鎌仲ひとみ監督最新作『小さき声のカノン』 座談会
“お母さん”のネットワークで、
私たちもできることから一歩ずつ!
『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチの羽音と地球の回転』など、震災前から核・被ばくをテーマに映画を撮り続けてきた鎌仲ひとみ監督。
最新作『小さき声のカノン』では、福島第一原発事故後の福島で、そしてチェルノブイリ原発事故後のベラルーシで、子どもたちを被ばくから守りたいと行動する母親たちの姿を映します。福島で暮らす、自主避難する、定期的に子どもを保養に連れ出す…葛藤を抱えながらも、それぞれの選択の中で、子どもを守ろうと頑張っている母親たちの姿を描いた作品です。
東日本大震災から4年経ったいま、この映画から何を感じるのか――東京に住む3人のお母さんたちに映画を観た感想をうかがいました。
●益岡潤子さん(写真右)この映画を応援する“カノン・サポーター”の一人。「カマレポカフェ」(※)も開催。仕事をしながらできる範囲で、子どもの被ばくに関する勉強会などにも参加している。3歳になる娘がいる。
※「カマレポカフェ」:『小さき声のカノン』の製作過程で撮影した取材レポートをまとめた映像「カノンだより」を上映して、放射能や被ばくなどをテーマに参加者同士でおしゃべりをする会。
●茂木さゆりさん(写真中)益岡さんとは、2歳の娘の保育園が同じ。「子どもが生まれて食品に気をつけるようにはなったけれど、こうした映画や書籍を読むまでニュースの情報を全然疑っていませんでした」
●高野展子さん(写真左)震災直後は、沖縄への移住も頭をよぎったものの、「時間が経つにつれて、気にしなくなってきていた」という高野さん。小学6年生と3年生の男の子を子育て中。
――まずは、映画を観た印象を教えてください
茂木:この映画を観るまで、自主避難や被ばくの問題って、どちらかというと他人事だったんです。でも、映画を観て、もともとは普通の暮らしをしているお母さんたちが、事故によって突然さまざまな選択を迫られていたことに驚きました。自分も同じ立場になる可能性があるんだなって初めて思いました。
高野:のど元過ぎれば…じゃないですが、震災のことが、いつの間にか気持ちのなかで風化していた気がします。事故直後は移住を考えたくらい危機感があったのに、いつの間にか「もう放射線量も落ち着いて、大丈夫なんじゃないか?」という気持ちでいました。でも、現在進行形でお母さんたちの闘いは続いていたんですね…。
映画のなかで、二本松市に住むお母さんが「避難しても残している人に申し訳ない。避難しなければ子どもに申し訳ない」と言っていましたが、避難したくてもできない人も大勢いるのだと知りました。それと、つながりのあるお寺同士とはいえ、他県からいまも野菜を送り続けてもらっているのはすごい。支え合う人たちとの絆の深さも感じます。
益岡:震災をテーマにしたドキュメンタリーって、恐怖をあおられるようなものも多いけれど、この映画は観終わったときにすごく希望がもてました。頑張っているお母さんたちの姿に、「私も何かしなくちゃ」と思わせられた。お母さんだけでなく、子どもをもつお父さんにも観てほしい。映画の中にも悩んでいるお母さんがいましたが、こういう問題って夫が理解してくれないことが多い。お父さんが分かってくれたら、もっと物事が進むんじゃないでしょうか。
福島県二本松市で400年の歴史をもつ寺の住職の妻、佐々木るりさん。震災後、一度は母子避難をしたものの、家族一緒に福島で暮らすと決めた。(c)ぶんぶんフィルムズ
茂木:そうなんですよね。私は原発の再稼動に反対ですけど、夫と話をすると「危険だとわかっていても一度知ってしまった技術を手放すことは難しい」と言います。もう一度事故が起きたら大変なことになると言っても、「原発をゼロにするのは不可能だ」と。「いやだ」とは思っているのに、どこかあきらめている感じがあるのは、なぜなんでしょうね。
益岡:それって、あきらめというか、「自分が何か変えよう」とは思っていないからじゃないかな?
高野:私は、原発ゼロにしたときにいまの生活を保っていけるのかな、という不安もあるんです。原発事故のニュースを見ているから、子どもたちも「原発はこわい、いやだ」と言いますが、自分たちの生活スタイルが原発につながっていることまでは想像できていない。震災前から、子どもたちにはエネルギーの無駄づかいをしないように言っていましたが、そういう普段の生活の見直しも必要ですよね。
茂木:3・11の直後、街が暗くなったり、動いているエレベーターの数が少なくなったりしたけれど、あのままでも別に大丈夫だったなと思います。いまは原発が一基も動いていない状況だし、再稼動しなくても本当はやっていけるのではないのでしょうか。
保養先の屋外で、久しぶりにのびのびと遊んだ子どもたち。夜になっても、避難のこと、給食への不安など、お母さん同士の相談は尽きない。(c)ぶんぶんフィルムズ
――職場やまわりの友達と、原発や放射能の話をすることはありますか。
茂木:周りの友だちとは、原発事故関係の話はしないですね。震災時に、関東でも線量の高い地域に住んでいた友人がいます。彼女は放射能について気にしていて、周りのお母さん友だちにもそういう心配を話していたら、次第に距離を置かれたそうです。持ち家があって、その地域から簡単には離れられないお母さんたちもいるんですよね。原発事故は、人間関係にまで大きな影響を引き起こしていると思います。
益岡:震災後しばらく九州の実家に帰っていましたが、職場に戻ってもそういう話をする機会はほとんどなかったです。でも、「カマレポカフェ」を始めてみると、「私も食べ物のことが気になっていた」と参加してくれる同僚がでてきました。保育園の同じクラスのお母さんも数名が参加してくれています。
カマレポカフェは、『小さき声のカノン』製作中の映像の上映会とお話会のセットです。いろいろなテーマで話をしているのですが、初めて開催したときに参加者の1人から「放射能に関しては、親しい人との会話でも“相手を否定する”空気が生まれがち」という意見がありました。たとえば「西の野菜しか食べない」という人に、「私は検査していれば食べるけど」とは言いづらい。その人は「でも、このカマレポカフェではそういう空気がなくてありがたかった」と言っていました。ほかの人の意見を否定しないという姿勢は大事。いまは、「Pecha Kucha CAFE」という名前に変えて、自然エネルギーや憲法についてなど、広いテーマでみんなと話し合う機会をもっています。
――子どもたちを線量の低い地域に一定期間滞在させる「保養」など、ベラルーシでの取り組みも紹介されていましたが、どう思いましたか?
保養前にホールボディカウンターでの検査を受ける、ベラルーシの子どもたち。ベラルーシでは、年間4万5千人の子どもが国家予算で国内保養に出ている。(c)ぶんぶんフィルムズ
高野:きちんとした施設があり、一人ひとりにあわせた治療も受けられて、ベラルーシの保養制度は日本よりすごく進んでいるんですね。保養は効果がありそうだし、できれば自分の子どもも参加させたい。日本でも民間団体が支援していましたが、そもそも保養の存在自体を知りませんでした。それに、保養に出ているベラルーシの子どもだけでなく、日本の関東でも足の骨が痛いとか、鼻血が出たとかいう子どもの話が出てきたことにもビックリしました。被ばくとの関連性を科学的には明確にできないから、ニュースに出ないんでしょうけれど、初期被ばくをした子どもたちにどんな変化が起きているのでしょうか?
茂木:「住民に情報を隠すのはしてはならない。それは犯罪だ」と、ベラルーシの方がはっきり仰っていました。それって当たり前のことですけど、日本では真逆。「ベラルーシの(検診バスによる甲状腺スクリーニングの)移動診察の仕組みは、日本がつくったものなのに、なぜいまごろ日本の方に質問されるのかわからない」と話していたのが本当にショックでした。政府の情報をなんとなく信じて暮らしていましたが、海外では全然違うルールで動いているんだと知りました。
益岡:なんで同じことが日本で出来ないんでしょうか。福島のことや放射能のことへの、国の優先度が低いような気がします。もっと関東も含めた子どもたちの検査や保養などに力を入れてくれたらいいのに。子どもを保養に連れて行きたいけど、私も夫も働いているので、自分たちだけで2週間も仕事を休んで子どもを連れ出すなんて無理です。国の制度として決めてやってほしい。
高野:費用もかかるし、個人で実行するのは難しいですよね。子どもは国の宝。保養にはみんなを行かせてあげたい。
――震災後に避難していたけれど、学校の始業にあわせて戻ってきた理由について「少数派になるのはこわい」と話していたお母さんがいましたね。
高野:その気持ち、すごくわかります。不安があっても、学校が始まったら「行かせなくちゃ」と私もきっと思います。給食も食べさせてしまう。「大丈夫だといっているから、きっと大丈夫だよね」って…。でも、もし基準値以下でも、高い数値が出ているのを実際に見たら考えてしまうかもしれません。
茂木:震災後、「これくらいの線量なら被ばくしても大丈夫」と大学の教授などがメディアでさかんに言っていましたよね。TVやニュースだけを見ていると、「そうなのかな」と思ってしまう。私も本や映画などから自分で情報を得るまでは、そうした情報を全然疑っていませんでした。でも、いまは「本当にそうなの?」と思うようになりました。
益岡:ベラルーシでも、日本と同じように、「最初はここに住んでも安全」と言われていたというエピソードが出ていました。でも、実際には子どもたちに異変が起きて、スモルニコワさんのような小児科医たちが活動を始めたんですよね。
慈善団体「チェルノブイリの子供を救おう」代表で小児科医のスモルニコワさん。強制避難した家族を長年診察し、子どもたちを海外保養に出す活動を続けている。300人もの地域ボランティアが活動を支える。(c)ぶんぶんフィルムズ
高野:科学的根拠がないと言われても、本当のところがよくわからないからこわいですよね。
益岡:福島以外の子どもたちに対しても、甲状腺検査や尿検査に補助をつけて実施してほしい。検査で数値がわかれば、少しは不安を減らすこともできるんじゃないでしょうか。
――映画の最後に、スモルニコワさんから「日本のお母さんたちも、出来ることからやってください」というメッセージがありました。
二本松市に住むお母さんたちが有志で集まる「ハハレンジャー」。他県からの野菜の無料配布や通学路の除染など、子どもを被ばくから守ろうと自分たちで集まり活動を始めた。(c)ぶんぶんフィルムズ
茂木:大きなことはできないけど、もっとまわりのお母さんたちと原発のことでも政治のことでもフランクに話せるようにしていきたいなと思いました。この映画は、観終わったあとに元気をもらえるし、ポスターも可愛くて、他の人にもおすすめしやすい。映画を観て、二本松市のようなお母さんたちの状況を知らなかったことに、すごく申し訳ない気持ちになりましたが、頑張っている姿に元気ももらいました。映画の前売り券を友だちに配ってすすめているのですが、いろいろな人に観てほしい。
高野:日々の被ばくから子どもを守るのは大変だし、もし数年後に子どもに何かがあったらお母さんはつらいだろうし、複雑で重い問題だと思います。避難した人、できない人、それぞれいろいろな事情があって、どの選択にも正解がないですよね。自分自身は、「選択」をしないで、なんとなく暮らしてきたような気がします。この映画を通して、いまも闘っている人たちの現実を多くの人に知ってもらいたい。お母さんたちを支える輪が広がって欲しいと思います。
益岡:自分たちで除染したり、汚染されていない食品を集めて配ったり、二本松市のお母さんたちの「ハハレンジャー」の活動は本当にすごい。東京でも同じことが出来るかもしれない。私自身は、カマレポカフェやPecha Kucha CAFEのようなイベントを開き、勉強会などにも参加することで、同じ考えをもって活動しているお母さんたちに出会えました。いまは、どんどんネットワークが広がっている気がします。子どもの給食の検査など、不安に思っていることがあってもどうしていいかわからなかったけど、行政への申し入れなどをしているお母さんたちからノウハウを学んでいきたい。理解のある地元議員を応援するなど、私もできることをやっていかなくちゃと思いました。
座談会の最後に、鎌仲監督を囲んで。
『小さき声のカノン』
監督:鎌仲ひとみ 配給:ぶんぶんフィルムズ
シアター・イメージ・フォーラム(渋谷)、フォーラム福島(福島市)ほか、全国で順次公開。→公式サイト監督プロフィール)鎌仲ひとみ(かまなか・ひとみ)映像作家。90年に最初の作品『スエチャおじさん』を監督、同年文化庁の助成を受けてカナダ国立映画制作所へ。帰国後はフリーの映像作家としてテレビ、映画の監督をつとめる。2003年にはドキュメンタリー映画『ヒバクシャ ―世界の終わりに』を監督。2006年の『六ヶ所村ラプソディー』は国内外800ヶ所で上映。2010年『ミツバチの羽音と地球の回転』は、全国700ヶ所での上映に加え、フランス・ドイツ・オーストラリア・インド・アメリカ・台湾など海外でも上映。2011年度全国映連賞・監督賞受賞。2012年にDVD『内部被ばくを生き抜く』発売開始。著作に『原発のその先へ ミツバチ革命が始まる』『六ヶ所村ラプソディー ドキュメンタリー現在進行形』、共著に『鎌仲監督VS福島大学一年生』『今こそ、エネルギーシフト』『ドキュメンタリーの力』『内部被曝の脅威』など。→公式サイト
放射能や被ばくに関して「正しい情報がわからない」という率直な不安を語ることが、どうしてこうもタブー視される社会になったのでしょうか。あれから4年たつ今も、闘い続けている多くの母親たちがいます。その重荷を個人だけに背負わせ続けてはいけないと思っています。
※この映画にも登場する二本松市の佐々木るりさんに、2013年6月の「この人に聞きたい」のコーナーでインタビューをしています。映画とあわせてこちらの記事もぜひご覧ください。