わけあって、スマホに買い換えた。便利らしいが、僕にはなかなか使いこなせない。最初など、かかってきた電話にどうやって出るのか右往左往していたら、電話が切れてしまった。ほとんど電脳弱者。ま、しばらくしたら、何とかなるだろう…か。
娘や若い仲間に、よく使い方を教わらなくっちゃ。
旧いものから新しいものへ。時代は変わっていく。
かつて、フォークシンガーの斉藤哲夫さん(彼は「歌う哲学者」と呼ばれていた)は『悩み多き者よ』と歌った。
~悩み多き者よ、時代は変わっている…(略)
あゝ人生はふきすさぶ荒野のように
あゝ生きる道を誰でもが忘れてるのさ
暗い歴史のかげに埋もれてはいけない…
だが、あのころ(1970年代初頭)の変わりようと現在の変わりようでは、あまりに落差が大きい。こんな現に起きつつある変容を、いったい誰が予測していただろうか。しかも、その落差を「暗い歴史のかげに埋もれ」させようとしているのが安倍晋三首相だ。
これまで論議は別として、民主党政府もそれ以前の自民党政府ですら実際に踏み込もうとはしなかった「集団的自衛権行使」にまで、一気に突っ込む気配だ。
先週のこのコラムでも書いたけれど、安倍首相の言う「新しい国」とは、旧い体制へ先祖返りすることに他ならない。「時代は変わっている」のではなく、「時代を後退させている」のだ。
憲法をきちんと改定する前に、実質的な改憲へ、なし崩しの姿勢だ。13日のNHKの討論で、安倍首相は次のように述べた。
(要旨)集団的自衛権行使の解釈見直しは、安倍政権の大きな方針のひとつですから、オバマ米大統領と議論したいと思います。
日米の同盟関係強化を最優先と考えています。できれば、2月中には首脳会談が行えればいい。集団的自衛権行使容認で、日米同盟関係がどう変わっていくか、地域がどう安定していくのかということなどを、議論していきたい。
「地域がどう安定していくか」を考えるならば、地域諸国の不安感を煽るような政策や言葉は慎むべきではないか。とにかくアメリカに褒めてもらえれば、地域諸国との安定が図れるとでもいうのだろうか。安倍首相、言うこととやることが逆だ。
一方、連立政権を組む公明党は、かなり迷惑顔だ。同じNHKの番組で、公明党の山口那津男代表は、安倍首相の集団的自衛権行使容認については、「にわかに変えるべきではない」と述べていた。
「反戦・平和・人権」を旗印にする公明党としては、まさに「戦争権確保」とでもいうべき集団的自衛権容認は、おいそれとは追認できない政策だろう。
しかし安倍首相は、最終的には公明党を切り捨て、同じ改憲派の維新の会との連携を視野に入れているらしい、との観測がこのところ国会周辺には流れている。
わざわざ安倍首相が大阪まで橋下徹・維新代表代行に会いに出向いたのは、そういう下地があってのことだとの見方が強い。しかも、維新の会の石原慎太郎”代表”ではなく、”代表代行”の橋下氏に面会を求めたのだ。一国の首相が、地方都市の市長へ直接会いに出かけていく。当然、そこにはなんらかの政治的な思惑があるはずだ。いずれ、若さと人気の橋下氏と組んで、石原・老代表は使い捨て…か。
改憲には慎重な公明党を切り捨て、改憲政党の維新と組んで、一気に憲法改定へ持っていく。改憲が夢だったという岸信介元首相の(母方の)孫の安倍晋三首相、祖父の悲願実現へ向けてひた奔る。安倍晋三氏の頭には岸元首相の面影が強烈に刷り込まれている。そういえば、なんとなく最近の安倍氏は岸元首相に似てきている。
だが当然のことながら、安倍晋三氏には、もうひとり祖父がいる。父・安倍晋太郎氏(元外務大臣等)の父・安倍寛氏だ。寛氏は、皇室風に言えば、晋三氏にとっては直系・男系の祖父である。ところが、その祖父のことに晋三氏はまったく触れたがらない。岸信介氏の墓参りには、大勢のマスメディアを引き連れて出かけたが、安倍寛氏の墓に詣でたという話はついぞ聞かない。なぜか?
答えは簡単、寛氏がリベラル派の政治家だったからだ。
戦前の衆院議員であった安倍寛氏は、1937年に無所属で衆院選に当選。あの戦争中の1942年、いわゆる大政翼賛会が猛威を振るっていたにもかかわらず、東条英機らの軍閥政治に反抗、無所属で翼賛選挙に歯向かい当選した、筋金入りのハト派だった。
つまり、べったりと軍閥と手を結んだ岸信介氏など(いわゆる革新官僚)とは、まさに対極にあった政治家だったのだ。寛氏は残念ながら、戦後の第一回総選挙直前に心臓麻痺で死去した。
安倍晋三氏が、もうひとりの(直系の)祖父・寛氏に触れたがらない理由が分かるだろう。晋三氏は、岸信介、安倍寛という、両極の政治家のうち、一方のDNAしか受け継がなかったのだろうか。返す返すも残念なことではある。
安倍寛氏は孫の所業を見て、草葉の陰で泣いているかもしれない。
僕はかつて『目覚めたら、戦争。』(2007年、コモンズ、1600円+税)という本の中で、成立したばかりの(第1次)安倍政権に対し、その内実を調べてかなり厳しい意見を書き連ねた。
これも”残念ながら”というしかないのだが、そのときの批判はほとんど的中していると思う。安倍首相は、そのときに実現できなかった(戦前回帰的な)政策を、箪笥の底から埃を払って持ち出してきた。
特に、集団的自衛権、教育再生、原子力政策などは、カビだらけの古証文としか言いようがない。いったいこの国をどんな方向へ連れて行くというのか。
これらを実現していく先には、言論・表現の自由を規制したいという安倍政治の思惑が見え隠れする。
毎日新聞(12日付)が特集していたが、まさに表現の自由を奪いかねない「秘密保全法」が蠢きだしている。見出しを列挙してみる。
秘密保全法案 安倍政権の姿勢は
メディア規制 乗り出すか
第1次内閣時 放送局への関与強化
NHK経営委員による番組編集介入/拉致問題の命令放送
第1次安倍内閣(2006年9月~07年9月)のときに、報道に関してどんな動きを見せたのかの解説も詳しく載っている。
特に政府の影響が及びやすいNHKへの番組内容介入は、かなりひどいものだった。そのとき、介入に動いた重要人物が安倍首相や菅義偉官房長官(当時の総務相)らだったが、同じ人物たちが今回もまた前面に出てきたのだ。
介入の中身はかなり恐ろしい。権力政治家たちは、マスメディアへの支配力を強め、自身の都合のいい報道をさせ、都合の悪いものは封印する。それが露骨に示された例が列挙されている。
前回、安倍氏のあとを継いだのが麻生太郎氏だったが、彼もまた秘密保全法には熱心だった。麻生首相は西修駒澤大学教授(当時)を座長とする有識者会議をつくり法案準備に入った。麻生内閣があっさり崩壊したことで、その法案は挫折したが、今回、またも同じメンツがそろい踏み。古証文はここでも埃を払って出てきそうだ。
毎日の同記事を引用しよう。
(略)自民党は、野党転落後も法案に意欲を示してきた。
昨年7月、同党の国防部会と安全保障調査会が現行の憲法解釈を変更して集団的自衛権行使に道を開く「国家安全保障基本法案」の概要をまとめ、党総務会が決定した。この国家安全保障基本法案の第3条3には「国は、我が国の平和と安全を確保する上で必要な秘密が適切に保護されるよう、法律上・制度上必要な措置を講ずる」と秘密保全法の必要性を明記している。
また、今回の衆院選の公約集にも、基本法の制定とともに国会の秘密会設置を記した。(略)
この基本形は、民主党政権下で検討された「秘密保全法案」だ。つまり、政府(自民でも民主でも)というものは、常に”秘密”を国民の目に触れさせまいとする性質を持つものらしい。
むろん、この法案、狙いはマスメディアだけではない。ネットもその対象にと、安倍首相らは目論んでいるに違いない。
この「マガジン9」やさまざまな方たちのブログだって、いつこの法律の餌食になるかもしれないし、僕らが日常で行っているツイッターやフェイスブック等のSNSさえも、やがてターゲットにされる恐れもある。むしろ、規制の及ぼしにくいネットメディアをどう扱うか、安倍首相らはそのことに悪魔の知恵を絞っている最中なのかもしれない。
中国で報道の自由をめぐって、当局と記者たちが深刻な争いを続けている。だが、それは本当に中国だけのことか? もうじき、我々の国にもやって来る暗い前兆ではないのか。
憲法改定や原発再稼働など、反対の声は依然として強い。当初、マスメディアは大きな反原発のうねりを、鈍感にもほとんど報道しなかった。マスメディアに無視された反原発デモの高まりを、多くの人々に知らせたのがSNSだった。
首相官邸前~国会周辺に押しかけた20万人ものデモの人々は、マスメディアの報道ではなく、ネットや仲間の情報で集まったのだ。それは、政治家たちも身にしみて分かっているだろう。
だからこそ彼らは、ネットを規制したいのだ。
黙してはならない。小さな声でも発し続けなければ、いつかその声すら出せなくなってしまうかもしれない。
声を上げよう。
上げ続けよう…。