時々お散歩日記

 政治家たちの言葉の軽さ、いい加減さは十分承知しているつもりだったが、さすがにこの言葉はひどすぎる。沖縄の米軍基地返還問題について、各紙が伝えているが「またはその後」というなんとも奇妙な、そして薄汚いごまかしの言葉だ。
 朝日新聞(4月6日付)ではこうだ。

 日米両政府は5日、沖縄県の嘉手納より南の米軍基地返還計画で合意し、普天間飛行場(宜野湾市)の返還時期を2022年度以降とすることを発表した。6基地で計千㌶を超える土地が返還対象となるが、返還の期限は明示されなかった。(略)
 6基地で段階的に13年度~28年度という返還時期が明記された。だが、米側が難色を示したため、いずれの時期も「またはその後」と留保。期限を切らず、返還時期がずれ込むことも認めている。(略)

 「またはその後」? これはいったい何だ? 安倍晋三首相はとにかく「返還時期を明記する」ことにこだわったという。むろん、この7月の参院選向けのアピールのためだ。「これだけの米軍基地返還を約束しました。すごいでしょ!?」と胸を張りたいだけ。現実にできるかどうかなんて、知ったこっちゃない。
 そこで出てきたのが「またはその後」という汚臭にみちた文言だ。米軍施設の日本への返還時期について、たとえばこんな具合だ。

キャンプ瑞慶覧(西普天間地区)52㌶ 2014年度またはその後 
牧港補給地区(北側進入路)1㌶ 2013年度またはその後…

 こういう記述が目白押し。6基地14ヵ所の返還が「明記」されてはいるものの、すべての末尾に「またはその後」がくっついている。誰が見たって「あ、これはまた引き延ばしの伏線だな」と気づくだろうに…。沖縄県民のみならず、日本国民すべてをバカにしている。
 当然のことながら、沖縄は猛反発。毎日新聞(同6日付)もこう書いている。

(略)いずれも最も早い時期を示した上で、「またはその後」との留保が付いており目安の域は出ない。普天間飛行場の県内移設の時期も盛り込んだことから、他の施設の返還と引き換えに辺野古移設を迫る「アメとムチ」の形にもなっており、沖縄に広がる不信を払拭するには至っていない。(略)

 返還計画とセットで普天間飛行場の辺野古移設を2022年度以降としたことから、この移設が進まなければ、嘉手納基地以南の基地返還も進まない、と見るのが当然だろう。そんなことは、沖縄県民でなくたってすぐに分かる。
 だが、それについて小野寺防衛相は、記者会見で「普天間飛行場の辺野古移設と、今回の嘉手納基地以南の米軍施設返還とは関係ない。切り離して考える話だ」と述べた。
 ウソをつけ! である。辺野古新基地建設がなくとも多くの基地返還は可能だというのか。できるものならやって見せろ!

 政治家たちの同じ手口が、原発問題でも繰り返されている。
 安倍政権が、一応やろうとぶち上げている電力システムの”改革”だ。これもまた、参院選向けの宣伝材料に使いたいのだろうが、結局はいい加減なものでごまかそうとしている。我々国民はバカにされ切っているとしか思えない。
 特に問題となるのは、電力会社の送配電部門と発電部門を分離して、地域独占体制を崩そうという「発送電分離」問題だ。これが実質上”骨抜き”にされたのだ。安倍政権は、発送電分離を「2018~20年度をめどに行う」という期限を、一応は設けた。ところが、ここにもデカイ落とし穴があった。
 この電力改革法案を、当初は「2015年に国会提出」としていたのだが(それだって遅すぎると僕は思うが)、ここに来てそれが「2015年の国会提出を”目指す”」と書き換えられてしまったのだ。
 ”目指す”ってどういうこと?
 つまり、「頑張ってみるけれど、できるかどうかは分かりません」である。本来は、「やります」と宣言すべきところを、「やれるよう頑張ります」と、”努力目標”に格下げしてしまったのだ。
 どんな調査でも「脱原発」が70%前後を占めるという世の中の動きに、仕方なく口を閉ざしていた自民党内の原発推進派が、安倍首相の「再稼働容認発言」に勢いづき、おおっぴらに動き出した。そして、「2015年に発送電分離法案を国会へ提出」という当初の案を葬り、「提出を目指す」という曖昧表現に格下げしてしまったのだ。
 なにしろ、安倍首相の「再稼働発言」が後ろ盾なのだから、”原発大好き派”に怖いものなどない。実は、安倍はこんなことを言っていたのだ(東京新聞3月8日付)。

(略)首相は、施政方針演説で原発を再稼働させる考えを明言したことに関連し「この三年で再稼働させるものは再稼働させる。安定的な電力をしっかりと得ることが経済成長、安心できる生活にもつながっていく」と重ねて強調した。(略)

 「安心できる生活」などという言葉を安易に使う安倍首相。だが、最近の福島原発の大量の汚染水漏れ、停電による冷却装置の停止の頻発。「安心できる生活」なんか、どこにあるというのか。
 (東電は相変わらずこれらを”事象”などと呼んでいたが、さすがに記者たちから批判され”トラブル”と言い直した。だがそれでも”事故”とは言わない。どういう神経をしているのだろう、ったく!)
 平気で無責任な言葉を使う安倍首相。首相がこれだから、追随する政治家たちが、電力改革法案などズタズタにしてしまうのも当たり前なのかもしれない。

 そして、これらの政治家たちは、非難の矛先を原子力規制委員会へまで向け始めている。規制委員会の、原発に対する姿勢が厳しすぎるというのだ。その圧力によって、規制委の姿勢がふらつき始めた、という声も強まっている。
 朝日新聞(4月8日夕刊)に、小さくこんな記事が載っていた。

 今国会で設置された衆院原子力問題調査特別委員会が8日、審議入りした。東京電力福島第一原発事故を検証した国会事故調査委員会の委員長を務めた黒川清氏が「(原発の安全基準を担う)新しい原子力規制委員会が、だんだん孤立するのではないかと懸念している」と訴えた。(略)

 言外に、「規制委への圧力が強まり、それに対して国会等のバックアップがないので、規制委が孤立し始めている」と示唆したものと受け取られている。では、その圧力をかけているのは、いったい誰か?
 言うまでもない。復活しつつあるあの”原子力ムラ”の面々である。利権に絡めとられた政治家たちが、その先頭に立って、「規制委員会は厳しすぎる。これでは原発再稼働が困難。ひいては、日本の経済が低下をきたすことになる」と喚き始めたが、むろん、その裏には電事連を擁する”財界”という存在がある。
 鳴りをひそめていた原発学者たちも、ぞろぞろとテレビ画面に復活し始めた。ということは、当然ながら、彼らを出演させる一部のテレビ局にも、”原発マネー”の恩恵がまた…ということらしい。

 沖縄米軍基地”返還”問題で「またはその後」という呆れ返った文言をくっつけた安倍政権。この原発問題でも「2015年までに提出する」を「提出を目指す」と書き換えた。つまり「2015年またはその後」である。
 この連中、ほんとうにふざけている。

 「言葉は生き物だ。いじくりまわせば死ぬ」と言ったのは、確か中原中也だったと思う。
 政治家どもの言葉は、もはや死臭漂う。そんな政治家しかいない国に、未来などあろうはずもない。
 彼らを一斉退場させるすべはないものか…。

 

  

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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