時々お散歩日記

 思わずツイッターで呟いてしまったけれど、ユーウツである。それもモーレツにユーウツである。
 東京都議会議員選挙。事前のマスメディアによる「自民圧勝」という予測報道は聞き飽きていたけれど、立候補者全員当選なんて、当の自民党だってびっくりしていることだろう。
 でも、僕は投票所でこの結果を予測していたんだ。なにしろ、人影もまばら。しかも、出口の表示されている投票率を見て「ああ、これはダメだ」と思わざるを得なかった。まだ午前の集計だったが、投票率が前回に比べてほぼ3割減。結果が見えた気がした。

 これもツイッターに書いたことだけれど、この都議選の結果は「無風の風」という矛盾した表現をするしかない。
 原発も憲法もTPPも沖縄も、すべてがどんよりとした空気の中に澱んでしまった。一部の政党を除いて、各党の候補者たちは、明らかにそれらのテーマを争点にすることを避けた。
 宣伝カーで街中を走りながら、相変わらずの氏名連呼のみの選挙戦。原発なんて言葉を聞いた覚えがない。
 「地方議会選挙だから、そんな国家の政策にまで踏み込むことはない。都民に密着した施策をうったえるべきだ」というのが、候補者たちの意識であり、また有権者の多くも「原発なんて、我々都民の問題じゃない」という考えだったのだろう。
 自民党による「争点隠し」は成功したのだ。争点がなければ関心は高まらない。別に面白い論争もないのだから、わざわざ投票に行く気にもなれない。
 自民党と公明党の戦略は「風を吹かせてはいけない」ということだったと思う。徹底的に無風状態にすること。そうすれば、固い組織票を持つ両党は勝つ。それが戦略だった。戦略どおりの結果になった。
 有権者に議論をさせてはいけない。アベノミクスとやらで多少景気が上向いてきている…というマスメディア(ことにテレビ)の報道だけを煽ればよかった。大成功だった。
 そより…とも風が吹かないのだから、投票率が上がるわけがない。43.5%という史上2番目の低投票率だった。澱んだ空気の低層で、組織票だけのゆるい色のついた微風がうごめいた。その結果がこれだった。僕はそれを「無風の風」と名づけた。

 選挙日当日の都内の有権者数は、都選管によれば1058万9228人。投票者は460万6599人(投票率43.5%)。実に、598万2629人が棄権してしまったのだ。

 前回の都議選よりも10%以上も投票率は下がった。下がったのは、ほとんどが民主党の分だった。この党が、いかに「風」頼りの党だったかがよく分かる。

 多数の沈黙。なぜ人々は沈黙したのか。

 あの凄絶悲惨な福島原発事故は、収束(終息)などまるで夢物語の状況だ。単純な事象がそれを証明している。
 高濃度の放射能漏れが、いまだに続いている。放射性物質トリチウムの濃度が、原発港湾内で上昇しているというのだ。朝日新聞(6月25日付)を見る。

 東電によると濃度が上昇したのは1~4号機取水口北側の港湾内。6月21日に採取した海水から、1リットルあたり1100ベクレルが検出された。10日の測定値500ベクレルに比べて倍増していた。さらに、井戸に近い1、2号機の取水口付近でも、910ベクレルを検出。前回14日は600ベクレルだった。港湾内の、これまでの測定値の最大は2011年10月の920ベクレルで、この1年間は100~200ベクレル程度で推移していた。(略)

 つい数日前の採取分の海水から、なんと事故の年の数値を上回る高濃度の放射性物質が検出されてしまった。こんな状況で事故収束などといえるはずがない。
 それを承知で安倍は、「世界最高水準の安全性の原発」などとウソにまみれた言辞を弄して、海外への原発売り込みに奔走する。それこそ、あの惨敗した維新の綱領に書かれていたような「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め」ることではないか。

 東京は日本の首都である。日本の現在の政治状況を色濃く反映する大都市である。その議会選挙で、56%以上の有権者が棄権した。これこそ日本という国が、「孤立と軽蔑」とまでは言わないが、世界から奇異の目で見られる原因とはいえないか。
 そして、それ(低投票率)を誘導するような戦略を用いたのが、自民公明の与党陣営であった、ということだと僕は思う。残念ながら、その戦略は功を奏した。結果、自民公明の候補者全員当選というありうべからざる現象となった。

 議論を巻き起こさなければならない。

 僕らにできるのは、ネットでも口コミでもビラまきでも、あらゆる手段を使って議論を巻き起こすことでしかない。

 安倍は、選挙に不利と見て持論の「憲法96条改正」(この「改正」という言葉遣いには疑問がある。後述する)を争点から引っ込めてしまった。あれほど威丈高に「旧い押し付け憲法は、変えなければなりません!」と叫んでいたのに、それが不評だと知るや、あっさり憲法論議を封印してしまった。卑怯というしかない。
 日本では新規原発建設は不可能だということで、理不尽にも外国へ売り飛ばしてポンコツ・アベノミクスの底割れの入れに使おうとしている。まさに“火京物太夫”(ひきょうものだゆう=赤胴鈴之助の敵役)である(たとえが古すぎるか…苦笑)。
 引きずり出さなければならない。96条とは何か。96条を変えればどういうことが起きるか。原発輸出は果たして正当か、理にかなっているか、恥ずべき所業ではないのか。
 さらに、沖縄でのあの「沖縄の人たちの負担軽減」などというおためごかしの演説…。
 闘わせるべき争点はいくらでもある。安倍を議論の場へ引きずりだして、その欺瞞性を暴かなければならない。

 ここで書いておこう。マスメディアは憲法「改正」という言葉を、何の疑いもなく使う。僕があるところで「改悪」と発言したら、「それはバイアスのかかった言葉。それを使うあなたの考えは偏っている」と、ある著名な方に言われたことがある。
 僕は反論した。「『改悪』の反対語は『改正』ではないか。では、『改正』という人は偏っていないのか」
 「それはリクツだ。世の中はそうは見てくれない」というのが、その方の答えだった。
 「改悪」が「変えるのは間違っている」という思想を含む、というのなら、「改正」もまた「変えるのが正しい」という考え方を含む言葉だ。ならば、「改正」は「改悪」と同様に、偏った言葉ということになる。
 「改定」もしくは「改訂」とするのが、マスメディアの大好きな「中庸・中道・中立」ではないか。こう言っても、応じてくれるマスメディアがあるとは思えないが、少なくとも僕は憲法については「改正」は使わない。あくまで「改定」で通す。

 話がそれた。
 今回の都議選でのもうひとつの現象は、共産党とみんなの党の躍進ということだろう。維新が壊滅したのはご同慶の至りというしかないが、もしかしたら、維新へ入れようと思っていた人たち(つまり、不満の捌け口として)のある部分が共産党へ(多くはみんなの党へだと思うが)流れたのではないか、という気がする(これはあくまで僕の個人的感想)。
 不満の捌け口、諦めきれない人たちの流れが向かう先のひとつが共産党であった、というのは十分に考えられる。
 ならば、もしその流れを結集できたら…。
 それが僕の夢想である。
 最低限、「原発と憲法と沖縄」を柱とした政策を協定として結び、多くの小党、野党が結束できれば、意外に自民党はもろい…。僕はそう思うのだが。

 原発反対は、どんな調査を見ても、いまだに60%を超えている。沖縄ではついに、自民党県連と中央本部がまったく逆の「参院選選挙公約」を作ってしまった。県連が「普天間飛行場の辺野古移設」に真っ向から異を唱え「普天間の県外移設」を主張したからだ。
 福島でも、自民党県連は本部の原発再稼働方針に大反対。脱原発を正面に掲げた。
 TPP問題も深刻だ。これまで自民党の固い支持組織であったJAが、各地で自民党に反旗を翻し始めた。
 自民圧勝とのマスメディアの報道にも、多少の揺らぎが見え始めた。これらの地方の状況がうまく掴めないからだ。ことに、最近の地方首長選挙では、自民党候補が惨敗するケースが続出している。 

 つまり、問題を抱えている地方では、議論さえ巻き起これば自民党の足場はグラグラと揺らぐ、ということだ。

 議論が起これば、沈黙は口を開く。
 無風の風は、澱みから目覚めて吹き始める。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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