、歴代の法務大臣と法務省刑事局とつきあってきており、歴代の検事総長とも長時間話したことがあります。なぜかというと、死刑、盗聴法、共謀罪、この種の法律を担当していて、国会で答弁するのは、刑事局長ですからね。で、歴代刑事局長はおおむね検事総長になっています。彼らと話していて感じるのは、死刑について、やりたくない、とか、立ち止まって考えたりするのは出世の妨げになる、ということなんです。
今回、死刑廃止議連から出てきた千葉大臣に、死刑執行をさせることは、法務官僚の腕のみせどころ、という感じになっていたでしょう。彼らにとって千葉大臣攻略は、重要なミッションだったのではないでしょうか。
千葉大臣の記者会見の言葉を何度も読んでみました。私のブログにも書き出しました。
・死刑廃止と執行のはざまに揺れる「千葉法相」の言葉
・「死刑廃止の信念変わらぬ」で「死刑執行」とは
千葉大臣は、今なお「死刑廃止論者である」と言ってますね。じゃあなぜ? という疑問が当然わきます。でどういう「詭弁」だったのか。ここからは私の推測ですが、こう考えます。
「法務大臣としての職責をまっとうして、死刑執行してこそ、制度の存置か否かの議論を、国民に広く問うことができる。そうじゃないと、大臣の職責から逃げてなんだ、無責任だ、と国民は考えるでしょう。今、我々刑事局にサインをいただいたのならば、死刑制度を国民的議論に伏すべきという大臣の信念も尊重し、我々も清水の舞台から飛び降りるつもりで、刑場の公開にも踏み切りましょう。大臣が望むのでしたら立ち会いもみとめましょう。そうすることで、死刑制度を考える根源的な議論ができるようになるんです。千葉大臣によって、まさに歴史的な扉があくんですよ」と、そういうような「詭弁」でもって説得をしたのではないかと思うのです。
この「死刑執行してこそ死刑制度の議論ができる」という言葉を、繰り返し耳元で言われ続けたのではないでしょうか。死刑廃止のために執行する大臣なんて、どこの国にもいないでしょう。でも元検事たちの法務官僚たちに囲まれていると、それが正しいと思うようになるわけです。いわば一種のマインドコントロールですね。未だに千葉さんもそう思っているんです。だからみんなびっくりしたし、記者会見のやりとりを聞いても、釈然としない。
世論操作ということについてはこれほど巧みにやれる役所は、法務省の他にないわけです。検察リークってあるでしょ。最近の小沢一郎氏をめぐる検察とマスメディアの一連の報道の関係をみても、わかるでしょう。検察というのは、メディアを手玉にとってやってきた自負もあるところです。従って、今回の話についても、某大手新聞の論説委員とか、司法担当記者やマスメディアの上層部の人たちとは、ある程度「もみながら」やってきているのではないでしょうか。
今回の刑場の公開について、メディアは賛成でしょう? 報道できた方がいいわけですから。でその後の展開についても、法務省はこのように考えていると思います。死刑の刑場を公開すると、死刑への信頼と支持がより強まる。裁判員制度で選ばれた裁判員が自信をもって死刑判決を出せるようになる、とね。実際、裁判員制度において、死刑判決はまだ出ておらず、死刑求刑もない。現状はその手前で引いているわけですからね。
───刑場公開したら、国内では死刑制度支持が強まる?
僕が過去に刑場に入った時の印象を言うと、そこは、一種の完成された空間でした。人間の死、命を奪うという究極の殺人行為が行われる場所ということを感じさせないで、法の名のもとに、正義の実現であるかのごとく、人間の命を粛々と消していく場所。そしてその執行については、みんなが重い気持ちにはなるけれども、自分がやった、というふうに背負わなくてもすむ仕組みがきちんとできている。要するに、よく考えられているわけですよ。(刑場の図は こちらのサイトにあります)
刑場に一緒に見学に行った議員さんの中にも、「いい体験をした。厳粛な気持ちになった。感動した」という感想を述べていた人がいましたね。刑場を見ると、妙な感動をする人がいるのです。「国家が国家の名の下に、死刑を執行する特別の場所に入れた」ことについての感動と、組織として死刑執行という難行に立ち向かっていく人たちの大変な労をねぎらいたい、というような気持ちになるわけです。
刑場が公開されたら、そこにテレビカメラが入ったら、メディアではすごい扱いになるでしょう。そうすると、これは100%言えることですが、被害者遺族は、死刑執行が見たい、と言い出すでしょう。それは被害者遺族の権利であると主張するかもしれません。すると、モニター中継とかで見せるという話になるでしょう。
被害者遺族が死刑執行を見届けるということが一つの「てこ」になって、死刑執行が停止できにくくなるでしょう。もう一つは、国民もいくらか見たいと言い出すでしょう。鳩山邦夫さんが法務大臣の時、死刑の情報公開として、執行された人を発表するようになりました。この時、メディアでは、事件についての検察の起訴状に描かれた事件概要とともに、発表するようになりました。伝えられるのは事件と執行のことだけ。死刑囚がどのようにその間を独房の中で送ってきたか、仏画をずっと書いていたかもしれないし、何百通という謝罪の手紙を書いていたかもしれない、そういうことはいっさい報道されずに、事件のことと、執行した事実だけが伝えられるのです。
もしかしたらこれからは、死刑執行がある朝には、NHKなどで刑場だけの映像をながして、重々しく執行を発表とするというような、特別番組が朝10時とかから始まるかもしれない。そうなるとみんなそれを楽しみにし始めるのではないでしょうか。人間の深層心理として、古今東西、殺されるところがみたいわけです。そうなると、千葉大臣の今回の執行、そして刑場の公開は、「死刑廃止」という議論が、あと2、30年はどこ吹く風といったようになるのではないか、少なくともマスコミはそう動いていくのではないか、という読みが、法務省刑事局にあったと思います。
今話したことは、「真夏の夜の悪夢」に終わればいいのだけれど、刑場が公開されたところで、「死刑制度、これでいいのか」という議論がこの国で高まるとは、とうてい思えないのです。なぜなら、先日も今みたいな話をテレビ局の取材で30分ぐらい話したけれど、使われたのは8秒ぐらい。マスメディアは、法務・検察がやろうとしていることを、疑ったり問うたりすることことはダメだと思っているんですね。以前、明日死刑が執行されるようだというリークがあって、それについて私たちが抗議声明を出し、それをいくつかの新聞が記事に書いたことがあった。そうすると、なんと記者クラブの方から、クレームがついたんです。「これは死刑執行への妨害ではないか」と。
ですから今回の「刑場公開」も、法務省にとっての理想的な形で行われるだろうと思っています。唯一彼らが描いているシナリオが崩れる可能性は、フリーランスの記者が入り、また海外メディアが入るなどして、BBCなどで世界に配信される時でしょう。国連の人権理事会にも加盟して現在理事国でもある日本が今も絞首刑をやっているというのは、「人権」という観点から見たときに大きな驚きであり、国の信用を落とす要因になると思います。
「8月中に勉強会と刑場の公開」を記者会見で明言した千葉大臣ですが、勉強会は、法務省内でのもので、そのメンバーは刑事局、矯正局、保護局の関係部局の局長を中心としたもの。
また、取材のオープン化が望まれる「刑場の公開」についても、フリーライターの畠山理仁さんが、毎日のように電話で問い合わせをしているようですが、今のところオープン化には極めて消極的。
(そのもようは、ツイッター@hatakezo で知る事ができます)
これでは、保坂さんの言うように「法務省の思い通りにするための、勉強会であり刑場公開である」
ととられても仕方ないのではないでしょうか?