春が来た…。
なんだか今年の春は、あっという間に押し寄せてきた感じだ。ほんとうは時間をおいて咲くさまざまな花が、一斉に開き始めた。桜なんか、つぼみの時期をすっ飛ばして満開になってしまったみたい。
あんまり急いじゃいけないよな。日本の自然は、ゆっくりと優雅に移り変わるはずじゃないか。それが何か、季節さえ生き急いでいるような感じがして、僕はどうも落ち着かない。
このコラムは「お散歩日記」だ。けれど、妙な世の中動きに圧し潰されそうで、とても”お散歩”なんて余裕のある文章じゃなくなっている。急な季節の変化と同じで、走り過ぎだ。
反省はしているのだが、原発もTPPも沖縄も、アベノミクスとやらも憲法改定も国防軍も排外主義も、どうにも気になって仕方がない。文章が荒れるわけだ。
日曜日(24日)、久しぶりに何も予定がなかった午後、多摩川べりを散歩した。コラムのタイトルどおり、ゆっくり歩いてみた。
河原は、の~んびりとした春である。”つくし”が顔を出していた。そういえば、つくしには面白い思い出がある。
ずいぶん昔、まだ小学生だった次女と散歩していたとき、つくしを摘みながら、次女が僕に訊いたのだ。
「つくしってさ、出てくるとき、何て言ってるか知ってる?」
「えっ? 何かしゃべってるの?」
「うん、タジソーロンタジソーロンって言ってるんだよ」
一瞬、僕は意味が分からなかった。でもすぐに気づいた。あ、筑紫さんのことか。大笑いした。今でも思い出すと自然に笑いがこぼれる。
このエピソード、若い人たちには、やはり意味不明だろうか。筑紫哲也さんが亡くなったのは、2008年11月7日だった。もう5年近く経ってしまった…。
僕は、日本ジャーナリスト会議(JCJ)の機関紙「ジャーナリスト」に、時折、書評原稿を書かせてもらっている。先日、必要があってそのバックナンバーを調べていたら、2012年1月25日号に、自分の書いたこんな文章を見つけてしまった。『一分の一(上)(下)』(井上ひさし、講談社、各1900円+税)の書評である。
3.11大震災とそれに続く原発事故について、読んでみたい3冊の本はこれだ。本田靖春『黒いペンタゴン 原発マフィア』、筑紫哲也『メディアリテラシーと原発』、井上ひさし『吉里吉里国ふたたび』…。
むろん、こんな本は存在しない。私の勝手な夢想だ。だが様々な言説が飛び交う原発についてこの3人の考えはぜひ聞いてみたかった。(略)
この方たちとは、それぞれに少しだけだけれど、取材やインタビュー、原稿依頼を通して面識があった。お三方は、この国が誇る最高の知性だったといって差し支えないと思う。だがほんとうに残念なことに、相次いでこの世を去ってしまわれた。
もし生きておられたら、現在のこの国の在りように、どんな意見をお持ちだったろうか。無いものねだりだが、それをお聞きしたいと、いま痛切に思う。
筑紫さんには、遺言ともなってしまった著書『若き友人たちへ―筑紫哲也ラスト・メッセージ』(集英社新書、720円+税、09年10月21日第1刷)があるが、この本に、僕は強い思い入れがある。
そういえば、これも”散歩”と関係のある話だ。僕が家の近所を散歩していたとき、携帯が鳴った。あの、テレビで聞き慣れた声がした。
「こんちは。筑紫だけど…」
ちょっと驚いた。携帯に直接電話をもらったのは初めてだったからだ。
「鈴木くん、会社辞めたんだって。じゃ、時間はあるかい?」
公園のベンチに腰掛けて、しばらく話をした。そのころ、筑紫さんが病を得ていたのは知っていたから、電話の声がお元気そうで安心した記憶がある。
「ま、病気のこともあるしね、今のうちに、私なりに若い人たちへ遺しておきたい言葉がある。いきなり書き下ろしは無理だから、どこかに連載したいんだけど、手伝ってくれないかな」と、僕に相談を持ちかけてくれたのだ。前著『ニュースキャスター』(集英社新書)の編集を僕が担当したのだが、それを気に入ってくれていたらしい。
そこで、集英社のPR誌「青春と読書」に話を持ち込み、連載という形で始めることになった。しかし、筑紫さんの病は僕が思っていたほど軽くはなかった。すでにかなり進行していたらしい。連載は2回で中断してしまった。そして、再開はなかった…。
しばらく経って、集英社新書編集部のKくんから「あの連載は筑紫さんの遺言。あのままにしておくのはいかにも惜しい。筑紫さんの早稲田大学と立命館大学での講義の録音テープが残っている。それを加えて、なんとか1冊に仕上げたいんだけど」という相談があった。
膨大なテープ起こしの原稿が、僕の手許に届いた。それは「講義録」というよりは、筑紫さんの若者への熱い思い、この国を背負う次世代の人たちへの切ないほどのメッセージだった。僕は、編集とリライトを引き受けた。それが『若き友人たちへ』だ。できる限り、筑紫さんの肉声に近づけるように文を起こした。ラスト・メッセージが伝わったと思った。
その中に、こんな一節がある。
…日本人は明らかに変わってきています。(略)
例えば選挙戦のとき、候補者が一番喜ぶ新聞の書き方は「今一歩、もう少しで勝てるかもしれない」だったのです。選挙民に、判官贔屓(ほうがんびいき)、弱いほうを援けようとする心理が働くので、そう書いてもらいたいというわけです。それが選挙戦の常識でした。ところが小泉さんあたりから、選挙の様子はまったく変わってきました。勝てると書くと、みんなどっとそっちへ流れる。つまり、判官贔屓どころか勝ち馬に乗る、という傾向が強まりつつあります。
これを”バンドワゴン効果”などと言います。(略)
これを、今回の安倍自民党圧勝の衆院選に当てはめてみると分かり易い。日本人のある意味での美質であった「判官贔屓」は、いつの間にか消滅した。勝ち馬に乗ろうと一方に殺到するか、どっちらけで「選挙なんてくだらねえ」とうそぶくか。
現在の状況を、筑紫さんは10年ほど前に予測していたのだ。
ほかにも『若き…』には”この国の行方”への筑紫さんの思いが詰まっている。いま読み返すと、それが痛いほどに伝わってくる。
こんな文章もある。
2005年はおそらく、日本人が滅びていく、いわば節目の年です。日本人がいなくなり始めるということが起こっているのです。経済成長とか政治の仕組みとか何とかいうのは、人間が努力すれば多少は直せるんですが、生死のトータルである人口は後で補正できないんです。唯一方法があるとすれば、それは移民です。新しい日本人を作ることです。
ところがこれほど外国人に排他的で、しかも今年はその特徴がさらに出ていますが、こんなに近隣諸国と関係が悪くなった年もないでしょう。そういう国が、新しい日本人を作れますか?(略)
多分、後で振り返ってみると、日本がアジアで孤立する道を歩み始めた起点が2005年だったと言われるでしょう。靖国問題がシンボリックだったんですが、そのなかでナショナリズムというものが、特に若い世代にどんどん強まっていくという状況が、まさに今じゃないかと。
これからこの国は、どこへ行こうとしているのか。残念ながら、私にはあまりいい方向は見えてきません。
私の危惧が、杞憂に終わるといいのですが……。
2005年の講義なのだが、これを2013年と書き換えたところで、誰も気づくまい。それほどに、筑紫さんの見通しは的を射ている。
安倍晋三首相の行き先は、まさに筑紫さんの”杞憂”そのものだ。そして、彼を”勝ち馬”と見て、無見識にそれに乗ることで自らの位置を固め利益を得ようとする人たち。一度は反省らしき態度を見せて声をひそめた連中が、またもわさわさと啓蟄の虫さながらに這い出てきた…。
原発に対する国民の声は、いまだに「脱」であり「反」だ。どんなアンケートや世論調査(僕はあまり信用していないが)をみても、脱原発を望む声は70%ほどに達する。
だが、安倍首相は「3年以内に、再稼働するものは再稼働させる」と期限を切っての推進論を表明した。それに乗じて、国民の動向を見てやや発言を控えていた「原発容認派」が蠢きだした。
毎日新聞の特集・論点(3月24日付)に、「原発新安全基準」をめぐって、3人の識者(?)の意見が掲載されていた。その中のひとり、岡本孝司東大教授(元三菱重工社員)の意見がその典型だ。
(略)「詳細」と称して、達成のための具体的な機器や方法まで原子力規制委員会が指定するのは問題が大きい。なぜなら、すでにあるシステムに新しい機器を付け加えると、ある部分ではプラスになるが、必ずマイナス面も出てくるからだ。
一例が、フィルター付きベント(排気)装置である。事故の際に格納容器の破損を防ぎ、外部への放射性物質の放出を100分の1に減らせる。確かに非常時には役立つ場面もあるだろう。
しかし、この装置を後付けするとなると、地震の揺れに耐えられる固い地盤を探す必要がある。適地がなければ、複雑な配管を遠くまで引っ張るケースが出てくるが、溶接部が多く維持管理が大変になる。運転期間の大部分を占める平常時、点検に大きな手間がかかれば、かえって事故のリスクを高めるのだ。また、事故が起きてベントをすれば、配管の周囲の放射線量は非常に高くなり、作業員が近寄れず、本来の復旧作業に支障が出る恐れもある。自動車のエアバッグを想像してほしい。事故以外の場面で膨らまないよう入念に設計されているから、有効なのだ。(略)
引用が長くなりすぎたが、要するに、厳しい新基準を導入することに、なんだかんだとリクツをつけて反対しているだけだ。
「事故が起きてベントを」しなければどうなるか? 福島では大爆発につながったではないか。
「地震の揺れに耐えられる固い地盤がなければ、配管を遠くへ引っ張らざるを得ないから、よけい危険だ」と言う。だがそれは、原発敷地内に「固い地盤」がないということを意味するではないか。固くない地盤の上の原発、危険なのはそっちだろう!
そして、なぜか突然、自動車のエアバッグを持ち出す。
『原発危機と「東大話法」』(安冨歩、明石書店、1600円+税)というとても面白い本がある。東大教授と称する一群の学者たちが、いかに詐術を弄して他人を煙に巻くか、という話だ。そこに「東大話法規則一覧」20項目が載っているが、中にはこんな項目もある。
④都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
⑫自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
⑬自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
⑯わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
⑰ああでもない、こうでもない、と自分が知っていることを並べ立てて、賢いところを見せる。
⑱ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
まさに、岡本教授の話は、この「東大話法」そのものではないか。
原発の安全性と自動車のエアバッグ。本来、無関係なものを強引に関連付けて、あたかも同じ分野の話であるかのような錯覚を抱かせ、原発の安全性へ誘導する。
エアバッグが爆発するか。爆発して放射性物質を撒き散らすか。周辺何十キロにも及ぶ汚染地帯を作り出すか…。少し冷静に考えてみれば、この話の論理のおかしさは誰にでも分かる。だが、”東大教授”が自信満々に説き進めれば、我々素人は首をかしげながらも納得の一歩手前まで行ってしまうのだ。
僕は、自分にこう言い聞かせている。
「妙なたとえ話をする人を信じてはいけない」と。
原発学者の有名なたとえ話がある。
「原発が大事故を起こす可能性なんて、あなたの頭上に隕石が落ちてくるようなものですよ。確率はきわめてゼロに近い。そんなことに怯えて暮らしていけますか」
ロシアで隕石が落ちた。数百人が怪我をした。しかも、あの周辺には核研究施設が存在しているという。
岡本教授ら原発学者が、テレビ等マスメディアで垂れ流してきた言説が、どれほど誤った方向へ国民を導いていったか。それを、無定見な政治家たちがどう利用したか。
妙なたとえ話をする連中を信じてはいけない。