会の立ち上げを
フェイスブックで呼びかけたわけ
――まず「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」は、どのような経緯で設立されたのでしょうか。会の立ち上げを呼びかけた岩下さんから、お話しいただけますか。
岩下
ここ数年、中国や韓国を敵視したり揶揄したりする書籍が書店に堂々と並べられるようになって、今や「嫌韓嫌中」本は何万部も売れるひとつのジャンルとして確立しています。そうした現状がさすがに度を越していると感じ、出版業界の内部から「これでいいのか?」と問題提起をしたいと思ったのが、今年の2月くらい。周囲の人に声をかけたりしているうちに話がまとまってきて、フェイスブックページ開設が3月の中旬です。3月29日に行った最初のミーティングが正式の立ち上げになるかと思います。
メンバーとして活動しているのは、おおよそ20人。出版社の社員、編集であったり、営業であったり、その他には小さな出版社の経営者、書店員さん、フリーランスの編集者やライターもいます。
――出版業界の中で会を立ち上げるにあたって、フェイスブックで呼びかけたわけですね。口コミではなく、SNSを使おうと思ったのはなぜですか。
岩下
当初から業界としての動きにするのと同時に、世論の後押しが欠かせないと考えていたので、ネットと現実の活動が並行してあるべきだと考えていました。もともと面識のある範囲を超えて広がっていくことを目指すには、ネット上の拠点が必要だろうというのがありました。
もうひとつは、ネット上で目的がはっきりした会の名前を掲げれば、きっと賛同してくれる人たちがいるだろうと考えたからです。というのは、僕自身がもしそういう会ができれば、絶対に賛同すると思っていましたので。それで、まずは簡単にできるフェイスブックページをつくってみたところ、即座に「いいね!」が1週間で500くらいいったので、これはニーズがあるな、と。
――真鍋さんと森さんのお二人は、どういうきっかけでこの会に参加されたのでしょうか。
真鍋
僕の場合、まさにフェイスブックがきっかけです。3月に会のフェイスブックページを見たら、岩下さんが関わっていることがわかった。岩下さんとはずいぶん前にどこかでお会いしていて、お名前は覚えていたので、すぐに「参加したい」と伝えました。
森
私はSNSではなく、リアルなところでのつながりです。出版業界内で出版社の人にとどまらず、取次(※)、書店、印刷、製本、デザインの方などが集まって交流する懇親会に参加しています。それで岩下さんとはもともと面識がありました。2月に行われたある講演会で岩下さんにお会いしたときに、「こういう会を立ち上げたい」というお話を直接聞いたんです。
そのときに私は、書店がこれほどひどい状態になっていることに気づいていなかったんですよ、恥ずかしいんですが。本屋さんに行くのは、目的の資料を買うためだったり、文芸書の棚に行くくらいでしたから。それに、SNSを利用していなかったので、ネット上の動向にもきわめて疎かったんです。だから岩下さんのお話を聞いて、「ええっ!」とビックリして、あらためて大手書店の棚をしみじみ眺めてみたら、隣国を貶めるようなタイトルの本があっちにもあり、こっちにもあり、そっちにもありで、「ああ、これはよろしくないな…」と思ったのが、参加を決めたいきさつです。
※取次……出版取次。出版業界独特の流通形態として、製造者(出版社)と小売(書店など)をつなぐ問屋の役割を担っている。出版社は書籍や雑誌を取次に納品し、取次から全国の書店に配本される。全国の出版取次会社は約100社。
「嫌韓嫌中」本は
いつから伸びだしたのか
――森さんは「書店の状態に気づかなかった」ということですが、岩下さんと真鍋さんは、「嫌韓」や「嫌中」を掲げた本の売れ行きが伸びるのをいつ頃から認識していましたか。
岩下
いつ頃とははっきり言えないのですが、『マンガ嫌韓流』(山野車輪著、2005年刊)や『国家の品格』(藤原正彦著、2005年刊)あたりから、「保守的」な言説の書籍がベストセラーになったことは何度かありましたよね。そして、櫻井よしこのような「論客」がつぎつぎ本を出す流れの中で一定のジャンルとして成立して、現在まで進んできたんじゃないでしょうか。
真鍋
僕は、1993年から96年に週刊誌の編集部にいたので、「南京大虐殺の嘘」とか、小林よしのりの『戦争論』とか、「新しい歴史教科書をつくる会」などを検証する記事をよくつくっていたんです。だから、いわゆるナショナリズムの台頭という意味では、そのあたりからずっと関心はもっていました。ただ、ここにきて一気に噴出したなという感じはしますね。
岩下
20年かけて、段階的にフェーズが進行してきたんでしょうね。街頭でのヘイトスピーチが過激化するのと並行するように、大手出版社が「嫌韓嫌中」本を出しても許容される空気ができてきて、右派と言えるような思想性がないものも含め、社会全体が何となく排外主義に傾いているのが、この1、2年の顕著な傾向ではないかと思います。
――そうした現状に歯止めをかけるべく、会の立ち上げから現在まで、どのような活動をされてきたのでしょうか。
岩下
最初のミーティングでは、どういう活動をしていこうかと話し合うことから始めました。まずできることとして、出版界の中で賛同者を広げることと、シンポジウムを開こうという話になりました。
そこで、会の趣旨を書いた文書を公開して、ネット上で賛同者を募ることになったんです。賛同者は「出版に関わる仕事をしている人」という条件付きだったのですが、最終的には700筆以上集まりました。それによって、「出版関係者にも憎悪や差別を煽る傾向を危惧する人がこれだけいますよ」ということを可視化できたと思っています。
そうしたネット上の活動と並行して、7月4日には、出版労連(日本出版労働組合連合会)との共催で、“「嫌中憎韓」本とヘイトスピーチ――出版物の「製造者責任」を考える――”というタイトルのシンポジウムを開催しています。関東大震災のときの朝鮮人虐殺について書いた本『九月、東京の路上で』(ころから刊)の著者加藤直樹さんの講演と、出版関係者によるディスカッションを行い、立ち見も出るほどの盛況でした。
そして、その内容をまとめた本が『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』(ころから刊)としてまもなく出版されます。
自分の仕事との
折り合いのつけ方
――皆さんは本業の仕事をしながら、会の運営にも参加されているわけですが、普段は会社でどのような本をつくっているのでしょうか。
森
小さいですけれど総合出版社なので、写真集とか、子ども向けの写真絵本とか、テレビ番組とタイアップの本とか、エッセイ集、歴史の本、経済学の専門書なども。何でもやっているものですから、説明するのは難しい(笑)。それでも、憲法が生かされた、よりフェアな社会づくりに貢献できるような本をつくりたいなとはいつも思っています。
真鍋
僕の場合は、主に日本近現代史の本です。書店では、ほとんど人文書の棚に置かれる本ばかり。それも、まさに「嫌韓嫌中」本の歴史認識からいえば、対極に位置するものが多いですね。近刊は、日露戦争開戦当時の「定説」を問い直す本で、これなんか司馬遼太郎の『坂の上の雲』が好きな人はたぶん激怒するでしょう。「暗い昭和」ならともかく、「明るい明治」を批判した本を買ってくれる読者は本当に少ないので、「読者が少ないところを狙ってどうするんだ」と思いながら、せっせと本をつくっています(笑)。
岩下
僕は逆に、その時々に話題になっているところに飛びつくタイプの編集者です(笑)。自分で企画を立てるようになった2005年頃から、ちょうどゆとり批判、若者バッシング、ニート批判といった流れが出てきた。そんな風潮に反発を感じていたので、当時はそこが自分の本づくりのフィールドだと思って何冊かつくりました。
しかし、そんな若者論ブームも消費し尽くされて、2009年頃から一気に鎮火しました。どうしても編集者として売れるか売れないかの判断をしますから、もうこのジャンルは伸びない、とわかってしまう。追い続けなければいけないのに、読者の関心の低下が見えてしまうし、自分の中でもモチベーションが落ちていく。そういう経験をしているので、出版界のあり方がおかしいんじゃないか、何でこうなっちゃうのかなとずっと考えています。
左から、森さん、真鍋さん、岩下さん。
――活動をしていく上で、出版関係者であるがゆえの悩みは何かありますか。
森
最初のミーティングのときに、会のコンセプトとして、「ああいう本はいけないよ」といわゆるヘイト本に反対の立場を表明することに対して、「それは違うんじゃない?」という意見が出ましたね。つまり「反対することで現状を変えられるのか?」と。より広い支持を集めるには、声高に「反対」と言うよりも…。
岩下
ラブ&ピースみたいな(笑)。そういう意見も出ることは、僕もあらかじめ予想はしていました。立ち上げのときにいろいろな人に、特に若手中心に声をかけたのは、はじめから方向性を共有した人の集まりにはしたくなかったからです。デモなどに積極的に参加していない人でも、興味をもってくれそうな人には声をかけました。結果的に、大手から中小まで、勤めている会社の規模や傾向にかかわらず、さまざまな人が参加してくれました。
だから、集まったメンバーも「ああいう本はけしからん」という意識を完全に共有している人ばかりではなかったんです。たとえば『永遠の0』を読んで泣いた人を批判できるのか? とか、特定の雑誌や出版社を名指しで批判するのか? といった疑問も出ました。それも一理あります。でも、だからといって「ヘイト本よりも、もっといい本を読みましょう」と言うだけでは現状を止められないし、何より差別を受ける人たちが傷つくのを放置していいのかという意見もあって、方向性については最初にかなり議論しました。
「嫌韓嫌中」本と
表現の自由との葛藤
森
それと、出版関係者として「反対」を表明する場合、表現の自由との関係は必ず指摘されることで、この問題についても「会」としてどう考えていくのか、という葛藤があります。表現の自由の問題は、社会的にこれからコンセンサスをつくっていく課題ですし、私たちもこの半年間で走りながら勉強しているところです。
ただ、これまで会のメンバーで議論をしてきて言えるのは、路上で展開されているヘイトデモのように、誰が見てもすぐに「ヘイト」と認識できるものと、出版物とは違っているということですね。「ヘイト」かどうかの線引きが、出版物の場合、非常に難しいです。煽情的なタイトルの本や週刊誌の見出しもありますが、他国の政治、経済、社会の論評や歴史書の体裁だったり、いわゆる愛国本だったり、もっと裾野の広い、あるいは歴史修正主義にからむ深層の問題だと思います。
国連自由権規約委員会が7月24日、日本政府にヘイトデモの禁止や犯罪者の処罰等を勧告したことで、ヘイトスピーチ規制に注目が集まっていますが、出版物についてどういう対応の仕方がありうるのか、まだまだ議論の途上ですよね。『NOヘイト!』の中で、弁護士の神原元さん、社会学者の明戸隆浩さんに寄稿していただいていますが、私たちも引き続き議論を深めたいと思っています。
真鍋
僕は書店で平積みされている「嫌韓嫌中」本を見るたびに、「自分だったら、編集者としてつくれるのか?」と自問自答しています。自分だって組織の中にいたら、つくらざるを得ない状況になるかもしれない。だから、この会に参加しようと思ったのは、出版に携わる者としての、怖さとか、良心の痛みとか、後ろめたさというような、内面を刺激するような動きをしたいなと思ったわけです。「嫌韓嫌中」本をつくっている版元に、「こんな本、つくっちゃダメだ!」と言ったって逆ギレされるだけで、「食べて行くためには仕方ないだろう!」と言われたら、何も言えなくなってしまう。みんな、この出版不況の中で、お金を稼ぐために必死で働いているんですから。
しかし、そうは言っても、隣国への「憎悪」をまき散らすような本を自宅に持って帰って、自分がつくった本だと子どもに見せられますか?──そんな問いかけを、会の活動を通して発していきたいと思っています。
岩下
真鍋さんがおっしゃったように、生業にしているのは大きいですね。誰しも、自分が正しいと思う仕事で食えているわけではないし、所属する組織のなかで異議を唱えることは難しいです。だけど、誰もが「本当はこんな本は出したくないよ」と思いながら「でも売れるから仕方ないんだよね」と言い訳しながらつくった本が、結果的に差別や戦争を誘発してしまうとしたら、あまりにバカバカしい。
ただ、自分も例外ではないことは自覚しているんです。僕のいる会社は、差別や民族対立を助長するような本は出していない。それでも企画会議では「これは面白いんだけど、難しすぎる」とか「もっと売れそうなタイトルをつけようよ」とか、「ちょっと煽りが入ってるけど、帯文句だからいいよね」とか、そういうことは仕事上やっている。それは「嫌韓嫌中」本のつくり方と何ら変わらないんですよね。
と思うと、そうした本をつくっている編集者の気持ちもわかる気はします。好き好んでつくっているというより、「いい本」だけで産業が存続できるというようなキレイゴトを言えないのが今の出版業界です。
だから、議論もありましたけれど、会としては「ダメなものはダメ」と言いつつ、同じ構造の中にいる者として「そこは踏みとどまりましょうよ」と。奥歯に物の挟まったような言い方になっちゃうんですが、そういうスタンスで呼びかけています。
――呼びかけが広がってきている感触はありますか。
岩下
幸い、早い時期から複数の新聞記者が関心をもってくれて、7月のシンポジウムの後などもあちこちで記事にしてもらいました。フェイスブックページへの「いいね!」は10月で3000を超えています。ヘイトスピーチに関心のある人たちには、こういう会があることはだいぶ知られるようになってきていると思いますが、そうではない同業者への浸透は、まだこれからですね。
真鍋
会の活動を広げるには、営業の人間に働きかけることも必要ですね。版元の営業のほうが横のつながりがあって、よその版元は何をやっているのかを知っている。僕ら編集者は対著者だけの仕事ですけれど、営業は横断的に仕事をしていますから。
森
営業の人たちは書店さんや取次の方ともお付き合いがありますし、営業、取次、書店は売れる売れないをじかに見ている人たちですものね。
岩下
ただ、営業は編集よりも、もっと好き嫌いが言えない職種だと思うんです。書店に行って「この本を置かないでくれ」とか「この本は嫌い」という話はできませんからね。だけど、売り場の現実を知っているのは営業なので、彼らの力を借りて売り上げデータなどから、ヘイト本がどういった層にどの程度売れているかの分析もしてみたいですし、どう伝えれば賛同してもらえるのかも考えていかなくてはいけないでしょうね。
(構成・写真 マガジン9)
出版社も書店も売れないので心ならずああいう内容に走る、すると一定量売れるので麻薬みたいなもんらしい、とは聞いてましたが、すみません。かくいう私も中古本しか買えないような経済状態に陥り、出版不況を猛烈に後押ししてる一人です。貧乏が悪いんねえ。マトモな本ならなるべく新刊買うからさぁ、麻薬とは手を切りなさいよ、とずっと思いながら現実はなかなか。
毎日に載ってましたが30日に出るという一冊は意地で買いますよ、えっへん(←いばる程でもない安いお値段)。たぶん良心的な出版人の方もおおぜいいらっしゃるのだろうと思ってはいましたが、目に見える行動に移られて嬉しいです。
しかし出版の側の方の矜持の問題と別に、大衆の側がここまで愚劣な(笑)内容を待望してることに引き続き絶望してるんですけども、戦前の日本も国の強制というより、一般大衆の中に愚か者がたくさんいて、喜び勇んで自慰にふけり過ぎた結果ああなっちゃったのがわかった気がします。ぜんぜん利口になってねえじゃん、日本人。
違うのは今回は皆さんのような方がいる点で、私もいずれ金持ちになり出版社ごと二三社買い取るとしましょうか。どうかその日までグッドラック。
早く「その2」が読みたいです。勇気づけられました。AZ@教育関係者
出版不況がどうこうは建前であり、真に問われるのは「政治的」理由で表現の自由を規制できるのか否かであろう。
例えば真鍋氏は価値観の異なる人々の一部から激怒されるような、「明るい明治」を批判する表現に携わっている。そして岩下氏は自身の表現で他者の心情が傷つく事に配慮などはせず、「表現の自由」を目一杯活用している。
ならば韓国人の心情が傷つこうが、「表現の自由」を目一杯活用して「嫌韓嫌中」本を執筆しても構わないし、そもそも真鍋氏のような編集者に自身の表現を規制する資格は無い、という反論が当然出るだろうし、単純な筋論からすれば真っ当と言わざるを得ない。
それに「ラブ&ピース」で対抗するならば矛盾は生じない。
ところが真鍋氏らは「差別や戦争を誘発させない」という「政治的」理由から、出版業界に規制を設けようとしているのである。
一見、正しいようにみえるが、根本的なスタンスに真鍋氏らは矛盾を抱えているのである。
名前をもうちょっとどうにかした方がいいんじゃないかと思ってます。
この会のfacebookのページなどを見ると、あくまで反嫌中・反嫌韓をやりたい会なのだと感じます。一方で「ヘイトスピーチ」や「排外主義」には、性差別や国内の民族問題など、嫌中・嫌韓の他にも様々な問題が含まれているはずです。この会はまるでヘイトスピーチや排外主義すべてに反対するかのような名前を掲げていながら、嫌中・嫌韓以外を無視しているように私には見えてしまいます。言い方は悪いですが、ヘイトスピーチを差別しているように見えるのです。
単に反嫌中・反嫌韓というシンプルな主旨であり、それが徹底されているなら賛同したいところです。賛同者の一覧の中に、「あれ?この人が日頃してる発言は「嫌韓嫌中」ではないけど十分にヘイトじゃないの?」と思うような人がいます。単に反嫌中・反嫌韓の会ならそれで構わないのですが…。
具体的に,嫌韓中本のここがヘイトスピーチ的だか指摘しないと,自分が単に気に入らないから,ヘイトスピーチとレッテルを貼っているようにしか見えません。出版関係にいるんだし,実際本出す人もいるんだから,ここがおかしいっていうのを出版することで対抗すればいいんじゃないでしょうか。
嫌中・嫌韓本を全面に出している書店を見かけると、気分が悪くなるので、気分が悪くならない本を上に置いたり前に置いたりして溜飲を下げています。
書店の方々の仕事を増やすのは気が引けますが、私なりのデモのつもりです。