少し気が抜けたような感じで、ぼぉーっと年末年始の休みを過ごした。去年は、年甲斐もなく走りすぎたかもしれない。
12月26日に「マガジン9」の忘年会。たくさんの執筆者や、福島からの避難者の参加もあり、45名ほどが大いに盛り上がった。来年も闘うぞっ!
27日は、2013年最後の「金曜日国会抗議デモ」へ。モーレツに寒かったけれど、かなりの人数が参加、怒りは持続中だ。
28日には「デモクラTV・本会議」出演、そのあとデモクラ忘年会。なにしろ「本会議」終了が午後1時。で、すぐに忘年会に突入。うーむ、明るいうちからのお酒は、ちょっとうしろめたくて、ちょっとステキ。でも、夕方には引き揚げた…。
29日は休暇中に読む本を買いに大型書店へ。文庫と単行本を、併せて7冊。これで何とか休みが乗り切れる…。
ということで、僕の2013年が終わった。なんとも厳しい年だったなあ……というのが、正直な感想。
年末年始はラグビー中継がたくさん。これを目当てに加入したケーブルテレビのスポーツチャンネルが、大学、高校、社会人(トップリーグ)と、3つのチャンネルで目一杯の放送。それを重ならないように録画するのが至難の業。その上、録った試合を全部観るのも至難の業(苦笑)。
年越しの蕎麦を打ったり、餅を食べたり、ラグビーを観たり、お酒を飲んだり、文庫を読んだり…と、ほとんどものを考えないようにして、ゆるゆると僕の1年が始まった(再苦笑)。
それなのに、やっぱり胸のどこか奥底に、ざらついた気持ちの悪さが残っている。“あの人”が、テレビニュースや新聞紙面から顔をのぞかせるからだ。ぺちゃぺちゃという舌っ足らずの物言いにもイライラする。
さすがに連日のラグビーのテレビ観戦も、ちょっと一息。
で、気分転換に初詣に出かけた。休み中、運動不足だったので、おなかをへこますために、歩いて約40分。府中の大國魂(おおくにたま)神社。いやはや、ものすごい人数。
「国会前のデモ並みだね」などと、カミさんと軽口。
でも、国会前デモより目立つのは若い人たち。なんだか真剣に拝んでいるのは「就活」か「受験」か「婚活」か。
それにしても「〇活」って言葉、僕は嫌だねえ。最近は「終活」なんて言葉まで…。死に支度?
デモに学生の姿があまり見えないのは、この「就活」という言葉の呪縛じゃないかと僕は思う。なにしろ、就職できなきゃ落ちこぼれ、就職に不利なことは絶対にしちゃいけない…みたいな雰囲気。「就活」にやぶれて自殺する若者まで出る世の中なんて、絶対に間違っている。
本来は対等であるべき労働者と企業。それが、完全に企業優位(株主本位)になってしまって、労働者の権利なんてどっかへ行っちまった。
それを助長するような、安倍政権の労働政策。財界の狸オヤジたちとつるんで、いつでもクビにできる“労働特区”なるものまで作るつもりらしい。これじゃ、学生たちが脅えるのも無理はない。
ここにも安倍政治の影がちらつく。
初詣。あまりの人の多さに、僕は思わず「こんなに参拝者が多いんじゃ、ひとりひとりの願い事を全部聞いてあげるのは、さすがに神様にも無理じゃないかね」と。
というわけで我が夫婦、初詣はすぐに諦め、久しぶりに旨いラーメン(というより、僕のマイブームはつけ麺)を食べることにあっさり方針転換。このあたりが僕ら夫婦のテキトーなところ。テキトーに軽くなくちゃ、デカイ奴とはまともに向き合えないからね。
ま、初詣は、自宅の近所のほとんど人が来ない小さな神社で済ますことにした。こっちの神様は参拝客もほとんどいないし、その分、頼まれ事も少ないだろうから、僕らの願いもわりと簡単に聞き届けてくれるかもしれないし(都合のいい解釈)。
正月休みの僕の最後のイベントは、5日の味の素スタジアムでの、ラグビー・トップリーグの“府中ダービー”「サントリー対東芝」の観戦。両チームとも府中市に本拠を置いているので、こう呼ばれている。
味スタは我が家から徒歩15分、しかも、「府中市民及び府中市内勤務の人は無料」ってんだから、行かないとバチが当たっちまう。毎年の僕の正月を締めくくる定番メニュー。
本気で寒い日だったけれど、完全防寒仕様で出かけた。
僕はサントリーサイドに座った。試合は逆転、また逆転のシーソーゲーム。終了間際に東芝がPGを外して、ついにサントリーが1点差(30対29)で逃げ切った。いやはや、なんともスリリングな試合だった。
帰り際、元の会社の同僚にバッタリ。奥さんと一緒だった。彼女もまた同じ会社。彼ら夫妻がラグビー好きとは知らなかった。
「元気ですか?」
「はい、元気です。鈴木さんは?」
小さな挨拶を交わしてさよなら。そういえば、彼らもこの近所に住んでいたんだっけ…。
これで、僕の正月気分もおしまい。
こんな感じで、本年の「お散歩日記」を、ゆったりと穏やかに始めてみた。ずーっとこの調子でいきたいものだと思うけれど、どうも2014年は、そんなに穏やかな年にはなりそうもない。
かなり腹を据えておく必要がありそうだ。安倍の暴走政治は、ますますひどいことになるかもしれない。でも、年明けからあまりイヤなことは書きたくない。
新聞をめくっていたら、ドナルド・キーンさんがこんなことを書いていた(東京新聞1月5日)。僕の気持ちにピッタリだったので、今回はキーンさんの文章の引用で「お散歩日記」をしめよう。
キーンさんのもとへ、沢田研二さんから『Uncle Donald』という曲が届いた…という嬉しいお知らせが前置きで、歌詞の引用から次のように続く。
(略)Don’t cry Donald 僕たちに失望しても
Uncle Donald この国をあなたは愛し選んだ
忘れてはならない 何年たっても「静かな民」は希望の灯私の日本への愛、日本人への尊敬の念は何一つ変わっていない。ただ、確かに失望していることはある。
沢田は還暦を迎えた六年前、平和主義をうたう憲法九条の行く末を憂いてバラード曲『我が窮状』を発表した。私も同じ思いだ。第二次世界大戦後、日本人は一人も戦死していない。素晴らしいことである。そんな憲法を変えようとする空気に、私が息苦しくなるのは戦争体験があるからだろう。(略)
私は海軍通訳士官だった。最前線で撃ち合ってはいない。それでも死の淵を見た。ましてや、物量で圧倒された日本兵や爆撃を受けた市民の恐怖たるや想像を絶する。戦争は狂気だ。終戦に日本人のほとんどは胸をなで下ろし「戦争はこりごり」と思っていた。私ははっきりと覚えている。日本人は憲法九条を大歓迎して受け入れた。(略)
昨年は、言論の自由を制限する特定秘密保護法が成立した。尖閣諸島や竹島をめぐり近隣諸国との関係が緊張した。年末には安倍晋三首相の靖国神社参拝に米国からも異例の「失望」が表明された。今年は一転して、私が沢田に「心配ご無用」と一句返せる一年にしたい。
日本をこよなく愛し、日本国籍まで取得されたキーンさんには、逆に我々日本人が、心から「心配ご無用」と言ってあげなければならないと思う。キーンさんを「失望」させてはならない。
府中に住んでらっしゃるんですね〜。私、生まれが分倍河原で育ちが川向こうの多摩市で、実家の隣の兄ちゃんが、府中の東芝に勤めてます。彼は一旦名古屋に転勤になったんだけど、昨年また戻ってきた。あと白糸台に親戚もいます。
そうですか。そのうち、市内の啓文堂あたりですれ違ったりして…(笑)。これからも、どうかよろしく。