2013年7月18日は福島県の鮫川村に行ってきました!(正確に言うと、17日夜にいわきに行って泊まって、早朝からいわきのママに連れてってもらい、鮫川村に。遠くて自力じゃ行けなかったんです…)
鮫川村に、10,000ベクレル/kgを超える高濃度の放射性廃棄物を焼却する、「仮設」焼却炉が作られてしまい、その確認運転が始まったのです。
10,000ベクレル/kgを超える農林業系廃棄物の焼却炉の実証事業は世界で初めてなんですって。なのにさ! 民家と1kmしか離れていないの!
その「1kmしか離れていない」おうちに住む土手内進くん(33歳)には1歳2か月の娘ちゃんがいます。
「何かあったら、誰が責任とってくれるの? 原発事故でさえ、誰も責任とってないのに。うちは1kmしか離れてなくて、谷づたいに煙がくる位置なんだよね。うちの子になんかあったらどうすんの? 何かあってから、責任とるっつっても、どうしようもないよね」
お話をしてくれた土手内くん。
7月16~18日に確認運転をし、その結果をもって8月半ばから20か月間焼却し続けます。焼却灰はセメント固化して、一次保管場所に置くそうなんだけど、その後どうするの? と、18日のメディア公開の取材において、環境省の方にぶら下がって質問しました。
「その頃には最終処分場は決まってるんじゃないですかね、だからたぶんそちらに移すと思いますよ」
えぇ? 見切り発車?
その後、改めて、環境省の指定廃棄物チームに取材しました。やっぱり回答は同じ。
「20か月後には焼却場は撤去することになっています。なので、一次保管場所の焼却灰は、管理型の最終処分場が確保されしだい、そちらに移すことになるでしょう」
――でも、現時点で、最終処分場は決まってませんよね?
「そうですね、でも20か月後には決まってると思いますよ」
***
うーん? 強引に最終処分場をどちらかに決めてしまう計画が進んでいるので、20か月後のメドがついているということなのでしょうか?
というのは、鮫川村の「仮設」焼却場はかなり強引にできたのです。
「鮫川村の実証実験焼却炉に反対し、子供を守るママの会」や「いわき 母笑みネットワーク」や鮫川村の土手内進くんや、同じく鮫川村住民の堀川宗則さんに伺ったお話、その他調べたことをダイジェストで!
はじめ、地元の方々に非公開で計画が進められ、その存在を知ったときは、すでに工事が着工していたのですね!
そんなことあるの? と思うでしょ。地権者にだけ説明をし、計画が動き始めたのです。
しかも、このときの説明は「焼却場」ではなく「仮置き場」。これが2012年4~6月の話。
10月に焼却施設の工事が始まり、同時に近隣の塙町、いわき市の人たちが気づいて動き始めます。鮫川村に公開質問状を出したり、市議会で質問するよう議員に働きかけたり。
12月にダイオキシン特措法などの手続きをしていないことがわかり工事がいったん中断。でも福島県が許可してすぐに再開。
1月に水道水源が焼却施設の下にあるいわき市が説明会を求めたり、2月にお隣の北茨城市の市長が「これだけ近隣住民の反対があっても続けるのか」と環境省に迫ったり。
で、再度工事が中断して、鮫川村長が「稼働は住民合意の上で」と明言し、2月3月と説明会を近隣各地で開くのだけれど、説明会は大荒れだったそう。
5月には、お父さまが建設予定地の地権者の一人である土手内くんが環境省へ即時撤回を求める申し入れ書を出すのですが、工事が再開してしまうのです!
土手内進くんの申し入れ書(クリックで拡大します)
6月末に、「鮫川村の実証実験焼却炉に反対し、子供を守るママの会」と環境ジャーナリストの山本節子さんが鮫川村に申し入れ書を出し、交渉するのですね。
そのとき、鮫川村は、全員の同意が必要なことを認識していながら、半数以上の地主の同意によって建設を認めてしまったのは、環境省の「示唆」によったことを認めたけど、その根拠は知らない、とのこと。すぐに根拠を確認するよう申し入れたけど、環境省から回答は無し。
そして7月! 焼却施設は完成して、確認運転が始まったというわけ!
ね、かなり強引でしょう?
環境副大臣(右)に要望書を手渡すところ。
7月18日の確認運転は5,800ベクレル/kgの稲わらを150kg、100ベクレル/kgの牧草を1350kg焼却しました。
そこに井上環境副大臣も視察に来られることが急きょ決まり、それを知った、地権者の息子の土手内くんと、地権者である堀川宗則さん(親子じゃないですよ)が、井上副大臣に、直接要請書を手渡したのです。
堀川宗則さん(58歳)にもお話を伺ったけど驚きましたよ!
「自分は、同意書に署名捺印していません。そのときの同意書は焼却場でなく、仮置き場だったけれど(これもヒドイ話! 仮置き場の同意書として署名したら、焼却場の同意書のことになっていた、という地権者の方もいらっしゃいましたよ!)、自分は仮置き場の同意書にも署名捺印していない。
しかし、全員の同意書があることになって、焼却場の建設が進められました。そんなはずはない、堀川宗則の同意書があるはずない、全員の同意書があるのなら、私の同意書を見せてほしい、と村に申し立てをしました。回答は、2週間後に『開示するかどうか通知』です。自分の同意書なのに、なんですぐに見られないの? しかし、私の同意書なんてあるはずがない。説明会にも一度も出席したことはないし、何も署名捺印したことはないんだから。偽造であれば、有印公文書偽造で訴えることも考えています」
宗則さん。
ないはずの自分の同意書の開示を村に求めたのは7月12日。2週間後というと7月26日ですね。もうすぐ。
でも、7月16~18日に焼却の確認運転が始まっちゃったんだよね!
宗則さんのお話を伺えば伺うほど、悲しくなりました。
「めちゃくちゃすぎて話になりません。人の土地にガラッと入ってきて、何の承諾も無くやれるんですか。今後、焼却炉は破壊してもらいたい。すぐに元に戻してもらいたい。ここは日本なんですか? 民主主義ってこういうことなんですか?」
堀川宗則さんの要請書(クリックで拡大します)
福島のTV局が、宗則さんにちょっと意地悪な質問をしていました。
「でも除染は必要ですよね? 焼却炉を破壊、とおっしゃるなら、その代わりどういう案がいいとお考えなのですか? 復興のためには除染が必要ですよね?」
宗則さんは少し考えておっしゃいました。
「あのねぇ、除染をどうやってやるか、そもそも必要かどうか、そこから考えねばダメでしょう。福島では、除染をしても、また線量が上がってしまったり、居住地を除染しても、近隣の山からまた放射性物質が降ってきたりしています。やっても意味がない、元に戻る、という声もある。
それでも、焼却場や仮置き場が必要なら、線量の高いところなどを候補地にすべきだ。(焼却炉が建設される)鮫川村の青生野(あおの)地区は線量がそんなに高くないんですよ」
土手内くんにも、いろいろお話を伺いました。
「なんで青生野に作るの? なんでこんな村の奥の端っこに作るの? 安全なんだったら村の中央に作ればいいじゃない、青生野は鮫川でも線量が低いんだよ? これじゃ東京に作らず福島に作った原発と一緒だよね?」
反対し続けている土手内くんは、今は鮫川村に住み辛くなり、村を出て、近隣の町にアパートを借りて住んでいます。
鮫川村の土手内くんのおうちも見せて頂いたけど、大きくて立派なおうちだったよ! でも、焼却場への道の入り口にありました。
「反対者は半分以上いたんだけど、一人減り、二人減り、どんどん減り…せまい村だからね、仕事とか人間関係とかお金とか、いろいろあるんだよね」
はじめ、反対していた方も、焼却場に雇用されたり、ご家族が行政の施設に雇用されたりして、反対ではなくなっていったそうです。
ちなみに、環境省に問い合わせると、この焼却場の従業員は7人。日立造船の職員が1人、運転員が1人、そして鮫川村民が5人。その5人のうち交代で3人が出勤をし、日立造船職員と運転員とで、毎日5人体制で運用するそうです。
「こんなことのために、この土地を開墾したんじゃないんだ…」
聞けば昔、土手内くんのお父さまと、宗則さんのお父さまが、牧場を作るために、この土地の開墾を中心になって引っ張っていったそうです。
「あのね、俺、頭もよくないし、学もないし、でも、子供に対して何とかしてやりたいんです。お金とかいらないの、ただね、家族が健康で仲良く暮らしていきたいだけ」
土手内くんはそう言っていました。
***
7月18日の午前、鮫川村役場で村長と井上副大臣が会談しました。そこも取材に行った私たち。
気になる言葉がたくさんありました。
環境副大臣(左)と鮫川村村長。
井上環境副大臣「焼却炉の実証事業にご協力頂きありがとうございます。村長さまにはリーダーシップを発揮して頂きました」
(強引にまとめたってこと?)
井上環境副大臣「村のみならず、県内では廃棄物がひっ迫しています。鮫川村をモデルケースとして、村のみならず、県内で、しっかりと進めていきたいと思っております。そのことが復興につながっていくのであります」
(こんな強引なケースをモデルとして広げるってこと?)
これを受けての大樂・鮫川村長の言葉。
「副大臣までお越しになるような、そんな安全確認が必要なものとは思いませんでした。私自身は、安全性を理解しております。『除染・減容化・焼却炉』、これは初めからセットだと思っておりました。『除染・減容化・焼却炉』、それは必要なものだと初めから指導されておりました」
(大樂村長、早口ことばのように、「除染・減容化・焼却炉」とおっしゃるのだけれど、「指導されていた」ってどこから?)
この日の午後に、焼却施設を副大臣と村長が視察し、その後、ぶら下がりがありました。地元メディアとIWJとおしどりしか来ていなかったけど、ガッツリ質問してきました!
――副大臣、「鮫川村をモデルケースとして、丁寧な手続きで県内に広めていく」ということでしたが、地権者である堀川宗則さんが同意書に署名捺印してないにもかかわらず、建設が進められたことに関してはいかがですか? 鮫川村では「丁寧な手続き」が行われたとお思いですか?
副大臣「要請書の件に関してですね? その件は、要請書を精査して、回答いたします」
――大樂村長、今朝、役場で「除染・減容化・焼却炉」はセットで指導を受けていた、とおっしゃっておられましたが、どこから指導を受けられたのですか?
この質問をすると、それまでスラスラとご回答されていた大樂村長がなぜかしどろもどろになられました。
大樂村長「ええと、それはですね、あのー、指導といいますか、環境省にはこちらからお願いしたのですが、えー、村として焼却炉が必要だと思ったのですが、えー、その、JAEA(日本原子力研究開発機構)に、除染について初期にいろいろ教わりました」
――『除染・減容化・焼却炉』の指導というのは、JAEAですか?
大樂村長「えー、はい、そうなります」
***
過去の鮫川村議会定例会会議録をずっと読んでいた私は(まぁ私も知りたがりなもので)
気になる箇所を見つけました。平成25年第1回鮫川村議会定例会会議録目次。
ここの大樂村長のご発言部分。
実は除染と焼却炉はセットのものだと最初から考えていました。村の除染計画を、健康な村づくりには除染が一番必要なんだということで皆さんと計画を立てました。そのときに指導を受けたのが日本原子力研究開発機構の皆さん、JAEAの皆さんに除染計画を組んでもらいました。そのときにやはり減容化が必要だと。除染して瓦れきを山に積んでおく、そういうことをするから皆さんは仮置き場がどこにも見つからないんだと。これを減容化しながらきれいな状態で除染を進めれば皆さんの理解を得られる、ですから除染と減容化はセットですね、そしてこの減容化のための焼却炉はこういった安全な焼却炉がありますよと。
(中略)そんな話があったものですから、私はこれから除染をやらなくちゃならない、ようやく仮置き場が決まったんだ、この仮置き場も餌の基準値の見直しで放牧場に牛を放されなくなっちゃったから、あいた土地ができたがために仮置き場もできた、その皆さんが仮置き場を提供してくれた、ようやく見つかったこれを上手に利用したい、そういう思いでお願いしたのが環境省での今度の焼却実証事業。実験という言葉を最初に使ったけれども、これは消してくれと言って、実験じゃねえべということで、今、議員も実験と言ったが、焼却炉の実証事業ということになったのね。
気になるのは2点。
やはり、JAEAが除染計画を組み、減容化の焼却炉を勧めているとこと。そして、当初やはり、仮置き場の計画だったのが、いつのまにか焼却炉になっているところ。
平成24年第5回鮫川村議会定例会会議録にも気になる部分がありました。
そんで、これは3月23日に来たんですよ。そのときに、ただその今の日本の政治は政治家主導で官僚主導で、あれあんなやろう何言ってんだ、ろくな約束できねえべと思ったんですけれども、せっかくああいういい話をしてもらったんですから、私はこれは期待すべきだと思って、次の日に県南の振興局長さんに電話しました。きのう、こういったことで国のほうから畜産のえさの給付についての指導に来たんだと、そのときに、帰りに村に環境省の10分の10の補助で焼却炉の施設をつくらせてもらってもいいなって、そういう話していったんだから、これはチャンスだから、振興局長、鮫川村ではもう村民にみんな教えちゃったと、できたようなもんだって、そういう期待感を持ってっから県のほうに言って、環境省にどんどん鮫川ではいつつくってくれるんだって催促してくれって、こういったそのバックアップしてくれってお願いしました。
(※初めて地権者に説明会があったのは4月。そのときは焼却炉でなく、仮置き場の説明会でした)
だから、こういったのが功を奏したんですかね。1カ月後に何とか内諾得ましたという係員が4月、3月23日に来た役人の人たちが4月24日にまた再度鮫川村に訪れていただきました。それで、内諾もらったから正確なその焼却物質とか、いろいろその計画的な場所は見たいんだとかってきたんですね。その場所もまだ決まんねがったのね、鮫川でね。
場所は見せるわけにいかなくて、いろいろこう本当にこういろいろ困っていました。ああいったところに救いの手があらわれまして、1カ月後に、また再度5月20日ごろでしたか、来ていただいて現場を、焼却炉を設置する現地もこう何というんですか、検討させていただいて、この土地ならいいでしょうということになって設置が決まったという経過であります。
(中略)
もちろん、このまま環境省のこの焼却炉を信用しているわけじゃなくて、あの前には今、
場所は皆さんご承知のとおり、これマスコミにはもう皆さんも協力していただきたいと思いますが、まだお知らせはしていません。鮫川村のある箇所だということで、余りその地域の人を刺激したくないもんですから、お願いしていますが、ようやくあの地域の人も承諾してくれました。
やはり、「村に環境省の10分の10の補助で焼却炉の施設をつくらせてもらってもいいなって、これはチャンスだから、振興局長、鮫川村ではもう村民にみんな教えちゃったと、できたようなもんだ」からもわかるように、村長のリーダーシップというか、独断で進められているように見受けられます。
だって、このときには近隣住民には全く知らせず、地権者18軒に仮置き場の説明会、しかも作るかどうかの意見を聞くのではなく説明のみだった、といいますから。
青生野地区という建設予定地の名前を伏せたまま計画が進められたのはなぜか、と大樂村長に質問しましたが、「地権者から地区名を伏せてほしいという要望があったから」ということでした。
でも会議録では「あまりその地域の人を刺激したくないから、お知らせしていない」とおっしゃっているんですけどね?
そして、工事の着工を知らなかった堀川宗則さんは地権者です。地権者の息子の土手内くんは説明会でもずっと反対し続けています。
***
環境省の中央環境審議会の中でも、鮫川村の焼却炉の記述を見つけました。 第19回中央環境審議会総会議事録 平成25年2月14日(木)。
礒野委員の発言。
鮫川村の問題がかなり問題になっている、実証実験のような問題があって、それは、この問題というよりも、将来的にいろいろな炉をつくっていったりなんかしなければいけないと思うんですけれども、住民合意とか、それからアセスメントとか、これは、というものをどうとっていくかということについて、これについてはお願いです。くれぐれもそういうところをきちんとしていただきたいというお願いで、それとともに、中間処理施設については、これに関連してどんなふうな手続で、日程的なもの、例えば住民合意的なもの等を含めてどういう形の日程で考えていらっしゃるんでしょうかということを伺いたいということです。
梶原廃棄物・リサイクル対策部長の発言。
先ほどの御指摘の点、鮫川村のことでございますけれども、この処理施設につきましては、現在、例えば岩手県の一関市なんかでは、既存の焼却炉を使ってやっているんですけれども、なかなか福島県ではそういうものができないということで、極めて小規模ではありますけれども、実際の焼却事例をつくりたいということで、地元自治体と相談をして手を挙げていただいたものですから、そこでやれないかという形で進めているところでございます。特に、中間処理全般にわたってでございますが、今非常に住民の方々に御心配をいただいているのが、実際に排ガスからバグフィルターとかそういったもので除去するわけでございますけれども、それが取れるんだろうかといったような御心配をいただいているところでございます。本件につきましては、既存の焼却炉でありますとか、あるいは高濃度のものを処理した例も出てきておりますので、そういったような具体的なデータも使いながら、御理解を賜りながら進めてまいりたいと、そういうふうに考えてございます。
うう~ん、鮫川村は住民合意もきちんととれておらず、強引な感じですね。
そして、「実際の焼却事例を作りたい」という環境省の望みが見え隠れしている、というかはっきりおっしゃっているので、なんだかな! と思います。
***
焼却炉はメディア公開もされていて、ケンパルとばっちり入ってきました。
印象は…「え? こんなにむきだし?」
放射線廃棄物を細かくするところはテントで覆われているのですが、その他の機械はけっこうむき出しなんですね…。焼却場に詳しくないのですが、けっこうこんな感じなの? なんか、建物内にあるのかと思ったら、なんていうか、大規模な小学校の焼却炉みたいな感じです、剥き出し感伝わるかしら?
煙突も5.9mしかなく、けっこう低い…という印象。最大30,000ベクレル/kgまでの廃棄物を焼却する施設としては、頼りない気がしました…
そして、中に洗濯機が2台あり、これは何に使うんですか? と環境省の方に聞く私。
「これは、作業着とかを洗うためにあるんです」
――その排水はどうなっているんですか?
「排水はここに配管があって、排水タンクにためます。そしてろ過をして、ゴミと水に分け、水は冷却などに使います。洗濯機の排水は外に流れないようになっていますよ」
――?? ということは、作業着を洗うと、外に流してはいけないレベルの排水になるということですか? みなさん、作業着で外もどこもウロウロしてらっしゃるし、焼却炉自体、建屋の中にあるような作りではないですよね?
「いや、なんていうか、扱うものが高レベルなので気をつけましょうってことです!」
***
鮫川村の焼却炉の件は、調べれば調べるほど、悲しくなりました。
こんな強引なことが起こっていて、そして、それはこれから「復興にむけて」「除染のための」「必要な焼却炉」のモデルケースになるのです。
確認運転の日、抗議行動のために集まった人たち。
もっと、この問題に怒っていれば良かった!
というのも、いわきの仲良しから、「鮫川村ひどいよ~う」と聞いていたのに、あー、ひどいよね(でも東京新聞が追っているから、いいかな)とか思ってしまっていたのです。
でも、7月18日の確認運転のときにはもう、東京新聞に電話したけど取り上げてくれなかった、とのこと。参議院選の真っただ中でしたしね。私自身、原発事故と参院選の取材でバタバタしちゃってたし。
7月17日は、三宅洋平くんがいわきに行って、選挙トーク&ライブをしていました。 行ったの? といわきのママたちに聞くと「私は行かな~い」とイマイチ響かない返事。
どうして? と聞くと、
「今までも、いわきの子どもたちや、鮫川の実情を訴えに、ライブハウスでミュージシャンのライブの合間に話させてもらうことあったのよ、でもね、聞いている人は『ひどいね』とは言うけれど、それだけ。何も変わらない、何も動かない。『ひどいね』と言ってもらうために、私たちは話してるんじゃないのにね。だから、もういいの。なので、洋平くんが選挙ライブをしていても、あまり興味がわかなくって」
これを聞いて、また私は申し訳なく思いました。
『ホテル・ルワンダ』という映画があって、これに関していっぱいお話ししたいことがあるんだけど、印象に残っている場面の1つにこんなのがあります。
カメラマンが命がけで虐殺の場面を撮ってくるの。で、ホテルマンが「ありがとう、この映像で、世界が動いてくれるはず」と言うの。
でもカメラマンは、じっとホテルマンを見てこう言うの。
「残念ながら、世界は動かない。世界の人々は、虐殺の映像をTVで見て、『怖いね』と言って、ディナーを食べ続けるだけだから」
いわきのママの言葉を聞いて、このシーンを思いだしました。
***
土手内くんと、東京に帰ってきてからも電話で話していて、「マコさん、来てくれてありがとうね、取材してくれてありがとうね」と何度も言われて。
えー、まだちゃんと記事書いてないよ、これからガンガン書くからね! と言いつつ、
なんか悲しくなりました。
「俺、間違ったこと言ってるのかなぁ、でも、やっぱりおかしいと思うんだよね。こんなこと、まかりとおったらダメだと思うんだ。鮫川はもうできちゃったけど、これから他の地域もどんどん同じことが起きるよ、だから、鮫川でこんなことがあった、と伝えてほしいんだ」
そして、7月18日に鮫川村に来てたいわきの方が、当日の様子を動画に撮ってユーチューブに上げておられました。
この動画を見た、と言って土手内くんが「最後にマコさん俺のこと言ってたでしょ、あれ、俺嬉しくて。本当にありがとうございます。来てくれて、知ってくれてありがたいです」。
私が土手内くんと電話したときで、この動画の閲覧数はまだ65でした。
それでも「自分の言葉がネットの動画に上がってありがたい」と言う土手内くん。電話切って、ケンパルに話しながら、涙出ちゃったぜ!
というわけで、みなさん、「ひどいね」で終わらせず、知って考えてどんどん動いていきましょうぜ!
鮫川村の焼却炉問題関連の情報、ブログなどは下記です。
土手内くんや宗則さんへの応援、メディアにもっと取り上げられるように働きかけるなど、いろいろできることあると思いますし、何より、まず知っていきましょうぜ! シクヨロ!
・鮫川村の実証実験焼却炉に反対し、子供を守るママの会
・いわき 母笑みネットワーク
・鮫川村焼却炉問題連絡会のブログ
・塙町(鮫川村の隣)の方のブログ
【今週の針金】
綺麗な自然の中に処理施設?
進め方も含め不自然ですねん!
この問題については、以前インタビューに登場いただいた、
福島在住の武藤類子さんも「住民の知らない間に計画が進んでいた」ことを指摘されていました。
これが「復興へのモデルケース」になるとしたら、あまりにもその影響は甚大です。
自分に何ができるかを、もっともっと考えて、行動に移す。
まずは知ること、そして伝えることから!
***
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