時々お散歩日記

 今年は、何回デモに参加したかなあ…、などとぼんやり考えている。厳冬だったころから猛暑の夏、そしてまた冬がめぐってきても、僕はデモに参加し続けている。
 22日も、小さな集会の後、日比谷野外音楽堂へ足を向けた。着いたら、もう集会は終わっていた。あまりの人数に開会を早め、デモ出発も早めたという。国会周辺は、そのころすでに人波で溢れていたという。
 僕が国会前に到着したのは、ちょうど「国会包囲デモ」の終了間際。知人がいたので「どうだった?」と聞いたら、「官邸前は身動きが取れないほどだったし、国会は完全に人間の環で包囲されましたね」と言う。
 ああ、いまも反原発の勢いは続いている。そして、安倍が火をつけた「特定秘密保護法」への怒りも持続している、と思う。
 この流れは、来年も変わらないだろう。

 「マガジン9」も、更新は今回が今年最後。このコラムも「筆納め」(ま、筆じゃないんだけど)。
 なんだか、とても時の流れが速い。ゆっくりした時間を過ごしたいと、毎年思うのだが、どうもそうはいかない。あの2011年3月11日以来、妙に心が騒いで落ち着かない。
 読んだ本の数が減った。とくに、楽しみの読書が大幅に減ってしまった。観た映画の本数もそうとう減った。その分の時間を、僕はいったい何に使ってきたのだろう…。考えれば腹立たしい。

 いま、僕は「デモクラTV」という市民ネット・テレビ局に協力している。年明けから、ここで「沖縄通信」(仮)や「福島原発事故・東電テレビ会議49時間」(仮)という番組が予定されている。小さなテレビ局を持続させるために、スタッフが懸命に頑張っている。
 高橋哲哉さんの『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)が明らかにしたように、ある部分に犠牲を強いて、全体はその上に安住する、という現実。それを全体の一部である我々が認識するためのひとつの方法論としての番組が作れたら、というのがスタッフの希望でもある。
 どこまでできるか分からないが、僕も協力したいと思う。新しい年へ向けて、新しい動きを。

 今年最後の更新だから、年末年始の休暇用に、少し本の紹介をしたい。僕が今年読んだ本の中からだから、偏っているのはご承知おきを。読書量は減ったけれど、それでも気に入りの本はあった。

 僕がいま、かなりハマっているのが、「北欧ミステリ」だ。去年、『ミレニアム』Ⅰ~Ⅲ(スティーグ・ラーソン、早川書房)の面白さにガツンッとやられ、それ以来、北欧ミステリに目覚めてしまったのだ。
 ヘニング・マンケルの「刑事ヴァランダー・シリーズ」(ミステリ・チャンネルでテレビドラマ化されている)は、どの作品をとっても面白い。中でも『タンゴステップ』(創元推理文庫)が僕の一押し。スウェーデン社会の闇を暴きだすマンケルの一連の作品は、福祉国家の別の顔を見せてくれて興味深い。
 少し変わった味の北欧ミステリを見つけた。『特捜部Q』(ユッシ・エーズラ・オールスン、ハヤカワ文庫)シリーズだ。これは現在までに『檻の中の女』『キジ殺し』『Pからのメッセージ』の3作が翻訳されているが、ちょっとはみ出した刑事たちの寄せ集めの特捜部という設定で、様々な事件に取り組んでいく。
 その他『スーツケースの中の少年』(レナ・コバブール&アニタ・フリース、講談社文庫)や『極夜 カーモス』(ジェイムズ・トンプソン、集英社文庫)などもかなり面白かったが、最近のお薦めは『スノーマン』(ジョー・ネスボ、集英社文庫)。ノルウェーのオスロを舞台に、アルコール依存症の刑事ハリー・ホーレが連続殺人事件に挑む…。
 ただ、北欧ミステリの欠点(?)は、なにしろ登場人物の名前が覚えにくいこと。僕は、海外ミステリはけっこう読んでいるつもりだが、北欧ものに関しては、何度も「登場人物」の欄をひっくり返さざるを得ないんだ。だって、ビュルン・ヴィーグレンとかエミール・ヴェッテルステッド…なんて名前、一回で覚えられる?(笑)
 厳密には北欧とは言えないが、それに近い味わいを持つのが『シェトランド四重奏』シリーズ(創元推理文庫)の4作品。著者はアン・クリーヴス。これは、イギリス最北部のシェトランド諸島を舞台にした連作ミステリ。『大鴉の啼く冬』『野兎を悼む春』『白夜に惑う夏』『青雷の光る秋』の4作。小さな島で起こる事件を、ペレス警部が地道な捜査で解決していく。だが、主人公は警部ではなく、暗く陰鬱な小さな島。これは病みつきになる。

 日本のもので面白かった作品も。
 『屍者の帝国』(伊藤計劃×円城塔、河出書房新社)。若くして亡くなった天才・伊藤計劃が遺したほんのわずかの文章を、これも天才・円城塔が受け継いで書き上げた壮大なSF作品。なかなかページを閉じられない徹夜本のひとつだった。
 『放送禁止歌手 山平和彦の生涯』(和久井光司、河出書房新社)が、評伝としてはかなり面白かった。僕の故郷の秋田出身。アルバム『放送禁止歌』が猥褻とされて発売中止。その後、ぷっつりと消息を絶った伝説のフォークシンガーの足跡。そして、復活寸前にひき逃げ事故にあって死亡…。僕もかつて一度だけ、彼の取材をしたことがあった。髪を長く伸ばした美貌のシンガーだったが、口調は苦かったと記憶している…。

 今年読んだ中でいちばん熱かったのが『いつの日も泉は湧いている』(盛田隆二、日本経済新聞出版社)。
 帯裏にあるように「1969年、ぼくは埼玉の県立高校に入学した。大学闘争がピークに達したこの年、高校生も学校や社会に異議申し立ての声を上げた。学生運動の影響もあったが、模倣したわけではない。高校生なりのやむにやまれぬ切実な思いがあった…」。その高校生たちの幼いけれど必死な闘いが熱い筆致で描かれる。僕はツイッターで、思わず「触れれば火傷しそうな…」とこの本について書いたけれど、ほんとうに切ない少年たちの闘いなのだ。べ平連、フォークゲリラ、全共闘、そして「ワルシャワ労働歌」…。守田少年の青春がよみがえる。著者は、いまも誠実に反原発デモや秘密保護法反対の集会に一市民として顔を見せている。変わらぬ姿勢がすがすがしい。
 『想像ラジオ』(いとうせいこう、河出書房新社)は、3.11以後に生み出された最良の文学的収穫といえる、と僕は思う。死者の声、どこからか聞こえてくる「想像ラジオ」のDJ 。音楽を挟みながら、軽妙な、だが痛烈に哀切な語りが、どこからか読者へ届く。まるでほんとうに聞こえているような、幻聴。文章の力がここまで届くという証し。

 原発関連では『原子力ムラの陰謀』(今西憲之+週刊朝日取材班、朝日新聞出版)が、実際に命を絶たれた旧動燃幹部の機密資料を基に暴き出した、暗く陰湿な、そして巨大な原子力ムラの闇。読んでいて背筋にゾワリッと震えが来てしまう。
 もう一冊、恐ろしい本。『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(日野行介、岩波新書)。これ、心底腹が立つ本。むろん、筆者にではなく、筆者が暴いた闇の深さに腹が立つのだ。秘密会を重ねて県民には知らせないようにしながら、事前に調査結果に対する評価をすり合わせ。そして議事録の改竄、捏造。県民健康ためなどではなく、政府や行政に配慮した調査でしかなかったという報告。人々の健康すら原子力ムラのために売り渡してしまったのかと、腹立たしさを超えて絶望的な気分になる。
 『原発広告』(本間龍、亜紀書房)。250点もの原発広告が掲載されているだけでも凄い。著者が勤めていた博報堂を含め、巨大広告代理店の原発関連の暗躍ぶりも恐ろしい。どのようにして国民が“洗脳”されていったかを、資料を基に詳述する。ただ、紙面の都合上仕方のないことかもしれないが、広告をもっと大きく掲載してほしかった。
 原発広告については『成長から成熟へ―さよなら経済大国』(天野祐吉、集英社新書)も外せない。この本は原発のみではないけれど、「政府広報」の怖さをはっきりと指摘する。その筆致は、普段の天野さんとは違う厳しさに充ちていた。でも、その天野さんの文章をもう読めないというのは、ほんとうに悲しい。朝日新聞も、最良のコラムを失った…。 

 別ジャンルということになろうが、写真集『戦後はまだ… 刻まれた加害と被害の記憶』(山本宗補写真集、彩流社)がいい。日本が犯した罪と罰を、70人の戦争体験者から克明に聞き出し、彼らの顔に刻まれた皺の中から記憶を写し出す。それはただの写真ではなく、戦争が刻印された証明書である。「生き証人がいなくなった時、歯止めが効かなくなる」と記す山本さんの思いが、写真と文章で迫ってくる。少々高価な本だが、後世に伝えるべき価値を持った写真集だと思う。

 『永続敗戦論 戦後日本の核心』(白井聡、太田出版)。第一章「戦後」の終わり、第二章「戦後の終わり」を告げるもの、第三章 戦後の「国体」としての永続敗戦、の3章からなる本書は、現在進行しつつある「戦後の終わり」への道筋を、見事に腑分けしている。そして「命ぜられた通りに『鬼畜米英!』と叫んだ同じ口が、命ぜられた通りに『民主主義万歳!』と唱え、『アメリカは素晴らしい!』と唱和するというこの光景の相変わらずの無残な有り様、それが同じ空間を共有する人間として私には端的に我慢ならないのである」という痛烈な言葉をもって、「永続敗戦論」とのタイトルの意味を象徴するエピローグとなる。
 『日本の起源』(東島誠、與那覇潤、太田出版)。これは、ふたりの碩学が縦横に日本の歴史を語り合った、スリリングな対談集である。だが、普通の対談とは違い、あらゆる文献を提示し膨大な学説を検証しながら、古代国家から現代日本へ至る流れをつかもうとする。その凄まじいともいえる検証は、與那覇さん自身の『中国化する日本』(文藝春秋)さえも俎上にのせられる。対談が白熱するはずである。面白い!
 最後に『哲学の自然』(中沢新一、國分功一郎、太田出版)。これも、3・11を契機に生まれた本といっていい。対談は、原子力、自然エネルギー、新自由主義、技術、野生、自然、そして反原発デモまでまことに多岐にわたるが、それは帯にあるように「3.11以降の新しい『自然哲学』は、哲学の自然を取り戻す試みであり、動植物の利害も含めた民主主義(まさに「どんぐりと民主主義」!)を目指す運動である」。実際に國分さんがコミットした地元・小平市の道路計画への異議申し立ての住民運動を題材にした「第Ⅳ章 どんぐりと民主主義」が、その実践編として興味深い。
 今回は、なぜか太田出版の本が多かった。頑張っている出版社ということ。

 もっとたくさんの本を読んで、もっといっぱい映画を観て、のんびり散歩をして…という日常に、来年は戻りたい。
 けれども、安倍の顔が浮かぶと、ああ、そうも言っていられないなぁ、とイヤ~な気分になるのだった…。

 

  

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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